※若干リバ





 何の脈絡もなく突然始まるそれを、俺がいつも心待ちにしていないと言えば嘘になった。奴が俺を性欲の捌け口にしていることは知っているし、肥大した情欲を秘め続けることが、若い身体にとってどれほど困難であるかも知っている。俺は自分が過去にすっかり捨て去った機能を、生の証を、奴がたたみかけてくるという事実に、少なからず酔っているのかもしれなかった。俺は胸にも、身体の中央に位置するはずのものにも、昔のような熱を感じることはできない。だから仮初ではあれ、それを与えてくれるこの発情盛りの相方を、俺は理性だけで求めているのかもしれなかった。

 奴が俺の背中を壁に押し付けた。目の前のぼやけた青い相貌が、無いはずの心臓を(もしくは、俺の唯一の生体組織を)どくんと大きく脈打たせた。金の長い髪がすだれのように視界の両脇を覆い、そこは奴の領域となった。奴の唇が何にも妨げられず動き回るその空間で、俺はいつものように、生ぬるいそれを受けとめて震える。
 俺が目を閉じれば、ようやくその湿り気が唇に触れた。ざらりと舐められた歯列を開く。その中へ堰を切ったように入り込んでくる奴の舌に、俺も自分のものを絡める。乾いていた口内が奴の唾液で満たされる。それに俺が快感を覚えていることなど、奴はきっと知らないだろう。俺はこれでもかという程に水分を奪ってやる。熱を奪ってやる。すべて飲み込んでしまおうと思う。俺は自分がこんなにも奴を欲していることを、こういった行為を通して初めて感じることができた。奴が俺の唇を甘噛みしながら何かをつぶやいた。聞こえなかったし、奴も聞かせるつもりはなかったはずだ。ただその不規則な歯の動きが、俺は心地よかった。

「旦那…好きなんだ…旦那」

 だが、奴はそう言って唇を離し、俺の肩に額を落としてしまった。外界と互いとを遮断していた金色のすだれが、ぱさっとこぼれて消え失せた。俺は久方ぶりに、天井から下げられている裸電球を目に入れることとなった。ちかちか、ちかちかと何かを訴えるように点滅していた。今にも切れてしまいそうなその電球に、全身の力が抜けおちるような感覚がした。
「旦那、」奴がまた力ない声を吐いた。堅固さのかけらもないその声とは裏腹に、奴は俺の身体を固すぎるほどに抱きしめた。肩がきしむ。

「なんだ、どうかしたかよ」
「…旦那…」
「珍しいな、お前ががっつかねえなんて」
「…そうじゃねえんだ、」

 俺を抱きしめる奴の腕に、一層力が入った。互いの身体が頭から腰まで密着する。俺よりもわずかに背の高い奴の股間が、俺の下腹をありありと刺しているのがわかった。俺はゆっくりと手を伸ばし、奴の起った雄をやんわりと掴んでやる。

「……っ」
「しっかりおっ起ててんじゃねえか」

 俺の肩の上で、奴の頭がぴくんと揺れた。俺は奴の鼓動が響くのと同じ程度の間隔で、服の上からそこを握る力を強め、または緩めた。奴が息を吐く。太くて密度のある息だ。その湿った呼気が俺の肩をじわりとあたため、外套越しにでも奴の熱を感じることができた。
 そのまま奴の下穿きをおろし、直に刺激を与えてやる。若い雄の象徴であるそれを、俺の冷たく無機質な手が握ることが、本当に奴にとっての愉悦につながるのかは知らない。だが体温のない俺の身体を欲して痴情におぼれるこいつに、俺は出来るだけのことをしてやろうと思う。俺は奴の望みを叶えてやれない。俺も、奴に望みを叶えてもらうことなどできはしない。ただ俺は、こいつの熱を自分の手の中に収めることで、生きた何かを得ようとしているに過ぎないのだ。

「…ずりーよ旦那」
「何がずるいだ。文句があるなら言ってみやがれ」
「…っん、くっ」
「声出してもいいんだぜ?」

 手の中に奴の脈動を感じながら、奴の首筋をつうと舐めてやった。きっとひやりとしただろう、先ほど俺を濡らした奴の唾液は、俺の舌の上で既に冷たい水となっていた。再びきゅっ、と手に力をこめる。奴がしゅっ、と息を飲む。そして溢れ出た吐息まじりの声。俺はしなやかに指を絡めて、更なるそれを促す。奴が俺の肩の上で息を荒くしている。うめいている。いたわってやるつもりで、そこをしっかりと包み込んでやる。

「出そうになったら言えよ」

 だが、奴は俺の予想に反する行動をとった。悪あがきのように俺の腕を掴み、それを壁に押し付けて叫んだ。

「……いい加減にしろよ旦那!」

 腕を掴まれた衝撃で肩がねじれた。今日ほど肩を酷使した日も珍しいと思った。奴は今まで壁に擦りつけていた俺の背中を、勢いよく床へと打たせた。視界が反転する。俺にまたがって顔を突きつけてくる奴の反乱に、俺は何事かと逡巡する。

「…いい加減に…しろよ、うん」

 その言葉と共に、奴は再び俺をきつく抱きしめた。そして俺の首元を吸った。吸ってはいたが、俺の堅い身体に跡なんてつくはずがなかった。
 奴の肩越しに、俺は例の裸電球を眺めた。相変わらず点滅が絶えないそれは、俺をあざ笑う傍観者のようで見るに堪えなかった。つい瞼を下ろしてしまった。

「旦那…オイラどうすればいいんだ…!」

 奴の腕は他に行き場を失くしたかのように、執拗に俺の身体を圧迫する。どこまでも加えられ続けるその力に、俺は成す術もなく身を任せる。何かがずれつつあるのがわかった。普段のこいつならば、さっさと俺の外套をはぎ取って、自分勝手に唇を滑らせていただろう。そしていつの間にか射精しては、俺の唇に舌を絡めて善がっていただろう。
 俺はこいつを、この一人前に欲をたぎらせるようになった餓鬼を、生に溢れるこいつを、理性のみでなく感情でも欲していたのかもしれない。こいつもきっと同じ想いだと思い込み、こいつの全てを受け止めたいと思い、こいつの熱も、情も、湿った息も白濁した欲も、全てを飲み込んでしまいたいと、俺の中に溶かしてしまいたいと、そう思っていたのかもしれない。いや、そうに違いないと認めざるを得ない。

「旦那、好きだ、好きなんだよ…!好き」
「…穴が欲しいのか?」
「……っ違えよばか旦那!いや、違くねえけど、でも違う」

 もしかしたら、こいつも俺と似たような想いなのか。
 俺が奴を飲み込めないのと同じように、奴も俺に流れ込むことはできない。俺の身体は生身のような複雑さはなく、ただの物質、ただの無機質な器にすぎないのだ。奴は、生きた人間同士ならばたどり着ける頂に、求めるのが俺である限りたどり着くことができない。それを自分ではどうすることもできず、理性と感情を相克させているに違いない。

 奴の腕の力は弱まることを知らなかった。俺がもう一度目を開けると、裸電球がちかちかと幾度か点滅し、そして切れたのが見えた。暗闇の中で、奴が俺の顔に向き直りキスをした。口という器官だけが、互いを深く繋ぐことのできる器官だった。俺は流れ込む奴の唾液を飲み下しながら、この危うく脆い交合の証すらも消化されない、自分の不完全な身体のことを思った。目の前のこいつも、さぞかし辛いだろうと思ってしまった。そして目を閉じた。








好きになった相手が傀儡ってやっぱりすごく辛いんじゃないか、というお話のつもりでした
201101

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テーマ「人外ファンタジー」
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