好き、愛してると幾度となく伝えてきた想いは、たとえ10年経っても、20年経っても、きっと色褪せることはない。
何度言葉にしても、自分の気持ちの十分の一も伝えきれない気がして、もどかしさを感じた。
他人が思うよりも、もっと大きなこの感情は自分ですら制御できなくて、言葉では言い尽くせない程なのだ。
好き、愛してる。
馬鹿の一つ覚えのように、その言葉だけを紡いできた唇に、彼女は呆れているかもしれない。
けれど、それ以外の愛情を伝える方法を知らなかった自分は何度だって繰り返す。
どうしたら彼女に伝わるのだろう。
見返りなんて、求めていない。
好きだというこの想いが届くなら、それだけで良かったのだから。



「佐久間」

この世で最も愛しい声が、佐久間の鼓膜を甘く震わせた。
寒さに冷えきっていた身体が、急に熱を持ち始める。

「鬼道、さん?待ってて、くれたんですか…?」
「あぁ」

放課後、部活も終わり一部を除いて大半の生徒が下校してしまった今、校内にはほとんど人気がない。
何故かひとつだけ明かりのついている教室に早足で辿り着くと、そこには恋い焦がれてやまないその人の姿があった。

「待ってるならメールしてくれれば良かったのに。補習なんて抜け出して、すぐに鬼道さんのとこに飛んで来ましたよ」
「馬鹿、何の為の補習だ」
「……!そう、ですけど」

苦笑する鬼道へ、佐久間も照れ臭そうに笑いかけた。
呆れ交じりのそれではあるけれど、自分に向けられた確かな微笑みに、下降気味であった機嫌は直ぐ様上昇する。
普段なら補習などには絶対引っ掛からないが、先の試験で解答欄をずらして解答してしまうというありがちなミスを犯してしまった佐久間は、部活を休んで居残っていたのだ。
そうしてすっかり日も沈んだ頃に漸く解放され、荷物を取りに戻った教室には部活を終えた鬼道が待っていた。校舎内の施錠時刻が迫ったこの時間では確実に帰ってしまったと思い込んでいただけに、嬉しさもひとしおだった。

「……寒かったですよね?」
「いや大丈夫だ。部活終わりに源田からカイロをもらったからな」

ほら、と差し出された使い捨てカイロはまだ熱くて鬼道の掌を真っ赤に染めている。
それでも指先は冷たそうに白んでいて、どうしようもなく申し訳ない気持ちになった。

「すみません…」
「何がだ?」
「いえ……でも鬼道さん、指先は冷たいままですね」

きょとんと不思議そうに首を傾げる鬼道の手に触れ、口元に近づけると、細い指に息を吹きかけた。
ふわりと佐久間と鬼道の掌を包んだ温かなそれは、冷たい空気に触れて白くなり、冬の寒さを感じさせる。
びくりと鬼道の身体が揺れ、信じられないものを見るように宝石のような深紅の瞳を見開いて、佐久間の姿を映した。

「な、…っ」

不意をつかれた鬼道は、戸惑いながらカイロを握った自身の手と佐久間の顔を交互に見る。
人に触れられることが苦手らしい彼女は、こうした軽いスキンシップでさえ過剰に反応してしまうのだが、そうであっても重ねた掌を振り払われないことが、自分だけが触れることを許されているようで、佐久間は途方もない幸福感に満たされた。

「へへ、鬼道さん大好きです」
「……っ」

今すぐにでもありのままの気持ちを伝えたくてその言葉を告げれば、鬼道は少しだけ紅潮させた頬をさらに朱へと染める。
その様子をへらへらと笑って見つめていたら、常よりも数倍強めに頭を叩かれた。しかし、今の自分にとってそれは彼女の照れ隠しであり、喜ばしいものでしかない。

「っ、私は帰る」
「あ、鬼道さん!待ってください…!」
「……ふん」

羞恥か、それとも身を切るような寒さからなのか、耳の先まで赤くしていた鬼道はそう一言吐き捨てると、佐久間の熱い視線から逃れるようにして教室から出ていった。
佐久間は慌てて、自分の席から荷物を取り、後を追いかける。こんなことで機嫌を損ねる彼女ではないが、せっかく一緒に帰れるというのに、易々とこのチャンスを逃す程馬鹿ではない。
早歩きで進む鬼道の後に必死についていけば、ちょうど廊下の曲がり角に差し掛かったところで、鬼道は足をぴたりと止めた。

「き、鬼道さん?」
「………しも、……だ」
「え……?」

どうしたんですか、と尋ねる前に鬼道の漏らした言葉がよく聞き取れなくて、聞き返した。
あ、とか、え、とか音だけを紡ぐ鬼道は、明らかにいつもと様子が違う。毅然としていて、言いたいことははっきり言う、そんな彼女の言葉に詰まる姿を見るのは珍しい。
佐久間は何かあったのかと、不安になった。

「……わ…私も、さ、くまが……すきだ……」

しかし、鬼道の唇から発せられた予想にもしていなかったそれに、佐久間は自分の耳を疑わずにはいられなかった。
恥ずかしそうに目を逸らして、佐久間に向けられたその台詞。
本当に聞き間違いでないならば、それは彼女らしくない弱々しい愛の告白だった。

「え、えっ…ええっ!」
「くっ……は、早く帰るぞっ」
「きっ、鬼道さん…!」

普段、人をあまり寄せ付けない鬼道が、自分を隣においているという事実に、少なくとも多少の好意や信頼は寄せられているのだと自負していた。けれど、面と向かって気持ちを知ったのは初めてで、佐久間は驚きを隠せない。
嬉しさで、身体が震えた。先を行く彼女の顔をちらりと伺えば、やはり熟れた果実のように赤みを帯びている。

「っ……鬼道さん、だいすきです!!」
「う、うるさい」

喜びのあまり、思わず手を伸ばして鬼道の掌を握ると、先程と同じような反応をした後、微かに震えたそれで握り返される。
繋いだ掌は、あたたかかった。
冬の寒さなどすっかり忘れて、未だかつて味わったことのない最大の幸せと呼ぶべき温もりに、佐久間はうっとりと酔いしれた。










そこで、世界は暗転した。


重たい瞼をゆっくり開けば、目の前には見慣れた自室の天井が広がっている。
どうやら、自分は懐かしい夢を見ていたらしい。

「夢、か……」

10年近く、前の話だ。
ただ純粋に、ひとつの愛を貫き、最も充足感に満ち溢れていた頃の記憶。
未練がましくも、そんな夢を見てしまった自分に、佐久間は嘆息を漏らした。
夢は、己自身の願いを無意識に写すという。そう、なのかもしれない。きっと自分は、心の何処かで、幸せだったあの日々に戻りたいと、そう思っているに違いないのだから。

「………くっせぇ」

つい数時間前まで纏わりついていた甘ったるい香りが、シャワーで洗い流した後も、未だ全身にこびりついているような錯覚に陥ってしまい、佐久間は不快感に歯噛みした。
腕を頭上に翳し、自身の掌を見つめる。
指先にはあの時の、涙の濡れた感触が残っているような気がした。
涙を溢し、拒絶した鬼道の姿が頭を過り、そして離れなくなる。
目的の為に、不本意だとはいえ好きでもない女を抱いた自分を、彼女が許してくれるわけもない。むしろ一生、決して許さないでいてほしい。
身勝手なのは重々承知しているが、鬼道以外の柔らかな肌の感触を、その身体で消し去ってほしくて、無理矢理にでも身体を繋げたかった。
けれど、常に強い光を宿していた彼女の赤い瞳は揺らぎ、冷たい雫を流して佐久間を拒んだ。

――やめろ、やめてくれ。

それは、今まで耳にしてきたどの拒否の言葉とも異なっていた。
嫌だ、やめろ、と何度だって行為を強要してきた佐久間は、その台詞を聞き慣れていたはずだ。
しかし、心の底から佐久間の存在自体を拒むような台詞と、痛々しい様子は、佐久間の心を容赦なく抉り、もうそれ以上触れることはできなかった。

「ちっ……なんで、だよ」

自分が傷付くことは間違っている。なのに、どうすることもできない心と身体が、苦痛を訴えている。
これは、佐久間自身が招いたことだ。こうなるように仕向けた。自身の心の傷とは比べものにならない程に彼女を傷付け、かつて向けられた愛情を踏みにじった。
だから、胸を痛める資格など、自分には微塵たりともありはしない。
何度も自分自身にそう言い聞かせるけれど、佐久間の傷んだ胸の内は一向に癒える様子はなかった。

「鬼道さん……」

翳した手の甲を唇に寄せ、自分でも気付かないうちに呟いていた。
名を呼んだだけで、張り裂けそうな痛みが佐久間を襲う。
着実に、自分の望んでいた結末が訪れようとしている。
この関係は終わりにしなければならない。
けれど、早く、と願うと同時に、手放したくないという想いがどうしても勝ってしまう。
もう何が正しくて、何が間違っているのか、佐久間には判別がつかなかった。
自分は、彼女を愛してはいけない。
その為に、自分はどれだけ愛しい人を傷つければいいのだろうか。
分からないが、きっともう後戻りはできないのだろう。


「……し、て……ます」

ずっと、この想いは変わらない。大人になった今でさえ、10年経ったとしても、20年経ったとしても変わらないと、それだけは確かだと言える。
好きです、愛してます。
もう一生伝えることのない言葉を噛み締めて、佐久間はもう一度瞳を閉じた。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -