「あちー…」

ぱたぱたと力なく扇ぐ団扇からそよぐ風は生温い。
それでもないよりはマシかと思ったが、この暑さでは何の気休めにもならなかった。
肌に張り付くような熱をもった空気が気持ち悪く、じわりと噴き出す汗が不快だ。

「終わったか豪炎寺…?」
「あぁ、今終わった。後は見直しするだけだ」
「……ふーん」

人間は暑すぎたり、寒すぎたりすると集中力が落ちるらしい。
逆に少し暑い、少し寒いくらいがちょうど良く、集中力が上がるのだといつだったか何かのバラエティー番組で放送されていた気がする。
きっとそれはその通りなのだろうと風丸はテーブルに広げられたテキストを一瞥して納得した。
やらなければいけないという気持ちはあるのに、全くもってやる気が出ない。
テキストに印刷された文字は、まるで異国のそれのようで、頭からするりと抜けていく。

「……それにしても円堂は遅いな」
「ははっ円堂のことだから約束なんて忘れて特訓でもしてるんじゃないか?」

七月初旬。もうすぐ期末テストで、その為の勉強会だった。
成績の悪い円堂に、優等生の豪炎寺とそこそこ勉強のできる風丸とでテスト対策をしてもらいたいと、そもそも言い出したのは円堂の方ではなかったか。しかし、この場所に当人の姿はない。
多少は呆れを覚えるけれど、相変わらずの幼なじみに苦笑する。
期末テストが終われば、待ちに待った夏休みだ。きっと浮き足立った気持ちを抑えられないのだろう。
けれど、風丸は円堂を気にかけるよりも今、どうやってこの暑さに耐えるかが、何よりも問題だった。

「あついな…」

暑いと言えば言う程、体感温度は高くなる。解ってはいるものの、そう言わずにはいられない。

「……クーラーはつけないのか」
「あー…節電節電ってうるさいんだようちの母さん」
「あぁ……じゃあ扇風機は」
「壊れた」

去年まで夏の暑さをクーラーに頼ってきた風丸には、この状況はかなり耐え難いものだ。
扇風機は、長年使っていなかったせいか老朽化して壊れてしまったらしい。
本格的に暑くなるのはもう少し先だからと見据えて、暫く我慢しろと言われたのは、つい昨日のことで。
七月初旬とは思えない暑さに頭が煮えそうだ。いや、もう完全に煮えきってしまったのかもしれない。

「豪炎寺はあまり暑くなさそうだよな……」

向かい側に座った豪炎寺は、今しがた終わった課題に目を通している。ノートを捲りながら切れ長の目で羅列された文字を追う表情は、暑さを感じていないかのように涼しげに見えた。

「……俺だって、暑い」

豪炎寺はちらりと視線を寄越すと、空いている左手でTシャツの襟を握り締め、ぱたぱたと空気を送り込んだ。
顔には表れないが、豪炎寺もどうにもできないこの暑さに耐え兼ねているのだろう。
よく見れば、白のTシャツは汗で身体にぴったりと貼り付き、微かに肌色が透けている。
薄く開いた唇から漏れる吐息はどこか情事中を思わせた。

「……どうした、風丸」
「あー…なんか暑いと変な気分になるよな」
「………」

どうにも夏の暑さというのは、そういう思考になりやすい。
そう思うのは自分だけだろうか、と豪炎寺の身体を舐めるようにして眺めながら風丸は思う。
首筋を伝う汗が鎖骨のくぼみに流れ着く様子は、扇情的で堪らない。

「豪炎寺…」
「……おい、風丸」

テーブルに身を乗り上げ豪炎寺を見下ろす形で、ノートの上に添えられたままの手首を掴んだ。
そういう意図をもって引き寄せると、目を見開いた豪炎寺は、それでも抵抗なしに風丸を見上げる。
唇は、どちらかが奪うわけでもなく自然に触れ合った。
互いの間にテーブルがある為、唇が触れる瞬間もやりづらさはあったが、風丸は気にせず目の前の男の唇を貪る。

「ん……は、ぁ」

軽く吸えば、吸い返してくる。
豪炎寺も満更ではないらしいことから、体内で燻る熱がよりいっそう高まるのを感じて、高揚感に息を吐いた。
口づけを解くと、上気した頬はほんのり赤く染まり、何とも言い難い色香を漂わせていて、風丸はごくりと生唾を呑む。

「なぁ、豪炎寺…」
「課題はいいのか」
「………後でやるよ」

豪炎寺は目下に広げられたままのそれを指差した。
結局、期末テスト前に片付けるつもりでいた課題には一切手をつけていない。やらなければいけないのは分かっているし、後回しにして泣きを見るのは自分だ。
けれど、今はそれどころではなかった。
もう心も身体もすっかりその気になってしまったのだから。

「するなといってもするんだろう、お前は」

ふっと呆れたように吐息を溢し、挑戦的な笑みを向ける豪炎寺の瞳には諦めの色が映る。
けれど、そのストイックで鋭い眼差しが、欲にまみれ物欲しそうに潤むことを風丸は知っていた。

「暑くて溶けそうだよな…」
「………溶けてるのは、お前の頭じゃないのか?」
「…はは、そうかも」

今日何度目かのそれは、そんな皮肉混じりの台詞で返されてしまうが、まったくその通りなので自嘲するしかない。
腕を引くと、豪炎寺は腰を上げた。数歩も移動しないうちにたどり着いたベッドは、二人分の重さを受けて、スプリングの音を立てる。

「……あついな」
「……あぁ、」

いつのまにやら然程気にならなくなった唸るような暑さは、時に興奮剤ともなり得るらしい。
自分のこめかみに浮かんだ雫は、そのまま顎のラインを伝い、組み敷いて仰向けに倒れた豪炎寺の頬にぽたりと落ちる。

「やろうぜ、豪炎寺」

暑さを熱さに変えて。
どこまでも空気の読めない幼なじみが来ないことを切に願い、風丸は眼下にある形のいい唇に再度口づけを落とした。



初夏、獣二匹





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