短編 | ナノ


▼ 日猿



俺はオフでも大体仕事を部屋の中でやってる。昨日片付かなかったものを休まずやり続けているのだが、何故か絶対誤字脱字が見つかりやり直しの繰り返しだ。流石に6度目となるとうんざりしてくる。ガクリと項垂れていると、俺の部屋でくつろいでる伏見さんがこちらに視線を向けた。
今日は伏見さんもオフで、付き合っている関係なので俺の仕事が終わったあとどこかへ出掛ける予定だった。でもそれも無理そうだ。折角のオフなのに、俺がアホなばかりに…

「伏見さーん…」

終わらないですーと泣きつくように伏見さんの後ろから抱き竦めると、まあそうでしょうね、と溜め息をつくからまたそれが突き刺さる。
ふと伏見さんの手元を見ると、いつもみたいに暇つぶしにタンマツをいじっているのではなく、文庫本を持っていて、そういえば読書が好きだとか言っていたのを思い出す。

「そういや、読書好きなんでしたっけ」
「好きというか、読んでいる間はなんか余計なことを考えずに済むので」
「へぇ」

読んでみますか、と手元の本を俺に差し出す。日高さんみたいに語彙の欠片もない人にはまず本を読むのが効果的です、と言われ否定できずに落ち込む。本を手にとり表紙を見ればそこには人間失格、の文字。まあタイトルくらいは知っているが明らかに難しそうで今まで読んでみようという気にもならなかった。なのにこの人は19歳でそんな本を読んでいるのか。
ペラペラと頁をめくってみると、やはりそこには黒に点々の羅列としか思えないものが広がっていて、到底読む気にもなれなかった。

「俺はいいです。活字、苦手なんすよね。なんか集中力続かないし」
「でしょうね。」

心無しか少し伏見さんが悲しそうな顔をした気がした。なんだか罪悪感みたいなものが芽生えてきて、慌ててフォローしようと口を開く。

「あ、じゃあじゃあ!伏見さんが読み聞かせてくださいよ」
「…は?」
「そうしたら俺の集中力も続くと思いますし!」
「あんた、仕事いいんですか」
「大丈夫大丈夫!物語の中盤でキリのいいところで読み終わって下さい!そのあと仕事続けるので」

少し怪訝な顔をして、それから折れたようにわかりました、と呟いて頁をめくる。伏見さんの細くて白い指が紙を撫でるのを見て、なんだか様になっているな、と思う。俺には多分似合わないだろうな。


「"私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、」
「あ、ストップストップ」
「…なんですか」
「サンヨウ、って何ですか?」
「あんた…本当に公務員ですか…」
「すみません」
「ハァ、三葉というのは今でいう三枚という意味です。葉書なんか数える時もこれで数える場合もあります」
「なるほど!」
「…続けますよ」

それからも俺が頻繁にストップをかけて質問をしても伏見さんが怒ることはなかった。最初こそ苛ついてはいたが、あんたには少し難しい本だったみたいですね、と呆れられたらしい。悲しいことこの上ないが、実際そうなのだからどうしようもない。

部屋に心地よい伏見さんの声が響く。棒読み近いが聞き易い。分かり易い解説付きなので理解もできる。時間が経つのも忘れてその物語に浸る。

「"ーー自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困ら ない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです"」
「…これ、伏見さんの実体験の話ですか」
「…刺しますよ」

どれくらい時間が経ったのだろうか、相変わらず物語の全容は掴めずに、これから、というときに伏見さんがピタリと読むのをやめた。

「"ーー背後の高い窓から夕焼けの空が見え、鴎が、「女」という字みたいな形で飛んでいました。"……はい、終わり」
「え、もう終わりですか?」
「これから第三の手記になるんですけど、それからはまた今度読みます」
「えー折角なら全部読んじゃいましょうよ」
「あんた…仕事あるだろ」
「う…」
「それにあんたは聞いてる側だから問題ないだろうけど俺は解説付きで読んでるから喉乾いてしょうがないんすよ。」
「…すみません」


眉をひそめたあと、立ち上がりコーヒーを入れに行った。少し悪いことをしただろうか。
仕事に戻ろうとその場を立とうとしたとき、入れてきたらしい伏見さんが座ってください、と俺にコーヒーを差し出した。
は、はい、とコーヒーを受け取ればドサリとソファにもたれかかり隣座れと目で合図してきた。逆らえない。

「…どうでしたか」
「へ?」
「人間失格」
「あ、ああ、思ってたとおり難しいんですけど、なんか思ってたより理解出来るというか、伏見さんの解説付きだからだと思いますけど、やっぱ名作って読んどくべきだなって思いました。」

これ以上地雷は踏まないよう、恐る恐る言葉を選んで尚且つありのままの心情を伝える。すると、伏見さんがクスリと笑った。

「…感想も、中学生の感想文みたいなんすね…」
「は、はあ」

どうやら少しツボにハマったらしく、しばらく笑っていてなんだか恥ずかしくなる。笑いすぎですよ!と咎めるように言えば、あんたは早く仕事に戻ってください、と一蹴された。

渋々パソコンに向かうと、そういえば、と話を聞きながら疑問に感じた事があったことを思い出す。

「あの、伏見さん」
「はい」
「よく解説付きで話せますね、何回か読み返してるんですか?」
「まあ、5回くらいは」
「ごっ…」
「ちゃんと理解するまで読みたいんですよ。ほかの本なら1回で理解出来るんですけど、この本は解釈がいろいろあるので」

なるほど、と納得する。でも俺は他のも何回か読み返しても理解出来るか怪しい。というか集中力がまず続かないだろう。

「ねえ、日高さん」
「は、い」
「早く終わらせてくださいね、俺五島帰ってきたら自分の部屋戻るんで」
「え!?」

あんまりだ。この量を定時の時間に終わらせるなんて無謀だ。この人は分かってて言ってるのだろう。帰る気満々なのだ。

「伏見さんー手伝ってくださいー」
「嫌です」






湯田さんのキリリクで「読書が趣味な伏見くんが、活字が苦手な日高さんに本を読み聞かせる日猿」でした。こんな感じで宜しいでしょうか!ちなみに私は人間失格を読んだ事がありません!すみません!





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