不意に耳へと届いた黄色い声に、佐久間の神経はよりいっそう逆撫でられた。

「チッ…」

色めき立つ女子の視線に晒されて、けれど燻る苛立ちを隠そうとしないまま、通い慣れた場所へと歩を進める。
明日もこの時間に来る、と宣言したにも関わらず、学園に着いた頃には、陽は完全に昇りきっていた。
あれ程心を弾ませ、再度あの彼を見ることを待ち遠しく感じていたというのに、家の事情によって佐久間の計画は潰されてしまった。
元々、気が短く温厚ではない佐久間は、誰もが羨む端整な顔を更に歪める。
それでも、同じ学園の生徒なのだから会えないというわけでもない。いくらでもチャンスはある、とそう何度も自分に言い聞かせた。

「鬼道有人、か……」

一瞬で佐久間の心を奪った、紅い瞳に光をたたえた彼――鬼道有人の名を呟く。
それは昨夜、使用人に調べさせたものだ。
目を惹くドレッドに印象的な紅の瞳を持つ彼は、佐久間と同じ帝国学園高等部一年で、学園では珍しい、奨学生であることが分かった。
生徒のほとんどが財閥や大手企業の息子、令嬢である帝国学園は、一般庶民が通うことは難しい。しかし、時たまに成績優秀者である者は貧富の差などは関係なしに、奨学生として入学を認められる。
そんな中で、奨学生に選ばれた異端とも言える彼の存在は、暇をもて余す金持ち達の話題の種になり得てもおかしくはない。
噂程度には耳にしていたが、基本的に他人に興味のない佐久間は、名前すら知らなかった。
あの独特の雰囲気を思い出すだけで、昨日のようにぴりぴりとした緊張感と熱が全身に駆け巡るのをどこか心地よく感じていた。



「ん…?」

辿り着いたカフェテラスに足を踏み入れると、そこは何だか騒がしかった。
人々のざわめきに溢れ、それでいて張り詰めた空気を漂わせる。いつも穏やかなその場所には似合わない、異様な光景だ。
できるだけ面倒事には巻き込まれたくない。けれど、来るんじゃなかったと思うより先に、あまりにもそれは昨日と似通うものがあり、身体は勝手に動いていた。
テラス内に響くのは、罵倒の言葉と嘲笑。
囲むようにして群がっている生徒達を掻き分けて、佐久間が標的にされているらしいその人の姿を見たのは、ガチャンと音を立てたそれと同時だった。

「あ……」

予想通り、そこにいたのは鬼道有人本人である。
再び会えたという喜びを感じる暇もなく、佐久間は鬼道の置かれている状況を把握した。
座り込んだ鬼道の足元には、ひっくり返った弁当箱と、その形を崩しこぼれた中身が散乱している。
俯いて弁当箱を見つめる鬼道の瞳には、昨日見たような静かな怒りではなく、ただ驚きだけを映していた。
低レベルな虐めだ。いくら相手が男だといっても、この仕打ちはないだろう。
よく見れば、加害者である生徒達の顔には見覚えがあった。普段は追い払うことすら面倒で適当にあしらってはいるものの、しょっちゅう佐久間に付き纏っている取り巻き達だ。
佐久間の姿を確認すると、騒がしさは途端に消え、鬼道に対する罵声も止んで、その場にいた生徒達は皆、こちらへと視線を向けてくる。
呆れにも似た感情を抱きながらも、佐久間は俯いたままの鬼道へと歩み寄り、口を開いた。

「……新しいの、買ってやろうか」

佐久間をよく知る者なら、その見下したような声音さえも、ひどく柔らかなものに聞こえたのかもしれない。
開口一番、ましてや初対面でこう言うのもどうかと思ったが、親切心で口にしたつもりだった。
けれど、鬼道は佐久間に見向きもしないで目線は床に注がれたまま。
彼の様子を不審に思い、佐久間が同じように床を見遣ると、そこには自分の革靴で下敷きになった残骸が視界に入った。
目の前の彼に意識が集中していたせいか、どうやら近付こうと一歩踏み出した時に、床に放り出された弁当の中身を誤って踏んでしまったらしい。
潰れて形を成していないそれは、いっそいたましく、あまりにも無惨だ。

「……な」
「え?」

佐久間の心の内など一切想像することもできないであろう彼は、一瞬ぴくりと肩を震わせ、ゆっくり顔を上げる。
カッと見開いた鬼道の瞳が佐久間を捕らえた。

「――ッ!」

突如訪れた衝撃に、佐久間は声を出すことも叶わなかった。
何とかバランスを保ち、倒れずには済んだが、威圧的な何かに押し潰される感覚に身体は思い通りに動いてはくれない。
燃えるような熱を左頬に感じた佐久間は、そこで漸く殴られたのだと知る。
直ぐ様、謝罪、もしくはまた別のものだったのかは自分でも分からないが、発しようとした言葉は音になる前に吐息となって消えた。

「…食べ物を、粗末にするな」

押し殺した低音が鼓膜を震わせる。
見上げた先にある眼差しの奥に映るのは自分の呆けた顔。
紅のそれに射抜かれて、息をすることすら躊躇われる程に、とてつもない怒りのオーラを全身に纏って、けれど微かに瞳を揺らした鬼道は佐久間に冷ややかな視線を落とした。

「……金で買えないものだってある」

親の敵でも見るかのような目の表情に、吐き捨てた台詞は重々しい。
何も言えず思考もままならない佐久間を余所に、踏まれてぐちゃぐちゃになってしまったものをかき集め、弁当箱を抱えた鬼道はテラスを去るつもりなのだろう。
傍観していた生徒達は信じられないものを見たように息を呑み、歩き出したその背を見送った。



「………」

鬼道が去った後のテラス内は静寂に包まれていて、誰一人として口を開こうとする者はいなかった。
生徒の一部は動かない佐久間を心配そうに見つめたり、又、顔を見合わせたりしている。
当の佐久間はというと、放心状態ではあったが、しかし殴られたことへのショックよりも、自身の心に芽生えた感情に戸惑いを隠せずにいた。
確かに、あの高圧的な態度とルビーの如く光輝いていた真っ直ぐな瞳に惹かれたのだろう。
けれど、再び目にした彼は、昨日の比ではなかった。
どくんどくんと五月蝿い心臓とは対照的に、幾分落ち着いた頭の中は何故か冷静で、不謹慎にも、何もかも見透かされてしまいそうな深い紅を、きれい、だなんて色惚けたことを考えている。

「……鬼道、有人」

ひりひりと尚も痛みの増す左頬をそっと撫でた。
去る後ろ姿を視線で追いかけることさえ出来ずにいた佐久間は、一点を見つめたままその場に立ち尽くす。
ちくりと甘い痛みを伴いながら、まるで全てを焼ききってしまうかような彼の瞳が鮮やかだった。








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