「ほら、着いたぞ旦那。部屋に入ったら寝ていいから、もうちょっと頑張れよ、うん」

 旦那が一人暮らしをしているアパートの玄関をくぐり、靴を脱ぎ捨てて(旦那の足も靴から引っこ抜いて)廊下に上がった。旦那は少し前から苦しそうにうめき声をあげていて、時々オイラに待ったをかけては立ち止まらせた。そして「吐く…」と弱々しく唸った。実は、道端で既に一回嘔吐している。一度やってしまえば二度目はそうそうないだろうが、オイラは旦那がうめく度に一応背中をさすってやった。これはでかい貸しを作ることが出来そうだ。今度何か奢ってもらおう。いや、それよりもレポートのひとつでも書いてもらおうか。

 部屋の扉を開くと、旦那はオイラの肩を離れてベッドにどさっと倒れこんだ。やれやれ、これで一安心か。オイラはベッドの上に散らばっている学術書の類をひとまとめにして床に下ろし、毛布を旦那にかけてやった。飲み水とかも用意しておいた方が良いだろうか。それと、念のために洗面器。ひと通り身の回りの世話を片付けてから(なんて甲斐甲斐しい後輩なんだ!)最後にオイラは一声かけようと、うつぶせになって死んでいる旦那に再び近づいた。

「これに懲りたらもう飲みすぎんじゃねえぞ」

 すると旦那がもぞもぞと頭を振る。枕に顔を埋めたまま、ドスのきいた声でオイラの名前を呼んだ。嫌な予感がした。一刻も早くこの部屋を出た方がいいと、第六感がオイラにそう告げた。急いで足を動かす。身体をドアのほうへ向ける。シャツがくっと後ろから引っ張られる感覚がある。振り向くと、赤ら顔した旦那がオイラの服の裾を掴み、焦点の合っていないまどろんだ視線を寄越していた。

「デイダラてめえ俺を置いて帰る気か」
「いやその!オイラ課題とか終ってねえんだよな!うん」
「そりゃてめえが悪いんであって俺の知ったこっちゃねえ」
「はああ!?つか旦那意外と元気だな!もう大丈夫だろ!オイラ帰るぜ!」

 これ以上付き合ったら負けだ。オイラは旦那の手を振り切って逃げようと思った。だが、彼の手はシャツの裾からオイラの手首へと一瞬のうちに飛び移り、オイラを彼のベッドへなだれ込ませた。ばふっ、と自分の身体がやわらかいスプリングの上で跳ねる。同時に、旦那の華奢な身体もオイラの隣でぽんと弾んだ。おい、ちょっと待て。これどんな状況ですか。

「俺より先に寝やがったら殺す」

 コンビニの前で襲ってきた時とは雲泥の差の、インク切れのボールペンみたいな鋭さで彼はオイラを睨み、ぼそっと、しかしはっきりと、顔に呼気が吹きかかりそうな距離でオイラをそう脅迫した。
 旦那は戸惑うオイラをよそに瞼を下ろし、あっという間に寝息を立てはじめた。その長い睫毛が肩の上下に合わせて揺れる様子が、赤らんだ頬にやたらと良く似合っていた。まったく、何て仕打ちだ!このどうしようもなく駄目な先輩に、そしてとんでもなく美しい顔で眠る先輩に、オイラの心臓は否応無しにばくばくと高鳴りを増していた。自然と手が伸びて、オイラは彼の赤い髪に指を差し込んでいた。そしてそのまま、肩を抱いていた。やっぱり華奢だった。

(…抱きしめても、いいかな)

 腕に力を込めると、胸の鼓動がさらに気持ち悪く鳴り響いた。旦那にそれが伝わってしまうのが怖かったが、腕の力をさらに強めずにはいられなかった。こいつは不可抗力だ。オイラは旦那が寝付いてもしっかり起きたままなのに、約束を破ってオイラを生殺しにかかった旦那が悪いのだ。そうわけのわからない理論に自分を正当化させながら、オイラは自分で自分の首を絞め続けるのだった。


 畜生!信じらんねえこんな先輩!覚えてろよ、オイラも来年にはこれでもかってくらい酔っ払って、旦那を困らせてやるんだからな!うん!
 そう心に誓って、オイラもそのまま眠りにつこうした。だがそんな努力も虚しく、目は冴える一方だった。翌日のテストと課題のことがふと頭を過ったが、今のオイラはそれ以上に、自分の中に生まれくる感情の責任について、必死に考えを巡らせていた。






201012

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