酒場パロ【夢売り】 第9話





 翌日、俺は珍しく昼間っから外出していた。バーテンダーという仕事柄夜通しで作業をすることが多いから、普段ならこの時間は仮眠をとっている。
この仕事は嫌いじゃないが、一般人の生活に合わせるには不便だ。どうしても寝不足を強いられる。しかも昨晩はあれから一睡もしていない。むかむかして眠るどころじゃなかったのだ。

 右手に引っ提げた紙袋からは微かに冷気を感じる。一応日持ちするようにはしてあるが、この照りつける太陽の下では少し心配で、俺は自然と歩幅が広くなった。


 辺りを良く見回しながら、何日か前に通ったのと同じ道を探し出していく。
(ここを右に曲がったんだったか?いや違うな…待てよ、あの駐車場には見覚えがある。)
 迷いながらも何とか歩を進めていくと、向かいの古びたアパートからピアノの音が聴こえてきた。

 見つけた。あそこだ。

 あの日デイダラを送ってやったアパートの中へ入り、ピアノが一番大きく聴こえてくる扉の呼び鈴を鳴らした。
 音がぴたりと止む。扉ががちゃりと開く。そこに立っていたのは懐かしい金髪の笑顔だった。

「旦那…!来てくれたのか!?久しぶりだな、うん!」





 デイダラに招かれ、俺は奴の部屋へ足を踏み入れた。
 そこはベッドと小ぶりなピアノが一台、その他はノートやら楽譜やらが散乱しているだけの、殺風景な部屋だった。

「オイラ課題あるから練習しなきゃいけねえんだけど…ベッドの上にでも座っててよ、うん」

 せっかく来てくれたのにごめん、と付け加えて、デイダラは再びピアノの前に戻った。
 まぁ仕方ないか。急に押しかけた自分も悪い。俺は大人しく座って、奴がピアノを弾いているのを眺めることにした。

「この前の学園祭での演奏、先生が褒めてくれてさ。お陰で課題は増えるし、他の楽器の奴らに伴奏頼まれちまったりして、忙しいんだ。うん」

 ピアノに向かう手は休めないままに、デイダラは俺に話しかけてきた。

「でも嬉しいんだろ?」
「うん、嬉しい。だから頑張んなくちゃな!」

 奴の指先は、俺が来てからずっと同じ動きを繰り返している。ある曲の一か所を集中的に練習しているようだが、何回やっても同じ音で指を止めるのだ。
 その指の主も顔をしかめているのを見ると、どうやら煮詰っているらしい。

「さっきから同じところしか弾いてねーのな」
「うん…ここの和音がどうしても上手く響かせられねえんだ」

 そう言ってデイダラはまた同じ箇所を弾いてみせ、ほらこの音、と示した。
 首をかしげる俺を見て、奴はもう何回か同じ事を繰り返す。

「どう?旦那」
「そんな一瞬で流れてっちまうんじゃ、どれも同じに聴こえる」

 俺は正直に答えてやったのだが、奴は少し声を荒げて反論してきた。

「旦那、音っていうのは一瞬の美なんだ!一瞬一瞬が勝負なんだぞ!うん!」

 音楽なんて判らねぇ俺に聞くのが間違ってんだろうが。



 しばらくの間そんな調子が続いたが、こういう事は急に上手くいったりするもので。何百回も同じ鍵盤を叩いたデイダラの指先から突然、俺にも今までとは違うと判る程に、澄んだ和音が鳴った

「…今の、何か良かった気がする」
「オイラも今のは上手くいったと思った!」

 言い終わらないうちにデイダラはピアノから俺に向き直り、

「やっぱ旦那が居てくれると何でも上手くいくな、うん!」

 嬉しそうに顔を輝かせた。

 俺の気持ちなんて何にも知らないだろう、純真で無防備な、屈託ない笑顔。
それを見た途端、俺の中で煮えくりかえっていた黒いモノが、ぱちんと音をたてて弾け飛んでしまった。

 そもそも今日ここに足を運んだのは、この煮えくりかえるような胸の内を何とか晴らしたかったからで、その為にはこいつに会うのが一番だと思ったからで…いや、そんなのは言い訳で、

 あの日からずっと、俺はこいつの事ばかり考えていた。
 酒をつくってはカシスを注ぎたくなり、冷蔵庫を開けてはオレンジジュースにこいつを重ねた。客にグラスを差し出しては、その先にこいつがいる事を願った。閉店間際になれば、またカウンターに突っ伏して寝ているこいつがいないかと、空しい期待をしている自分がいた。

 俺はどうしてもこいつに会いたかったのだ。
会って、触れて、また腕の中に収めて、自分だけのものにしてしまいたかったのだ。


「うわっ!旦那!?」


 俺は思わずそいつを抱きしめていた。
腕の中でもぞもぞと動く金髪に顔を埋め、きつくきつく。ただでさえ苦しい胸を、さらに苦しくするくらいに。
 弾けた黒いモノの中から、理性なんてものは出てきやしなかった。

(チッ、てめーは俺をこんなにしやがってどういうつもりだ!)




- to be continued. -



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