酒場パロ【夢売り】 第8話





 首が痛くて目が覚めた。ついでに頭も痛かった。頬に手を当ててみたら、自分の髪が貼り付いた無数の細い痕が残っていた。
 今までオイラの頭が乗っていたと思われるそのカウンターテーブルには、見っとも無いよだれの染み。上半身を起こし、椅子に対して垂直の姿勢になると、肩に掛けられていた毛布が背中側の床にハラリと落ちた。

 はたと気がついて状況確認をする。ここはオイラのお気に入りの酒場で、窓から差し込む陽は既に明るい。自分は昨晩ここに来た時と何ら変わらない服装で、いつものカウンター席に座っている。口の中には、飲んだ覚えのないウイスキーの木樽の味が、僅かに残っている。

(そうか、あの後…)

 記憶を辿ると、それは案外鮮明に思い出されて、途端に全血液が流れ込んできたかと思うほどに顔が熱くなった。

 オイラ、あのまま眠っちまったのか…うん。
 …そうだ、旦那は。サソリの旦那はどうした。

 隣の空っぽの椅子に手をつく。それを支えにして床へ足を降ろし、店の奥へと駆け足を進めた。

 あまりにも静かなその店内にオイラは恐怖を覚えた。
 やっぱりあれは旦那に見せられた夢だったのか。口の中のウイスキーの香りを何度も確認しながら、膨らんでゆく疑惑を懸命に否定する。


 すると、調理場のほうから赤い髪がひょっこりと顔を出した。

「…起きたか?」

 その瞬間、これ以上ないくらいの安堵が溜息となって溢れる。

「腹減ってんじゃねーかと思ってよ、有り合わせで作っといたから食え」

 旦那の手には皿に乗った一切れのサンドウィッチ。それを適当なテーブルに置くと、オイラを椅子に座らせる。いつも通り、無表情の裏に優しさをちらつかせたずるい顔で。

「…旦那は食べねーの?」
「俺は朝は食欲がねぇ」

 ぶっきらぼうにそう言い放つ旦那。

(オイラもう無理。マジで泣きそう。うん)




 ささやかな朝食を摂った後、旦那は二日酔い野郎を野放しには出来ないとか訳のわからないことを言って、オイラを家まで送ってくれた。

 現実味のない時間は終わり、またこの部屋でいつも通り独りになった。浮ついていた足元がへなへなと崩れ落ち、床にぺたんと座りこむ。旦那が、優しい。元々優しいとは思っていたけれど、これほどとは。

(昨日は一体何だったんだろ…)

 旦那と、キスをした。少なくとも嫌ではなかった。それどころかあの華奢な腕を、薄赤の瞳を、生温い唇を、自分は求めてやまなかった。そしてそのまま、彼のものになってしまう事すら願っていた。
 思えば初めて会った時からそうだった。オイラの心は最初から旦那に支配されていたんだろう。顔がぽっぽと脈を打つ。

「旦那ぁ…」




 ***




 あいつと唇を合わせてからもう随分と日が経った。今日も俺は変わらず、この煙草臭い店で酒を作っている。
 客に言われた通り適当にリキュールを注ぎ、どうでもいい割ものでガバガバとグラスを満たす。カウンター席に座る騒がしい男どもを一瞥すれば、奴らはビクッと肩を上げた。

 リン。聞き慣れた鈴の音が鳴る。その扉が開く度にそちらに目をやるが、期待する人間は入ってこない。

 …あの時、初めに目に付いたのは美しい金の髪。愛想がないと思っていたら、実は涙を必死にこらえていたあの碧い眼。俺の作品に夢中になっていたかと思えば酔い潰れて眠りだす。餓鬼だ餓鬼だと思っていれば類稀なる音色を響かせてみせる。挙句の果てに殺し文句を吐きやがる始末。

(どうかしてるな、俺は)

 やはりあいつとの口付けも、俺が売った只の夢だったのだろうか。
 酒というものには人を狂わせる力がある。どんな人間でも、酒に酔えば少なからず普段の自分では無くなるのだ。俺は客にそんな夢を売っている、酒場の人間。現実を求めてはいけないのに。

(つかそもそも、相手は男じゃねぇか)




「おいバーテンさんよ、この酒はちょっとねぇなぁ。もっとマシなもの作りやがれオラ!」

 突然カウンターの端の席から罵声を浴びた。
 見ると、煙草をプカプカと吹かしている中年の男が、これでもかと云うほどの悪人面を俺に向けている。その手には、先程俺が作ったと思われるカクテルが握られている。ああ、ヘビースモーカー野郎の為の適当なカクテルだ。

「オイオイ…俺ぁバーテンちゃんがお気に入りでこの店に来てやってんだ…その眼はないんじゃねぇのー?」

 男はそう言ってニヤリと笑うと、カウンターに体を乗り出してきて俺の顎を掴み、乱暴にそれを己の方へ引き寄せた。煙草とアルコールの臭いが入り混じったその吐息がたまらなく不快だ。

「相変わらずキレーな顔してやがんねぇ」

 目の前から降り注ぐ厭らしい視線が俺の顔中を舐めるように這う。

「…この後ちっとばかし俺と付き合ってくれんなら、許してやっけど?ん?」

 その言葉を聞いた途端、俺は頭にカッと血が上ったらしい。
 俺は気がつくとカウンター下の棚に陳列されていたグラスを思いっきり蹴っていた。ガラスが派手に割れた音が店内に響き渡る。周りに座っていた他の客の顔が一斉にこちらを向く。調理場からも由良が飛び出してきた。

 男はそれに怯んだのか、俺の顎を掴んでいた手の力が緩んだ。その隙に男の腕を引っ掴んでテーブルに叩きつけ、体制を立て直す。

「…失礼いたしました。新しいものをお作りしますので」

 低い声で冷ややかにそう告げてやった。






 数時間後、時計も午前3時をまわり、何とか閉店を迎えることができた。脚の痛みに耐えつつ、先程自分で割った分のグラスを棚に補充し、一通りの清掃を終える。黙って手伝ってくれている由良も、始終心配そうな視線を送ってくる。

(やっぱり俺はどうかしてるらしい)

 客とトラブルがあったのは、何も今回が初めてではない。ただのクレームではなく、下心剥き出しの文句を受けたことも何度もあった。しかも今回に関しては、きちんとした酒を提供しなかった自分にも非がある。

 それなのに、こんなにも怒りに手が足が震えた。あの厭らしい目つきに我慢がならなかった。心の奥で、自分でも驚く位の苛立ちと、何やら黒いモノが煮えくり返っている。吐き気がする。

「サソリ様…」
「ああ、悪いな、もう上がっていい」

 由良を帰した後、俺は少し落ち着こうと、暫く調理場にこもることにした。冷蔵庫を開けるとひんやりとした空気が顔を刺し、頭が冷やされるようだった。
 オレンジ色の見慣れた紙パックが目に入り、つい手に取る。あいつの眩しいくらいに火照った顔が瞼に浮かんでくる。

 この俺にここまでさせるとは。あいつはどうしても俺の心を掴んで離してはくれないらしい。





- to be continued. -






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