酒場パロ【夢売り】 第4話






 地を焼き尽くすような太陽が、丁度頭の真上に昇るくらいの頃。暑そうな屋外とは対照的な涼しい店内で、俺は新しいカクテルの製作に取り組んでいた。しかし、店の扉に掛けられている“CLOSED”の札を勢いよく揺らして店に入って来た奴のせいで、俺は手を止めざるを得なくなる。

「サソリの旦那ーっ!!」

 扉がバタンと開けられるのと同時に、いつもなら澄んだ音色を響かせる鈴はガシャガシャと汚い音を立てた。
 出入り口の方に顔を向けると、あの酔っ払いの金髪が、息を切らしながらこちらに駆け寄って来る。走って来たのだろう、顔に汗が滲んでいる。

「…営業は夜からだぜ」
「よかった…サソリの旦那…居たあ…」

 はぁはぁと肩を上下させながら、奴―デイダラは安堵の表情を見せた。

「旦那、オイラ、今度の学祭でピアノ弾くから、聴きに来てくれ!オイラ、旦那が来てくれたら絶対上手くいく気がすんだ、うん!」

 唐突にそう言って奴は俺に一枚のチラシを突き付けた。『岩隠音楽大学 学園祭』との文字。開催は、一週間後らしい。

「入場無料だから!絶対、絶っっっ対来てくれよ!うん!」

 それだけ叫ぶと、奴は来た時と同じくらい勢いよく店を飛び出していった。




 一瞬で嵐は過ぎ去り、店内に再び静寂が戻ってくる。
俺に放っておかれたグラスの中の氷が、作りかけのカクテルに溶けてカランと音を立てた。

 一週間後とは随分急な話。しかも俺の返答も聞かずに行っちまいやがった。何なんだアイツは。
 だが、試しにひい、ふう、みいと指を折って数えてみると、何とも上手いことにその日は店の休業日である。芸術家として、他者の作品に触れられるのは嬉しい事に違いなかった。

「…とりあえず、元気そうで良かったか」




 ***




(言っちまった。言っちまった。誘っちまった。旦那を)

 今更込み上げてくる激しい動悸に自分でも呆れながら、オイラは速足で自宅に向かっていた。

 どうしてオイラは旦那を誘ったんだろう。どうしてオイラのピアノを聴いて欲しいと思ったのだろう。世話になったとは言え、旦那にとってオイラはたった二回店に来た事があるだけの、ただの客。オイラにとっても、旦那はちょっとお気に入りの店のバーテンに過ぎない筈なのに。

「…ちくしょー!何なんだ!うん!」

 胸の中のモヤモヤを吐き出すように、自分自身に悪態をつく。

 彼の芸術は素晴らしかった。まるで夢で見ているかのようなその摩訶不思議な色彩は、身も心もボロボロだった自分の目に再び光を与えてくれた。
 でもそれ以上に思いだされるのは彼の細い指、華奢な腕、ニッと吊り上がる口角に、自分を見やる薄赤の瞳。そして、読み取りづらいその表情の裏の、隠された優しさ。瞼の奥に焼き付いたそれら全てに、幾度励まされたことだろう。

 小さなアパートの一室に帰りつくと、オイラはベッドの上にドサッと身を投げ出した。うつ伏せになって暫く枕に顔を埋めていると、吐く息のせいだろうか、顔が熱くて苦しくなった。

 頭を上げ、目の前にある小ぶりなピアノを睨みつける。ああは言ってしまったものの、正直言って上手く弾ける自信は全くなかった。なのに、彼がその眼で見てくれているだけで、頑張れる気がしてしまったのは何故だろう。

 それはあの摩訶不思議なカクテルのように、彼によって提供されたただ一時の夢だったのかもしれない。
 グラスの中身は掻き乱してしまえば美しさは削がれるし、零してしまえば現実に戻って来ることも簡単だ。だが、飲み干してしまえば、ほんの少しだけ夢の時間を延長できる。時を忘れ、酔いしれることができるのだ。

 彼が居てくれさえすれば、もう一度あの夢を見られる。それを永遠に覚めることのない現実に連れてくることができる。オイラはそんな気がしてやまなかった。




- to be continued. -



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