酒場パロ【夢売り】 第1話






 リン。

 その洒落た扉を開けると、鈴の音が響いて客の来店を知らせた。それと同時に、その澄んだ音色とは真逆の、煙ったい空気が目前に広がる。
 煙草は吸わないオイラだが、今日に限ってはその煙が目に染みることはない。目は既にひたひたに潤っているから、例え店内が煙草の煙で充満していなくとも、オイラの視界は霞んでいたに違いなかった。

 ざっと周りを見渡し、比較的客の少なかったカウンターの端の席に座った。
 目の前のカウンターを挟んだ向こう側には、客に出す酒を用意する為のスペースがあり、様々なボトルが棚に陳列されている。少し視線をずらせばこれまた様々な形のグラスが並べられているのが見え、それらは薄暗い証明に照らされて透き通った輝きを放っていた。

「いらっしゃいませ。ご注文は」

 テーブルの上に組んだ自分の両手を見つめたままのオイラに、カウンター越しに声が掛かった。きっとこの店のバーテンだろう。オイラは顔を上げずに返事をする。

「何でもいいや…お勧めは?」

 しかし、オイラの注文に対する返答は聞こえてこない。何なんだよ、オイラに言ったわけじゃなかったのか?
 少しイラッとしたが、まぁそれならそれでも良いと、組んだ手に額を乗せて顔を伏せた。今日は何もかもどうでもいい。少しの間日常から逃れて、静かに過ごしたいだけだ。

 …コトッ。

 だがしばらくすると、オイラのテーブルに何かが置かれた音がした。視線だけその方に向けると、そこにあったのは、赤色が注がれた円柱型のグラス。

「赤ワインと紅茶にシトラスを加えて作ったカクテルだ。アンタ、見るからに飲み慣れてる感じしねぇから、軽めにしておいたぜ」

「え…」

「アンタのご注文だろ?俺のオススメ」

 そう言って目の前のバーテンは、口角をニィッと上げた…ように見えた。


 霞む視界をはっきりさせようとしてギュッと強く瞬きをすると、オイラの目に溜まっていた水分が一粒ハラリと落ちた。そうしてもう一度カウンターの向こうを見る。例のバーテンは既にこちらに背中を向けて、別の酒を調合し始めていた。

 目の前にあるカクテルを良く観察してみると、それは深い赤紫と澄んだ赤茶で二層に分かれている。マドラーを軽く回すと、カラカラと氷が心地よい音を立てた。

(…あの人のオススメ)

 まじまじと手元のグラスを見つめる。氷で照明の光が乱反射して、一層綺麗な暁空の色のように見えた。

「芸術だ…うん」

 思わず口からそんな言葉が零れた。





「へぇ、アンタ、俺の芸術がわかるのか?」

 驚いて顔を上げると、目の前には再び、あのバーテン。目が乾いてくれたお陰で、さっきよりもはっきりとその顔が見えた。
 25歳くらいだろうか。小ぶりな鼻に、長い睫毛。そして先刻にも見たあの吊り上げた口角。整いすぎているその顔立ちはまるで人形のようで、白い肌に真っ赤な髪が映えて美しかった。

「これ…バーテンの旦那の髪と、同じ色…」

 そう言ってオイラはそのバーテンとカクテルを交互に見比べて、その後またバーテンと目を合わせた。すると乾いたはずの目が再び水分を湛え始めて、それは涙となってオイラの頬を伝った。

「泣いてるのか?」
「へっ…いや、何でもない!うん!」

 慌ててカクテルのほうに視線を戻して目を伏せる。

「どうした?言ってみろ」
「何でもないって!ちょっと、気が緩んだだけだ、うん!」


「…まぁ、無理に話せとは言わねぇよ。だが…」

 赤髪のバーテンは、下を向いたままのオイラの上斜め前から、あまり抑揚のない声で語り始めた。

「ここは夢を売る場所だ。ただ酒だけ飲んで帰っていく奴もいるし、バーテンとベラベラ喋って愉快そうにしてる奴もいる。仕事帰りに仲間と一杯ひっかけて、疲れを癒す奴もいる。女を連れて来て口説き始める奴もいれば、現実から目を背けて愛人とのひと時を楽しむ奴もいる。
 アンタもここに来たって事は、何かを求めてるって事だろ?話なら、何時でも聞いてやるぜ」

 バーテンの顔を見上げてみたら、先程とは違って口角を吊り上げていない笑みが、オイラのことを見降ろしていた。




- to be continued. -






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