酒場パロ【夢売り】 第5話





 学園祭当日はあっという間にやってきた。一週間前にデイダラに突き付けられたチラシを手に、俺は奴の通う音大へと向かう。

「あ、サソリの旦那!こっちだこっち!」

 奴は校門前の人だかりの中から俺を見つけて手を振ると、満面の笑みでこちらに掛け寄って来た。

「よかった、来てくれなかったらどうしようかと思った。うん」
「今日は店も休みだしな。暇だっただけだ」

 昼下がりの太陽が心地よい時分。店以外の場所でこいつに会ったのは初めてだが、陽の光を一杯に浴びている深緑の木々にも、風に揺れる奴自身の金色の髪にも負けない程に、その笑顔は俺の目に眩しく輝いて見えた。

「オイラの演奏はこのCホールでやるんだ。席数は少ねーけど、大抵のお客はAホールの優秀な奴らのコンサートに流れるからゆっくり来ても平気だ、うん」

 そう言いながらデイダラはパンフレットの校内地図を指で示す。

「じゃあ悪いけど旦那、オイラ準備があるからもう行くな。ちゃんと来てくれよ!うん!」




 ***




 薄暗い舞台袖。オイラの手足は震えていた。
(…前の奴、そこそこ上手かったな、うん)

 たかだかオイラ達程度の学生のコンサートのくせに情けない。コンサートなんて偉そうな単語より、発表会とでも言ってやった方がお似合いなくらいだってのに。
 あと数十秒後にはオイラも演奏を始める。ぺちっ、と頬を叩いて自分自身に喝を入れる。この日の為にどんだけ練習してきたと思ってんだ!

 申し訳程度のスポットライトさえ眩しく思えるそこへ、オイラは名前を呼ばれて足を踏み入れた。さすが、学校一狭いホール。お客の顔が嫌というほど良く見える。後ろの方に座っている旦那の顔も、はっきりと見える。

(…いつも通りの眼。大丈夫だ。うん)

 椅子に軽く腰を乗せる。ペダル部分に足を設定する。不格好な両手を、ゆっくりとモノクロの鍵盤の上に置く。
 オイラは決心して、思いっきりそれを叩いた。

 指が動くと、それに呼応して音は鳴る。音の粒が零れていく流れていく、まるで透き通った空気を彩るカシスのように。
 粒ひとつひとつは一瞬で消える、しかしそれらは混ざり合い、色を、表情を生み出していく。まるでカシスに加えられたオレンジジュースが、鮮やかな夕焼け色を映し出すように。




 ***




「旦那!」

 “CLOSED”の札が吹っ飛びそうな勢いでバタンと扉を開けると、鈴が趣のない音を立てた。今夜は旦那の店は休業と聞いていたが、とにかくオイラは早く旦那に会いたくて、店の中に駆け込む。

「今日!オイラすげー上手く弾けたんだ!旦那のお陰だ!うん!」

 一気にまくし立てると、奥に座っていたサソリの旦那がゆっくりとこちらを向いた。

「…ああ。聴いてたぜ」

 口角を上げずに、ただ一言そう告げる旦那。でも、一見無表情にも見えるその奥に優しい笑みが隠れていることを、オイラは知っている。

「お前も立派な芸術家だな。…ほら、そこ座れよ」

 そう言って旦那はオイラのいつもの指定席―カウンターの一番端を顎で示した。嬉しさに高鳴る胸を何とか押さえて、出来るだけ静かにその席に座る。

「今日は特別だ、何か作ってやる。何が良い?」
「…カ、カシスオレンジ!」

 そんなもんで良いのか?と不満げな声を出す旦那だったが、オイラは一貫してカシオレを頼んだ。
 カウンターの向こうでまたいつものように、旦那が透き通ったグラスの中に色を加えていく。いつ見ても綺麗だな…うん。心の中でそう呟いた。

 暫くすると旦那はカシオレを片手に、もう片方の手には背の低い別のグラスを持つと、カウンターの外側に回り込んできてオイラの隣の席に腰掛けた。
 まずオイラの目の前に、その夕焼け空の注がれた円柱形のグラスを置く。その後で、中身の量に対してやたらと氷だけが主張している背の低いグラスを、自分の前に置いた。

「旦那、それ…何?」
「ジョニ黒」
「じょにくろ?」
「ウイスキーだよ」
「…渋いなー旦那」
「悪いか。カクテルなんざ何時も作ってるから飽きたんだよ」

 少しムキになってそう言う旦那。そんな人間臭い旦那の表情を見るのは初めてで、オイラは思わず笑顔を零した。




- to be continued. -


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