酒場パロ【夢売り】 第3話






 カウンターの向こうにいるバーテンの旦那は、横顔をこちらに向けて、オイラのオーダーしたカシスオレンジを作っている。
 少し特徴的な形のボトルを棚から取り出し、円柱形のグラス―所謂ゾンビグラスにその中身を注ぎ入れると、中に入っている氷に色がついて、その姿かたちが浮かび上がった。更に、100%、とでかでかと銘打ってある紙パックから、オレンジジュースを丁寧に足していくと、グラスの中に鮮やかな橙色と黒すぐり色の層が現れる。

 今日のカクテルはまるで夕焼け空だな、うん。
 旦那にかかれば、透き通ったグラスはたちどころに様々な空を描き出すキャンバスとなる。その手元を見ていると、まだ酒は飲んでいないにも関わらず、オイラはクラクラと酔いそうになった。


 旦那がくるりとこちらを向いた。出来上がったばかりのカクテルをその華奢な手に持って、カウンター席の端のほうまでやって来ると、

「…ほらよ」

 コトッ、と、あの日と同じ音をたてて、グラスをオイラの目の前に置いた。

「やっぱ…綺麗だな、うん」

 そう言って旦那の顔を見ると、彼は「当たり前だろ?」とでも言いたげに、その口角を軽く上げた。




 ***




「旦那、名前は?」
「…サソリ」
「そっか、サソリの旦那…かぁ。歳は?」
「27」
「え!?もっと若いと思ってたぞ、うん!」

 既に若干顔を赤らめているデイダラが、カウンターに上半身を乗り出してその顔を俺にぐいっと近づけてきた。

「…やめろ、気にしてんだ。お前は、…学生か?」
「うん。ハタチ」

 何勉強してんだ、と尋ねてみると、

「…音大で、ピアノをやってる」

 さっきまで碧い眼をらんらんと輝かせていたはずの奴は、俺からふっと視線を外してそう言った。

「最近、上手くいってなくってさ…試験にも落ちちまった」

 赤くなった顔に虚ろな目を貼り付けて、声の調子こそ変えないが明らかに心の陰りを見せる。

「ひょっとしてこの前来た時は…」
「試験に落ちた日だ。やっぱ旦那には敵わないな、うん」

 そう言ってデイダラは力なく笑った。

 こいつも芸術家のはしくれ。スランプに陥り、自分はもう駄目なんじゃないかいう不安が襲ってくる事は、芸術家なら誰しも一度は経験するものだ。その恐ろしさは俺にも良く分かる。
 こういう時は気分転換でもしながら、暫くゆっくりと休むのが一番だったりするのだが、こいつの場合そうも言っていられないのかもしれない。

「旦那、オイラ、もう駄目なのかなあ。今までそれなりに必死でやってきたつもりだったけど、オイラじゃこれ以上は無理な気がしてくるんだ…」

 ぽつりぽつりと口から言葉を零しながら、デイダラは自分の不格好な両手の平を見つめた。

「サソリの旦那みたいに、細くて長いキレーな指だったら、オイラももっと上手く弾けたのかな…」
「…いや、俺の手は小さいからピアノは無理だ」

 何て言ってやれば良いか分からず、俺はほとんど意味のない言葉を掛けてしまう。

「ははっ、そうだな、うん」





 カシスオレンジのグラスを空にしたデイダラは、この前ほどではないがやはり酔って頭をふらつかせていた。

「うー…やっぱりオイラ、酒には弱いみてーだ…うん」
「大丈夫か?」
「へーきへーき。家、すぐそこだしさ」

 そう言って自嘲気味に笑う。

「…まぁ、また来いよ。話なら何時でも聞いてやるぜ」

 ここは夢を売る場所だ。だが、俺はまだこいつにそれを与えてやれていない気がする。だからまた来い。俺はお前に夢を見せてやらなければならない。

「ありがとう、旦那」

 金を払ってデイダラは店を後にした。扉についた小さな鈴が、リン、と澄んだ音を立てた。




- to be continued. -



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