深い霧がたちこめている、山腹に位置する森の中。俺は相方デイダラとの合同任務を終え、帰路についていた。あたり一面、覆い茂る木々と乳白色の霧。視界はほとんどきかない。五歩先に果たして道があるのか、それすらも定かではない。

「旦那、そこにいるかい」
「…ああ」

 俺とデイダラは少し離れて移動していた。離れていると言っても、声は届く程度の距離。だが、濃霧と木々にさえぎられ、互いの姿を視認しあうことはできない。
 歩を進める度に足もとで、しゃり、しゃりと霜が崩れる。自分ではよくわからないが、体温の通わない俺の身体はさぞかしキンキンに冷えきっていることだろう。油断してまばたきを怠っていると、睫毛の上に水滴が乗ってしまうほどの湿霧。湿り気をまとった外套が重い。季節は冬。

「こんな事ならもっとくっついて歩いとくんだったな、うん」

 デイダラが馬鹿なことを口にする。

「俺たちは遠距離タイプだ。離れて行動したほうが融通がきく」
「けど、この霧はさすがにやばくねえか。敵の術にはまっちまった可能性も」

 その言葉を聞いて、俺はふむ、と足を止めた。適当なところで少し身を屈め、群生している植物を観察し、土を手にすくった。寒冷湿潤な土地特有の植生。晴れ日が続けばすぐに干からびてしまいそうな、陰気な草木ばかりである。この辺りを濃霧が覆うことは珍しいことではないのだろう。つまり、今出ているのは人為的な霧ではない、俺はそう結論づけた。

「いや、自然現象だ。こりゃ霧が晴れるまで待機すべきだろうな」

 森の中、視界もきかないこの状況。これ以上下手に動けば、方向感覚を失う恐れがある。チャクラの気配を探った限りは差し迫った危険もなさそうであり、かつ、今の自分たちは任務終了後。急ぐ必要はない。
 デイダラの不満げな声が聞こえてきたが、俺は構わずその場に腰をおろした。俺だってこんな処で足止めを食らうのは面倒だが、道に迷うなどという馬鹿げた状況におちいるほうが、余程面倒だ。
 わずかばかりの秒を置いて、相方のいる方向からも霜を踏みしだく音が消える。代わりに落ち葉の擦れる大きめの音が聞こえてきた。奴のサンダル、外套、尻が、凍った落ち葉を順序良くしゃりしゃりと噛む音。デイダラも俺に倣って腰をおろしたらしかった。

 風を切って移動していた身体が留まったことで、あたりの空気も澱み、さらに霧が深くなったように感じる。そういえば自分たち以外の動物を、先程から一匹も見かけていなかった。何ひとつ物音のない静けさ。風も吹かず、虫も鳥も鳴かない。寂寥とした、しかし混沌とした森の空気。試しに自分の足をずっ、とずらしてみると、その音だけが妙に気持ち悪く胸に残る。

「なあ、オイラの起爆粘土の爆風で、この霧吹き飛ばせるんじゃねえか?うん」

 霧の向こうから声がする。

「それだけ強力な爆発をこの距離でぶっ放すつもりか。俺は巻き添え食うのはごめんだぜ」
「じゃあ旦那、風遁使える傀儡とか持ってねえの」
「生憎今は持ち合わせがねえ」

 上を見上げても、辺りはひたすらに灰色だった。日光が全く目を刺さないのは、覆い被さる木々の所為か、垂れこめる暗雲の所為か、深い霧の所為か。低い気温によって過冷却となった霧という名の水滴が、俺の指先にこびりついて凍りつき始めていた。どうりで動かしづらいはずだ。もう一方の手でその指先を握れば、しゃりしゃりと音がして氷が崩れる。自らの手のそんな様子を、俺は人ごとのように眺めた。
 足元で霜枯れている雑草を見下ろした。こいつらは何故枯れているのだ、とふと考えた。ここは冷たい霧の森、ここで生きられる草しか存在しないはずじゃないのか。このような暗く過酷な森というのは、総じて陰性植物で構成されているものだと思ったが。
 日当たりに恵まれた処でしか生きられぬ陽性植物は、森を形成する前に、陰性のものに淘汰される運命にある。おおかたここで枯れている陽性の奴らも、陰性の奴らに日光浴を阻害され死んだのだろう。この世では陰の者のほうが強い。
 俺たちのような陰の犯罪者も、陽を殺し、それを芸術とし、自らの糧とする。そして陰は(傀儡造りを快楽とする俺にとってはどうでもいいことだが)わざわざ目立つことはせぬとも勝手に繁栄する。とはいえ、あいつは自己顕示欲だか承認欲求だかが強いようで、何でも派手に壊すのがお好みなようだが。
 …と、ここで、俺は「あいつ」が珍しくも長時間黙ったままでいることに気がついた。

「おいデイダラ」

 霧に向かって呼びかけてみるが、返事はない。

「おい」

 返事はない。一体何のつもりだ。気味が悪い。

「おい」

 俺は訝りながら、白い冷気のとばりをはらうように、重い腰をあげた。すると膝を伸ばした瞬間、体中の関節がぱきぱきと音を立てて氷が割れた。ようやくはっとした。
 もしかして、ことによるとこの状況、血の通った奴の身体には酷くこたえているのではないか。生物は動いていれば体温が上昇し息遣いを保てるが、腰をおろしてじっとしていては凍える一方だったのではないか。奴の身体は俺とは違う。待機などさせずにアジトを目指し続けるべきだったのではないか。俺の判断は、

「…クソッ!」

 懐から巻物を取り出し、三代目風影を出す。砂鉄の術で辺りの木々をなぎ倒す。ばきばきばきと激しく森を破壊する。その衝撃で濃霧が一瞬さあっと逃げだす。そして俺は今無理矢理つくった広場の向こうに、デイダラの姿を認めることに成功した。ふざけるな!返事くらいしやがれ!奴の座り込んでいるほうへ足を速める。憤慨しつつも、何度も去来する焦燥やら安堵やら悔恨やらを胸中にかかえ、ぱきぱきと音を立て続ける関節をよそに、じゃりじゃりと凍土を乱暴に踏み鳴らした。
 座り込んでいるデイダラの前に仁王立ちになり、俺は奴を睥睨した。

「何故返事しねえのか聞かせてもらおうじゃねえか、ああ?」

 奴は平然と微笑んでいた。なんともムカつく表情だった。胡坐をかき、可愛げのないつり目で俺を仰いでいた。そして俺の怒りを受け流すかのように、ふらりと口を開いて言った。

「わりぃな旦那、こういうのも悪くねえよなと思っちまって」
「てめえ殺されてえのか」
「いやほら、オイラたち芸術家ってのは孤高の存在だからな、独りには慣れてるが、」
「何が言いたい」
「こう、互いに存在を確認しあえるっていうか、呼んでもらえるっていうか、そういうのが…」
「………」
「そういうのも、悪くねえなって思ってよ、うん。ちょっと嬉しくて」

 そこまで言って奴は、その長い後髪をかき分けて首のうしろを掻き、相好を崩した。凍った金髪がぽきぽきと細かい音を立てて折れていた。鼻の頭はかじかんで赤く、頬骨のあたりは明らかに霜焼けている。首を掻いている手には軽い凍傷。俺は溜息をついた。

「…くだらねえ」

 俺はその辺に生えていた草の中から適当なものを選んでむしり取り、その葉にクナイで傷を付けると、奴にそれを握らせた。傷からは葉の養分が滲み、奴の掌に及んでいく。俺では溶かせないその葉についた霜を、奴は体温で溶かすことができた。青緑色の液体をじわりと手に含め、顔をしかめた。

「何コレひりひりしやがる」
「薬草だ黙って握ってろこの馬鹿」
「これ握ってると冷てえんだけど」
「小動物でもいりゃいいんだがな。奴ら体温が高いから血が温湿布代わりになるぜ」
「アンタ血も涙もねえよな」
「今更だろうが」
「ははっ、そうだな今更だな、うん」

 俺は、奴の言葉をまったく正しいと思った。奴はといえば、俺の渡した薬草を数回ひらひらと振ってみせたかと思うと、再び大事そうに掌にくっつけ、半ば諦観したように俺を見て笑うのだった。

「お、少し霧が晴れてきたんじゃねえか?うん」

 雲間から見え隠れするおぼろげな太陽が、木々の間を縫い、霧の膜を通過し、朦朧とした明りを森に届けていた。冷たく湿った身体の重苦しさも、わずかながら和らぐ。もう指先が凍ることもないだろう。
 濃密だった霧が薄くなったことで視界がいくぶん開けた。俺は先ほど自分でなぎ倒した森を乾いた目で見渡した。そして葉の湿布で凍瘡の世話をする相方を、同じ視線で見物し、ついでに目を細め唇を薄くした。

「ひでえ有様」

 その時デイダラが少し驚いたふうなまなざしを俺に向けた所以は、俺の知ったことではない。







リハビリ作でした。
201107
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