閣下と僕(と参謀長)



閣下と僕(と参謀長)


「おはようございます」
 重厚な扉を開け、僕がいつも通り元気よく挨拶をすると、いつも通り涼やかなロイエンタール閣下のお声が聞こえた。
「おはよう、ランベルツ」
 特別な言葉は何もないけれど、自分に向けられたその声が何となく優しげで、僕はそれだけで毎朝心がウキウキっとなるんだ。
 ロイエンタール上級大将閣下の従卒としての朝一番の仕事は、閣下に少し濃いめのコーヒーを差し上げることだ。朝はなぜだかいつも少し眠たげにしていらっしゃる閣下に、目覚ましの一杯を淹れる。ロイエンタール艦隊の提督方がなさるような綺麗な敬礼を真似して、僕は僕の持ち場である給湯室へ弾むように向かった。いつもの朝の情景だった。 
 ところが、だ。向かった先の給湯室手前にいつもでない風景がころがっていて、僕は困惑した。
「ど、どうなさったのですか?」
 青白い顔をして流しにもたれ掛かるように立っていたのは、参謀長ベルゲングリューン中将だった。
「体調がお悪いのですか?」
 軍人という職業がお酒を召し上がる機会が多いことは、ここに勤め初めてから知ったことだった。だから、僕はてっきり参謀長も昨晩ちょっと飲み過ぎたのかな、この「堅物」と閣下が仰っている参謀長にも珍しいことがあるものだな、と思った程度だった。二日酔いにはコーヒーがいいと、これも閣下にお聞きしたことだが、それで僕は閣下の分と一緒に参謀長の分も淹れて差し上げようと、そう思ったんだ。でも、実際はそうじゃなかった。
「そんな悪い大人は放っておきなさい」
 背後からの声に僕は驚いた。いつからそこにいらっしゃったのかわからないが、僕のすぐ後ろにレッケンドルフ大尉がいらっしゃった。
 何のことかわからずにぽかんとした僕に、大尉はちょっと閣下に似た人の悪い笑顔を浮かべた。
「酔った勢いで何かをしでかしたんだが、酔っぱらい過ぎていて何をしでかしたのだか覚えていらっしゃらないらしい」
 ベルゲングリューン参謀長が流しでウーンと唸っているのが聞こえる。
「それでは、その一緒にいらっしゃった方にお聞きすればどうでしょうか? どんなことをなさっていたかがわかれば、どうにかできるのではありませんか?」
 ますます中将はウーンと唸り、大尉は「君はいい子だな」と言いながら、僕の頭を撫でてくださった。
「本当にランベルツの言うとおりですよ、参謀長。早くお相手から何をしたのかを聞き出して、とっとと謝ってしまってください。でなければ、今日一日、我々はご勘気を被り続けることになるのですよ」
「聞けるものなら、聞いている・・・・・・」
 消え入りそうな声がして、とうとう参謀長はつっぷしてしまった。そんな様子をため息をついて眺めているレッケンドルフ大尉を僕は見上げた。今の会話を総合して考えると、昨晩の参謀長の相手はロイエンタール閣下ということになりはしないだろうか。
「閣下は、ご機嫌がお悪いのですか?」
 レッケンドルフ大尉はちょっと驚いた表情をしてから、にっこりと笑った。
「ああ、今のところ約一名に対してだけね」
 そして、さあ、と僕の背中を給湯室の奥へ押した。
「閣下がお待ちかねだよ。少しでもご機嫌が良くなるように美味しい一杯を淹れて差し上げて」
「あ、はい!」
 言われて僕は自分の仕事を思い出した。そして、流しにしがみつく参謀長を申し訳ないけど外に押しやって、ひとつ大きく深呼吸をした。ご機嫌がお悪いという閣下のために、少しでも美味しいコーヒーを淹れなければと僕は思った。

 レッケンドルフ大尉が仰っていたことは僕にもすぐにわかった。閣下はことさらに僕には優しく、そして参謀長には冷たかった。
 幼年学校で習ったことだが、司令官にとって参謀長は「女房役」である。そして、この組み合わせがうまくいくかいかないかで艦隊の動きは大きく変わり、ひいては戦況への影響も大であるのだ。今は戦場ではないにしても、それでも閣下と一番顔を合わせて仕事をするのは参謀長だ。閣下のイライラは次第に大きくなり、参謀長のおどおどした感じがさらに油を注いでいるようだった。僕はこのお二方が仲違いなさっている状況がとても辛かった。なにより、イライラとなさっている閣下が時折とても辛そうなお顔をなさるのだ。寂しそうなといってもいいかもしれない。閣下もきっとこの状態をなんとかなさりたいに違いないと、僕は思った。僕の独りよがりかも知れないけど、その思いに突き動かされて僕は声を出した。
「閣下」
「ん?」
 突然の僕の呼びかけに、閣下は先程までの寂しさの陰を残した声で答えてくださった。その声色に後押しされて僕は続けた。
「ベルゲングリューン参謀長と、けんかでもなさったのですか?」
 閣下は女性週刊誌などで宝石と讃えられるその希有な二色の瞳をちょっと見開いて僕をご覧になった。珍しく驚いていらっしゃるお顔だ。子どもがよけいな口出しをするなと叱責されるかと思ったが、閣下はそうはなさらずに、僕を執務室に鎮座するソファーに座るように指図なさった。僕はなんだか落ち着かずに浅く腰掛けると、閣下は僕の前にゆったりと座り長い足を優雅に組まれた。
「喧嘩をしているように見えたか?」
「はい」
 子ども相手に、いや、子ども相手だからだろう、閣下はその問いかけに誠実に対応しようとなさっているように思えた。僕は自分が子どもであることに甘えて、あえて鈍さを装い質問を重ねることにした。
「ベルゲングリューン参謀長は、すごく謝りたいと思っていらっしゃいます。でも、何をなさったのか覚えていらっしゃらなくて、どう謝ればいいのかおわかりにならないだけなんです」
「ほう」
「僕も、閣下と参謀長が仲違いされているのを見ているのは、辛いです。だから・・・・・・」
「だから?」
 あまりに立ち入りすぎて叱られるかもしれない、そう危惧しながらも、僕は言わずにはいられなかった。
「閣下が何に怒っていらっしゃるのか、参謀長に教えてあげていただけませんか」
 聞き終えて閣下はふうっと深く息をつき、ソファーに深く沈み込んでしまった。僕も言うべきことはすべて言ってしまったので、沈黙するしかなく、空調のファンが回る音だけがやけに大きく聞こえた。
 閣下はしばらく白い両手を眺めていらっしゃったが、
「いつまで、そうしているつもりだ」
と、声を張って仰った。僕は一瞬僕のことを叱責なさったのだと思い、心臓がきゅっと縮み上がったが、すぐに背後の扉が開く気配に気づいた。そこには参謀長の姿があった。
「閣下・・・・・・」
 参謀長がお立ちになっているのに従卒が座っていてはと、僕は弾かれたように立ち上がった。その僕の背後にいつの間にか閣下がいらっしゃっていて、僕の両肩に手をお掛けになった。まるで背後から抱きかかえたれているような状態の僕の頭越しに仰った。
「ランベルツにここまで言われては、大人としては何とかせねばならぬのではないか?」
「はい・・・・・・閣下!」
 思い詰めたような参謀長の言葉を、閣下は右手で制された。
「少し早いが、今日はこれで終いにしよう。いいな?」
 参謀長の背後から、レッケンドルフ大尉が現れた。
「終業時刻はとうに過ぎております、閣下」
「そうか、では」
 閣下はすれ違いざまに僕の頭をぽんと撫でてくださった。そのとき僕は閣下と目があった。閣下はちょっと微笑むとそのまま執務室を出て行ってしまわれた。その後を参謀長が慌てて追いかけるのを僕たちは見送った。
「ご苦労だったね」
「え?」
 大尉はお二人が出て行った方向をじっと見ながら僕にねぎらいの言葉をかけてくださった。でも、その声がなんだか妙で、それで僕は変な声をだしてしまった。
「私はね、このまま閣下と参謀長の間にひびが入るのなら、それはそれで構わないと思っていたんだ」
 人は驚きすぎると言葉をなくすらしい。そんな僕の様子を気にもかけずに大尉はまるで独り言のように仰った。
「絶好のチャンスかもしれないと、そう思ったんだけどなあ・・・」
 目を白黒させる僕に、レッケンドルフ大尉はちょっと自嘲の籠もった笑顔を見せて仰った。
「参謀長のおかげで閣下もお早くお帰りだ。私たちも今日はもう帰ってしまおう」
 なんだかわからないことだらけの一日だったけど、僕はただ明日になれば閣下のご機嫌が良くなっていればいいなと思った。あの厳めしいお髭の参謀長がはいつくばって謝ったりするのかな? そうしたら、本当はお優しい閣下はきっと参謀長をお許しなさるに違いない。僕はそんなお二人の姿を想像ながら、弾むように幼年学校の寮への家路についた。

********************

「閣下、どちらに行かれるのですか?」
 ベルゲングリューンは足早に前を行くロイエンタールの後を追った。
「昨夜のことを思い出すのだろう?」
 歩を緩めずにそれだけ言うと、振り向きもせずロイエンタールは先を行く。ベルゲングリューンは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。この道は、彼には見慣れた彼の通勤路なのだ。まさか、というか、やはり、というのかもはや彼にはわからないが、行き着いた先は彼の官舎だった。
「閣下・・・」
 何も言わずに寝室にまで突き進むロイエンタールに、ベルゲングリューンは焦りまくった。その腕をロイエンタールは突然強く引いた。
「うわっ、わ」
 体勢を崩しロイエンタールに多い被さるようにベルゲングリューンはベッドに倒れ込んだ。慌てて身を起こそうとすると、そうはさせぬように腕を掴まれた。
「思い出せ、ベルゲングリューン。昨夜卿は酔いつぶれた俺をこの部屋に連れ帰り、こんなふうに押し倒したんだ」
「うう・・・・・・」
「押し倒されて意識を取り戻した俺に、卿は何をした?」
「・・・・・・」
 息がかかるほどの距離にロイエンタールの顔がある。彼を惹きつけてやまないその人が自分を見つめ、その体温が触れ合う太股から熱く伝わってくる。過度のアルコールのせいできれいさっぱり忘れた記憶を思い出せそうにもないが、この状態で自分がやらかしそうなことなど、ひとつしかなかった。そんな大それたことを、自分がしでかしてしまったということは信じられないが、もうそれしか考えられなかった。
「閣下、申し訳ありませんが、昨日のことはどうにも思い出せそうにはありません。しかし」
「しかし?」
「今、閣下に申し上げたいことならございます」
「・・・・・・言ってみろ」
 ベルゲングリューンは、自分をじっと見上げる金銀妖瞳をしっかりと見つめた。心臓がうるさいくらいに拍動している。
「閣下、私はあなたのことが、どうしようもないほど好きなのです。お側にお仕えできるだけで満足だと、そう思おうとしていたのですが、それだけではもう足りないのです。あなたが欲しい。愛しています、私をあなたのものにしてください」
 形のないものにそれを与え、言葉にすることの難しさをベルゲングリューンは痛感した。どれほど言葉を尽くしても、自分のこの思いを十分に言い表せるとは思えない。あとは、言葉以外のものでこの思いを伝えたい。ベルゲングリューンは切なげにロイエンタールの頬に髭の頬を押しつけた。
 ベルゲングリューンの告白を聞き、ロイエンタールは昨夜と同じような満たされた感じをおぼえていた。これも彼の思いなのだろう。酔いに任せた告白を信じきれない気持ちもあったが、その疑いも今はすっかり晴れた。昨夜のことは自分だけの秘密にするのも悪くない。
『好きだ、好きなんだ。俺のものになってください。あなたのためなら何でもする。あなたに寂しい思いなんかさせるもんか。閣下、俺にしておきなさい。俺ならあなたにあんな顔させない』
 ベルゲングリューンが何を見てどう感じていたのかはわからないが、そう言われてこのうえなく嬉しくなった。それを、翌朝にはまったく忘れたように、実際は忘れていたのだが、振る舞うのが、ロイエンタールには許せなかったのだ。
「ヒッ」
 突然、ベルゲングリューンが体を跳ね上げた。張り詰めた彼の股間をロイエンタールの白い指が撫であげたのだ。
「なにを?!」
「昨夜も相当なものだと思ったが、今宵はさらに立派ではないか」
 何を言われたのか合点がいったとき、ベルゲングリューンはさらなる混乱に突き落とされた。
「あ、あの・・・・・・・、昨夜は、その・・・・・・どこまで?」
 ロイエンタールはフフと笑って答えてくれない。まさか、記憶にない昨夜の俺は閣下の肌を知っているというのか? 
「閣下・・・・・・んァッ」
 ロイエンタールの指が、布越しに探り当てたベルゲングリューンの亀頭をくすぐる。不意をつかれて変な声を上げてしまったが、そのせいでもう後戻りできないほどに男が育ってしまったことを感じた。ベルゲングリューンは意味深にからみつくロイエンタールの指を股間からひきはがすと掠れた声で言った。
「よろしいのですな?」
 そして、その悪戯な白い指に噛みついた。

                     終わり



2019年の「静かな夢で終わる前に」に掲載していただいたものの再掲です。



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