酒場パロ【夢売り】 第6話
ふいに店の奥からガタッと音がした。カウンターの向こうの、従業員用と思われる扉がゆっくりと開く。
「…由良、居たのかよ」
面倒くさそうな顔をした旦那がオイラの隣でぼそっと呟いた。
(由良?)
オイラの視線はその扉からこちらに歩いて来た男に捕まる。鋭い目つきに黒髪。顎に短く髭を生やしている。年の頃はサソリの旦那より大分上…いや、意外と近いのかもしれない。旦那は若く見えるから。
「すみません、ちょっと残していた仕事があったもので」
「この店の人かい?うん」
「はい、サソリ様の弟子として働かせて頂いております」
疑問を口にしたオイラに、その男は顔に似合わず明るい声で答えた。
「弟子なんていたのか旦那!」
思わぬ人物の登場に驚いて、オイラはつい腕を大振りする。その反動でカシスオレンジの入ったグラスが瞬間的に傾いて、中身がパッと飛び散った。
旦那はそれを服に受けて心底嫌そうな顔をオイラに向けたが、文句を言う代わりに深く溜息をつく。
「…俺は弟子にした覚えはねぇがな」
「直接お会いするのは初めてですね」
旦那はオイラが引っ掛けちまったカシオレの染みを取りに、席を離れている。
由良と呼ばれたその男は(元々旦那が座っていた)椅子をひとつ空けたオイラの隣に座って、親しみのある顔を浮かべた。人の第一印象ってのは大概にして当てにならないなと思った。
「オイラの事知ってんのか?うん」
「いつも私は調理場のほうにいますから。お顔は何回か拝見しています」
調理場…そう言えば、周りの客が軽い酒の肴を食べているのを見た事があった。旦那はずっとカウンターの中で酒を作ってるから、何時の間に用意してるのか不思議だったけど。
「そっか、あれはアンタが用意してたんだな、うん」
あの美味そうなチーズやサラダ、ちょっと食べてみたいと思ってたんだ。
「…デイダラさん、サソリ様を宜しくお願いします」
だが突然のその言葉に、オイラは度肝を抜かれることになる。
(旦那を宜しく…?何だよそれ!)
驚きを隠せないオイラに、由良は少しはにかんだような笑顔を見せた。
「私が弟子にと押しかけてからもうすぐ1年になりますが、サソリ様は未だにカクテル作りを教えては下さいません。きっと私にはあまり興味がおありでないんでしょう。彼は滅多な事では他人に干渉しません。そういう方です」
由良は淡々とした声で続ける。
「そんなサソリ様が、貴方を認めて、こうして一緒に酒を飲んでいる…。私は、彼があんな優しい顔をして誰かと話しているのを見るのは初めてです」
…こいつは、よっぽど旦那のことが好きなんだろうな、と思った。
旦那に憧れ、旦那の教えを乞うためにここで働いている。旦那に関心を持ってもらえていないとを判っていながら、それでも旦那の傍を離れずにいる。もはやカクテル作りを教わるなんて、如何でも良いと思っているのかもしれない。オイラがそうだった様に、旦那が作品を作るその様子を眺めているだけで幸せなのかもしれない。
何だこの気持ち。悔しいような、寂しいような。けどそれと同時に、もっとこいつの口から旦那の事を聞いてみたい、とも思った。
「もし私がさっきみたいにサソリ様にカクテル零したりしたら、即刻破門ですよ。きっと」
そう言って由良はアハハと笑った。
「サソリ様はああ見えて寂しがり屋ですから、一緒に居てあげて下さい」
「…俺が何だって?」
「うわぁ!脅かさないで下さいよ!」
「大声を出すな。ッたく」
「シミ取れました?」
「取れねえ」
席に戻って来た旦那と由良のやり取りを、ぼーっと眺めながらオイラは思った。彼らは自分よりも長い時間を一緒に過ごしてきて、お互いをよく分かり合っているんだろう。由良はさっきあんな風に言っていたけど、由良と話している今の旦那の顔だって、オイラの知らない顔だ。
「では、私はそろそろ帰りますね」暫くして由良が席から立ち上がる。
「え、帰っちまうのか?オイラもう少し話聞きたい、うん」
「すみません、自分は明日の朝も早いですし…またの機会に」
由良は旦那とオイラに会釈して店を後にする。出入り口の扉の鈴が鳴って、また店の中にいつもの空気が戻った。
「何で由良にカクテル作り教えてやらねえんだ?うん」
「…くだらねえ」
オイラの顔を見ずに、ウイスキーをくいっと一口飲む旦那。
(だって由良はあんなに旦那が好きなんだぜ…旦那は本当に気付いてないんだろうか)
オイラも負けじとカシスオレンジを口に運んだ。
ちくしょう。
「…旦那、オイラも旦那の弟子にしてよ」
途端に旦那の目が丸くなった。
「オイラも旦那の芸術を学びたい、うん」
「てめえはピアノだろうが。才能潰す気か」
「勿論ピアノはこれからも頑張るよ、オイラの生き甲斐みたいなもんだし、うん」
「ほー。そんな中途半端な気持ちじゃ駄目だろうな」
「なっ…!何だよそれ!旦那にはどうせわかんねえよ…!」
思ったことが馬鹿みたいにポンポンと口から出て、自分が焦っている事に初めて気がついた。
口調が激しくなって喉が渇く。少し落ち着こう、そう思ってカシオレをぐいぐいと喉に流し込んだ。
「おま…!下戸の癖に一気飲みなんてする奴が居るかこの馬鹿!」
案の定視界が揺らぐ。
「ははっ…オイラ…やっぱ酒には弱いんだな…旦那の芸術、もっと見たいんだけどな…」
もうろうとする意識を何とか保って一言そう呟くと、
「…んなもん、幾らでも見せてやるよ」
旦那の薄赤の瞳がまっすぐオイラを見つめていた。
- to be continued. -