Index/Top/About/New/Novel/Original Novel/Album/Blog/Mail/Clap/Link





 











  



  
ひとつずつつまんで食べる



その日は朝から空気が湿っていた。いよいよ訪れた冬は風に水気を孕んで、窓から暖かなリビングに勢いよく侵入してくる。形のないそれを止める術めなく、温もりを求める身はあっさりと敗北を喫した。
 明日は雪が降るでしょう。そんな天気予報を裏切らぬ、分厚くて灰色の空が広がっていた。
「瑛理、雪降ってる?」
「んーん、まだみたい。本当に降るのかな」
「さあねぇ。まだ十二月のはじめでしょう。降らないんじゃない?」
 そっか、と呟いて窓を閉める。十二月の始めの日、金曜日。この地域にしては珍しく大雪が警告され、慎重な私立高校は早々に生徒たちに休みを言い渡していた。しかし、降らない。母はしばらく職場に缶詰だったのを、やっと解放されたところである。
「雪、ほんとはちょっと楽しみにしてたんだけどな」
「遊びたいから?」
「美味しそうだから」
「……食べないでよ?」
「食べないってば。砂糖が降ってるみたいで可愛いってだけで、食べたいって意味じゃないよ」
 滔々とその危険性を語り出しそうな母を止め、肩をすくめて見せる。理系の母はすぐその手の解説をしたがるけれど、文系の頭はあいにくそれを受け付けてはいない。
 これ以上藪蛇を突くまえに話題を変えてしまおう。炬燵に半身を埋めた母の横、同じくその天国に身を埋めテレビを見た。何かと思えば、子供向けのアニメだ。
 四角い画面の中では、頭が植物の怪人が蛍光電灯を浮かべた子供を追いかけ回していた。その後ろではサンタが茄子を降らせている。
「もうクリスマス回やってるの? はやくない?」
「この枠、次が音楽番組で潰れているみたいよ。だから前倒しなんでしょうね」
「ふぅん、そっか。子供が見たら、今からもうプレゼント欲しがって大変そう」
「そおねぇ。瑛理もほんの小さな頃は、クリスマスが来るまで毎日指折り数えてちょうだいちょうだいって言うものだから、お母さん困っちゃって」
「もお、小さい頃の話でしょ!」
「クリスマスまで指折り数えるところは変わってないけどねえ」
 くすくすと母が笑い、机上を指差す。そこに鎮座するのはチョコレートのアドベントカレンダーだ。こたつの熱で溶けてしまわないよう鍋敷きまで用意して、冬の間一番居座るそこにお楽しみを設置したのである。
「いいでしょ、わくわくして。いつかなって待っているはずなのに、今日も明日も一つずつ楽しみがそこに眠っているから、その日が遠い気がしない」
「つまり?」
「クリスマスも、今日も明日も、毎日特別ってこと!」
 総括して頬を膨らませる。言いたいことなんてわかっているくせに。積み上げたみかんの横、マグカップを掴み上げミルクココアを煽る。それは母が淹れてくれた愛だった。
「まあ、確かに毎日を楽しみにできるのはいい事よね。じゃあ、そうだな、お母さんとも一つ約束しない?」
 その愛が喉を滑り落ちて胃を温めた頃、母が剥いたみかんを差し出しながら提案した。その蜜柑をぱかりと口を開けて受け取り、ん、と首を傾げる。
「二十四日の日曜日。お母さんとデートしよっか」
 ぱちり、下手くそなウインクが一つ。
 それに驚き、ぱちりぱちりと目を瞬いた。正直我が家の住人たちは忙しい。高校に通う自分はいいとしても、父は単身赴任で家を空けており、母もまた土曜すら仕事に行くことが多かった。
 本当に、こうして現在過ごせているのが珍しいくらいに。
 その母が、友達に声をかけるように遊びに誘っている。あるいはそれには、ダンスに誘う騎士のような抱擁感すらあったかもしれない。
 ――こんなの、嬉しくないわけがない!
 しかもクリスマス・イヴだ。友人たちからの誘いもちらほら出始めたけれど、それは本来家族で過ごす日だという。
 だから、ねえ、たまには甘えても、いいよね。
 甘い甘いお菓子のように、顔が綻ぶのを感じた。とけてゆく、瞳が、唇が、音が溢れ出す。
「あははっ、そうだね、デートしよ。どこに行く? 駅のところの百貨店?」
「それもいいけど、メインは家電量販店。お母さん昨日、ケトル壊しちゃった」
「えぇっ、あれ動かないと思ったけど、そういう事? それならいま買ってきたほうが良くない? なんかそれ、全然デートっぽくないし……」
「あら、瑛理はデートっぽい方がお好み?」
「もちろん。だって私は、お母さん大好きだからね」
 お母さんも、瑛理が大好き。
 返ってきた言葉。甘く蕩けて胸にしみた。えへと意味のない言葉を溢して、しかしそこに乗った感情など説明するまでもなく。
 四角い画面の中では、怪人もサンタも子供も一緒になって、全員でプリンを囲んでいた。笑っていた。作った料理人が誇らしそうにワニの尾を揺らめかせていた。満ち足りていた。
 ありきたりなハッピーエンドだった。誰もに等しく幸福が訪れる、美しい虚構の世界だった。
 しかしそれは、こうなりたいと願う者がいるからこそ描かれた世界なのだ。優しさと愛は、虚構なんかじゃない。
 ひと足もふた足も早いクリスマスに目を細めた。始まった今年最後の月は、ひどく寒くて、どこまでも穏やかな一日から奏でられる。ここから指折り数え年が変わるまで、それぞれに煌めきが宿るに違いない。
 きっそれは、なんて甘やかな。
 ときめきに跳ねる鼓動、その衝動のまま可愛らしい紙箱に手を伸ばした。まずは始まりの一頁。いち、と書かれたタブをぺりぺりとめくり、宝石のようなチョコレートを摘み上げた。ぱくりと口に含めば、とろりと幸せが満ちていく。
 ひとつまみの幸せ。
 今日の分はこれでお終い。けれど明日はそこにあり、そしてこの指はまだ今日を紡げるから、そうして日々は続いていく。
 これから、毎日。来る日を心待ちにしながら、今日にも明日にもその物語は福音を響かせて、それぞれに思い出を積み重ねてゆくのだろう。
 優しく雪が降るように、白く無垢な光が世界を包むように、甘くて柔らかな時間を慈しみ明日という頁をめくる。
 だからこの幸せを、日々に願いをかけながら。
「クリスマス・イヴには、どうか雪が降りますように」


その幸せを、ひとつずつ、つまんで食べる。






[ 1/2 ]

[mokuji]

[しおりを挟む]














 

Index/Top/About/New/Novel/Original Novel/Album/Blog/Mail/Clap/Link



×