好きだ。ずっと好きだった。
けれど、自分の気持ちを告げることは許されなくて、伝えられない想いは日増しに大きくなっていく。
好きになることが苦しい。
あいつの笑顔を見る度に、あいつの背中を追いかける度に、愛情だけが募って、心はあいつに満たされる。
決して手に入らないと解っていても、欲してしまう。どんなにこの想いが報われないと知っていても、望んでしまうなら、きっと全てを捨てた方が楽なのだろう。
だから、あいつへの想いは断ち切った、はずだった。
なのに。


「――実は俺、結婚するんだ」

いつか、そんな日が来ると覚悟はしていたが、円堂から発せられたその言葉が心へ重くのしかかる。

「へぇ……そ、うなのか」

俺は曖昧に笑みを返すしかなかった。
とうとう来てしまったらしい。俺の最も恐れていたこの日が。
飲みかけのコーヒーカップを置く手が震える。
つい先程、口にしたブラックの苦味だけが口内に残って、舌を撫でるそれがよりいっそう苦く感じられた。



プロのサッカー選手になった円堂がサッカーの本場の地であるヨーロッパへと飛び発ち、数年が経った。
一方、大学へ入学すると同時にサッカーとは疎遠になってしまった俺は、教員免許を取り、今では母校で教師をしている。
昔と比べて会う機会は格段に減ってしまったけれど、年に一度あるかないかの、円堂が帰国する時にはこうして会うようにしていた。
そんな俺達の関係は、幼なじみで親友。きっとそれは変わることのない事実だ。
中学生の頃は、喫茶店一つ行くにも緊張していたが、社会人になった今では何の気兼ねもなくなった。まさか、円堂の結婚報告をこの場所で聞くことになるとは思いもしなかったけれど。

「……おばさん達には報告したのか?」

円堂のことだから、電話等での報告はしていないのだろう。付き合いが長いせいか、そんなことも予想できてしまう。
円堂は帰国してそのまま俺の所へ来たらしい。元々会う約束をしていたから、俺はてっきり一度実家に帰ってから来るのだと思っていたのだが、テーブルの下に置かれたキャリーバッグが何よりの証拠だ。
店員が運んできたサンドを一噛りし、咀嚼しながらアイスティーを飲み込む。そして一息吐いた円堂は、俺の問いに大きく首を振った。

「一番に風丸に伝えたかったんだ!」

そう言った円堂の、目が眩んでしまう程の笑顔は、昔となにひとつ変わっていなくて、胸が締め付けられるように痛む。
どうせ、鈍感な円堂のことだ。俺の動揺ぶりには、たぶん一切気付いていない。
そうと分かっていても、自分に言い聞かせるように平静を保つよう心がけた。
それから、いつものように他愛のない世間話。けれど、円堂の言葉の端々から零れるのは、婚約者のことばかりだ。
俺は、話などこれっぽっちも頭に入らなくて、適当に相槌を打った。嬉しそうに彼女の名前を呼ぶ円堂を、直視することさえできなかった。
大切な幼なじみの幸せそうな姿を、素直に喜べないのは、円堂へただならぬ想いを抱いているからだろう。
ずっと隠し通してきた円堂への恋心は、時が経っても薄らぐことなく、心の奥底で燻っていたらしい。

「それでさ、あいつが――」

会ったことも、見たこともない円堂の彼女に、俺は嫉妬する。
未だに捨てられない想いが憎らしい。
自ら円堂の幸せを願ったはずなのに、こんなにも祝福してやることが辛い。
好きだと、円堂への想いを告げてしまえば、俺達の関係は容易く壊れてしまう。
この恋が実ることはない。
だから、俺は、円堂との友情を選んだ。
いつか、円堂が誰かと結婚して、幸せな家庭を築いていけることを望んだ。
幼なじみで親友、それで俺は満足できる。誰よりも近くにいて、あいつの隣で笑うことができる。
けれど、もう円堂の隣は俺じゃない。そう気づいてしまえば、虚しさだけが込み上げてくる。
俺は、思い込んでいたのかもしれない。円堂との距離は、決して変わることなどないのだと。
最初から、円堂の隣に、俺の居場所なんてなかったんだ。
円堂の隣には、俺ではない誰かがいる。
そんな当たり前のことを、今更になって気付いた俺は、最低で馬鹿野郎だ。





「じゃあ、そろそろ帰るな!」

二時間程、喫茶店に居座った俺達は、会計を済ませて、店を出た。
かつては共に歩いた帰り道も、今では一人暮らしをしている為、昔とは帰る方向が違う。
別れ際になって、漸く心の整理がついた。今ならば、円堂に自分の意志で祝いの言葉を言えるかもしれない。いや、言うしかないんだ。

「円堂、」
「ん、なんだ風丸?」

知らずに、握り締めたままだった掌にはじんわりと汗が滲んでいた。
口を開きかけるが、なかなか先に続かない。
たった一言、たった五文字の言葉を紡ぐのに、こんなにも躊躇ってしまう自分が情けなくて嫌になる。
円堂の、俺を真っ直ぐに見つめるその瞳が眩しい。

「……幸せになれよ」

絞るようにしてやっと伝えた言葉は、微かに震えている気がした。


「あぁ!」

この時の円堂の表情は、きっといつまでも忘れないだろう。
幼なじみの俺でさえも見たことのない、幸せに満ち溢れた笑顔だったから。
俺は、これからも円堂への想いを隠し続ける。
円堂の幸せだけを願って。



俺は。

「――おめでとう、円堂」

ちゃんと、笑えていただろうか。





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