「サソリ、いつまで籠っているつもりじゃ。食事の時くらい出てこんか」
「今行きます、チヨばあさま」

 祖母の呼び声が聞こえれば、七歳の俺は傀儡をいじる手を止めて、素直に居間へ向かったものだった。一丁前にも工房をまるまるひと部屋与えられていた俺は、日々時間も忘れて傀儡作りにいそしんでいた。家柄も良く、金にも才能にも恵まれていたから、物には何ひとつ不自由したことがなかった。一式奇麗に揃った彫刻刀、ねじ回し、繊細な仕上げを施すやすりに堅固さを与えるニスの瓶。俺の工房にはどんなものでも置いてあった。それらの道具をいじくり回していれば、孤独感も寂寥感も思いだすことがなかった。傀儡に夢中になるあまり身体じゅうを木屑まみれにし、両手を塗料でべとべとにしたまま居間へ行っては、祖母によく叱られたものだった。

「おお、今日も御苦労さまだな。サソリ」

 そして居間へ行けば、たびたび三代目風影が待ち構えていたものだった。どういうわけか彼は俺の家へ足しげく通っては、食事を共にしたり、工房を覗きに来たり、俺の作品をとっくりと眺めて満面の笑みを浮かべたりしていた。彼は俺の頭を大きな手でよしよしと撫で、「サソリは天才だ、将来は私の右腕においで」と言った。彼にほめられるのは嬉しかった。俺は彼が好きだった。長期任務のせいで両親が不在の俺にとって、彼は年の離れた兄か若い父親のような存在だった。いつか絶対に彼のもとで働くのだと、俺は子供心に決めていた。






「サソリ、いつまで籠っているつもりじゃ」

 祖母の呼びかけには答えず、俺は作業に没頭する。もうかれこれ一週間はこの部屋から出ていない。今や工房兼書庫となった地下室で、俺は専門書を渉猟していた。毒に関するものだ。本棚から数冊を選んで机の上に広げたが、傀儡の部品が散らばっているせいでページをたぐるのが難しかった。薬臭くほこり臭い空気が鼻にまとわりつくのも鬱陶しくて、そろそろ換気が必要かもしれない、と思った。
 広げた文献を目で追う。必要な情報を探し出し、それに基づいた薬剤を棚から選びとって机上に並べた。役者も充分そろっている。数十本にわたる試験管、ビーカー、シャーレ、すり鉢にすりこぎ。そして、この俺の手。必要なものは全てここにあった。

 ちまたでは、俺は「天才傀儡師」などと呼ばれる存在になっていた。同時に薬学をも身につけた俺の右に出る者など、この里には誰ひとりとしていなかった。十五歳にして部隊長を勤めていた俺を妬む者は多かったが、俺は全て巧みに手玉に取ってきた。目を細めて相手を見やり、うっすらと口元に弧をつくる。たとえ罵声を浴びせられようと表情は崩さず、砂漠で毒を振りまく節足動物のように、しかしゆっくりと上品に、そいつの傍らへと近づく。そして耳元で少し囁いてやりさえすれば、そいつは俺の思いどおりに動いた。指の代わりに吐息で動く傀儡のようなものだ。(尤も、指も使えば確実にモノにできた。)何もかもが、簡単だった。

 今回も簡単だった。文献の解説と調合比率表を参考にすれば、あっという間に猛毒が完成した。侵されれば確実に死に至るそれだ。解毒薬を作ることもできなくはないが、今は必要がない。毒とは殺めるためにあるものだ。この毒にしたって、あの男を殺すための毒なのだ。
 針のように細い刃を傀儡の部品の中から引き抜き、それに調合した毒を塗装した。よく研がれたその刃の上で、紫色の液体がてらてらと光った。これで準備はととのった。俺はそれを自分の懐に忍ばせた。もともと傀儡の仕込み武器として作られたそれを自分自身に忍ばせることなど、俺には簡単なことなのだ。



 月明かりが凍りつくように冷たく輝いているにもかかわらず、生ぬるい風が吹き荒れる砂隠れの里の夜。俺は通い慣れた道を通り、行き慣れた部屋へ忍び込んだ。いや、忍び込むというほどのことはしていない。この男はいつだって無防備なのだ。
 部屋の主は黒髪で結った髷を解かぬまま、寝床で穏やかな寝息をたてていた。今から俺に殺されるというのに呑気なものだ。こんな奴でも里長になれるものかと、俺は蔑んだ目でその男を見おろした。そして懐に忍ばせてきた毒刃に、ためらうことなく手を伸ばした。

 すると熟睡していたはずのその男が、三代目風影が、ゆるやかに目を開けた。目を開けるという動作以外は何もせず、驚いて眉をひそめるどころか瞳すら微動だにさせず、彼はただ緩慢に瞼を上げた。そして俺の瞳をそこに吸い込ませた。

「どうしたサソリ、眠れないのか?それとも十五にもなってここに来たくなったのか?」

 そう言って彼は自分の毛布をまくりあげ、体をずらして寝床の中に空間をつくり、俺に示した。「一緒に寝よう」そしてへらへらと笑った。彼の布団からふわりとぬるい空気が持ちあがり、俺の思惑を覆っていった。頭の中に溜まっていた澱のようなものが浮上する。胸が熱くなる。幼少期の思い出が走馬灯のように、ただしゆっくりと、よみがえる。
 そうだ、あれは祖母といさかいをした日。俺は八歳だった。あの日もこんな生暖かい夜だった。両親の遺骨がようやく発見されて、家に届けられて、俺はどういうことだと祖母を詰問した。そして、詰問した末に真実を知った。誰も信じられなくなって、どうしたらいいのかわからなくなって、気づいたら俺は三代目風影の胸と毛布に包まれて泣きじゃくっていた。

「サソリ、おいで」

 だが彼は知らない。俺が今夜、この部屋に来た理由など知らない。彼が両親を戦地へ向かわせさえしなければ、両親は死なずにすんだのにと、俺が怨恨と殺意を抱いていることなど、知らない。
 あの日から変わらない寛大なまなざしが、俺の顔をみてやわらかく笑った。それは俺の身体を彼の布団へともぐりこませた。さて、どうしたらいいかな。八歳の頃よりも幾分小さく感じられる彼の胸の中で、俺はとりあえず目を閉じた。
 外で強い風が吹く音がする。砂を存分に含んだ砂漠の風が、建物の壁にざわざわと当たっている音がする。三代目風影が俺を太い腕で抱きしめた。力強くあたたかい腕だった。布団がざわざわとこすれる音が、俺の耳元に囁いた。








201012
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