酒場パロ【夢売り】 第10話





 夢と現実の狭間から、ぽたぽたとアルコールが染みだしていく。そしてその液体は、オイラの脳をどろどろに溶かしていく。今まで必死に保ってきた自制心が水風船に針で穴をあけたみたいに流れ出て、旦那のアルコールと混ざり合い、粘度の高い枷となってオイラの身体にまとわりついていく。

 学園祭での演奏が評価されて、オイラは課題に追われるようになっていた。先生の注文は日に日に厳しくなっていくし、他の楽器を専攻している学生にピアノ伴奏を頼まれることも増えた。これは周りがオイラを認めてくれ始めたということで、今まで落ちこぼれだったオイラにとっては凄く嬉しいこと。だから頑張ることにした。音楽に集中する決心をしたんだ。

 だけど、相も変わらずまとわりつく想いが、オイラの決意を鈍らせていた。あの日から、旦那とキスをしたあの日から、あの温度が、あの味が、あの心地良い酔いが忘れられなかった。オイラの心は旦那でいっぱいだった。これ以上オイラの心に、旦那の為の場所をくれてやる訳にはいかなかった。だから、あの酒場には近づかないようにしていた。それなのに!





 ばくばくと胸を突く鼓動が痛い。細いのに骨張った腕に抱き締められて、息をするのも苦しい。なのに、射るような眼をした旦那の顔は容赦なく近づいてきて、オイラの呼吸を塞いだ。すぐに唇をこじ開けられ、熱いものに口内をかき混ぜられた。

 喉の奥をえぐるような、あの日よりもずっと激しいキス。今日はカシスの甘さも、ウイスキーの木臭さもない。ただただ旦那の味だけが、オイラをこれでもかという程に酔わせていく。ひょっとして旦那は、どんな北国の酒よりも強いアルコールを体内に持ってるんじゃないのか、と思う。だって、オイラなんかたった一滴でころっといっちまいそうになる。

 オイラは旦那が好きで、旦那が欲しくてたまらなかった。だけど、これ以上何かを受け入れることなんて、今のオイラにはできないことも判っていた。このままじゃ壊れちまうし、壊されちまう。オイラの心は小さいし、弱いし、やわなんだ。そんな事はわかってんだ!

 旦那が求めてくる。オイラも必死で応える。だけど残酷にも意識は遠退いていく。
 もういいや、どうにでもなっちまえ、ついそう思いかけてしまう。そして、それならそれでも良いやと、諦めのような思いすら頭を過る。そしてそう出来たならどんなに楽だろうという思いすらも。




 だけど、オイラは腰に回ってくる旦那の手を感じて我に返ってしまった。

「はわ!待った待った旦那あああうん!」

 重ねていた唇を離し、わぁわぁ叫びながら、その手を阻止しようと足をじたばたさせる。

「…少し静かにしてろ」
「んー!んー!」

 強引に再び唇を塞がれる。甘い息苦しさが、喉を握りつぶそうと襲ってくる。
 オイラは旦那の腕の中でもがき続けた。もはや何に抵抗してるかも判らなかったけど、ただそうする事で、自分を保とうとしていたんだと思う。

 結果、オイラは解放されて、キスをしていた相手と数分ぶりに顔を見合わせることになる。お互い息がすっかり上がっていた。旦那の瞳には茹り上がった自分が映っていた。本来真っ白なはずの旦那の頬も、血色が良く赤らんでいた。

 旦那が口を開きかけたけど、オイラは旦那が言葉を発するのを妨げるように、思わず大声を出していた。

「おおおオイラはピアノ練習すんだっ!夜にならないうちに!近所迷惑になっちまうから!つか旦那ももうすぐ店開きだろ!やばいって、うん!」

 怖かったんだ。

 旦那はしばらくオイラを見つめていた。いつもなら判る旦那の無表情の中の表情も、今のオイラには判らなかった。それどころか自分の気持ちすら判らなくて、自分で自分に戸惑うことしかできなかった。

 旦那は無言でふいっと視線を外しオイラの身体から手を離すと、扉を乱暴に開けて部屋から出て行ってしまった。
 遠ざかっていく足音と共に、アパートの柵か何かが、思いっきり蹴られる音が聴こえた。









 …何秒間か、何分間か、何時間か。オイラは焦点の定まらない目で、旦那が出て行った扉のあたりをぼうっと眺めていた。
 オイラの心は足音と一緒にどっかにいっちまって、蹴られる音と共に消えてなくなっちまったんだろう。もしくは扉の向こうのアパートの柵に引っかかって、ふわふわと風に吹かれているんじゃないか。とにかくそれは、オイラの胸には収まっていなかった。心が抜け落ちた胸はぽっかり穴が空いたみたいで、何も考えられなかった。

 ふとベッドに目をやると、見慣れない紙袋が置いてあった。初めはそれが何なのか認識できなかった。けど、少し間をおいて、ようやく思い当たる節を見つける。
 多分…旦那の忘れ物だ。

 腕を伸ばして、袋の中身を取り出してみる。それは洋菓子店でよく見るような厚紙の箱で、ひんやりとした空気をはらんでいた。
恐る恐るふたを開けてみる。そこには既にしぼんだドライアイス、そして色とりどりの空模様が入っていた。

(…カクテルゼリーだ…うん)

 グラスという透明なキャンバスの中に、鮮やかに彩られた空。それらは旦那の作るカクテルと同じ輝きを放っていた。まぎれもない旦那の芸術が、目の前にあった。

 箱の中からオレンジ色のゼリーを選び、手に取ってみる。旦那があの酒場で作ってくれたカシオレと同じ夕焼け色が、窓から差し込む夕日にも負けないほどにオイラの視界を染めていった。

 …きっと、酒が飲めないオイラの為に、旦那が作ってくれたんだ。毎晩、忙しいはずなのに。ろくに寝てもいないはずなのに。

(何やってんだよ旦那…!オイラなんかの為に!)





 気が付くとオイラは靴を履いてアパートを飛び出していた。夏のしぶとい太陽も沈んで、空が夜を迎えようとしている。オイラの足の向かう先に迷いはない。そろそろ開店の時間だ。

 でも自分は旦那を一度拒んだ身。どんな顔をして会ったら良いのかわからなかった。
むしろ、向けられる顔なんてどこにもないのかもしれない。そう思ったら、胸にどんよりと圧し掛かっていたものが鋭い形に変わって、ずきずきと痛くなった。







- to be continued. -



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