サソリ誕生日記念文
※甘め?





 時刻は午前10時を過ぎる頃だというのに、夕暮れのように暗い朝だった。雨がざあざあと空から降り注ぎ、地面のいたる所に大きな水たまりをつくっていた。道行く人々はみな厚手の上着に身を包み、陰気な顔を斜め下に向けて歩いていた。

 頭にかぶっている笠に雨粒が絶え間なく落ちてきて、ぼとぼとと音をたてている。地を踏む度にびしゃびしゃと泥が跳ね、外套の裾が汚れサンダルが濡れていく。
 時折、通行人と身体がぶつかるが、俺を振り向き謝る者は誰一人としていない。こちらとしても、そんな奴らに構う義理はない。互いに無関心だし、干渉する気もなかった。多くの人間がこの街を歩いてはいるが、流れているのは誰も居ないも同然の風景だ。

 もやのかかった視界の向こうに、ぼんやりと店頭の光が揺らめいていた。俺はその店に入り、肉まんをひとつ買った。
 店員はひとつで良いのか、他におでんも売っているがいらないか、などと勧めてきたが、俺はそれだけでいいと答えた。「今日は寒いですからね、温かい物が欲しくなりますよね」との雑談も無視した。
 代金を払い、紙袋を受け取る。くちを開けて中身を確認すると、白い肉まんから湯気がふわりと立ちのぼり、それが温かいことがわかった。




 部屋に戻ると、俺がそこを出てきた時と変わらず灯りはついていなかった。窓掛けは開いているものの、外から差し込む光はどんよりと鈍い。それは布団の中で俺を待っていたデイダラの金の髪すらも、雨雲のような色に見えてしまうほど褪せた光だった。


「おかえり、旦那」


 俺が布団に近づくと、デイダラはニッと笑い俺を抱きしめた。雨のよく染み込んだ俺の服が、奴の肌を徐々に濡らしていく。ぽそ、ぽそ、と俺の服から落ちる滴が布団に落ちては消えていく。


「いくら旦那は風邪ひかねえからってさ、もっと自分を大事にしろよ、うん」


 そう言いながら奴は俺に布団をかぶせて水滴を拭った。そしてもう一度、俺の身体に腕を回す。

「…昨日の、続き」


 俺を探り始めるデイダラの手をやんわりと払って、俺は先程買ってきた紙袋をおもむろに取り出した。明るい黄土色一色だったはずのそれは、まだら模様に濃い茶色の染みを浮かべており、指を刺せばずるりと破けてしまいそうなくらいにふやけていた。紙袋の中に手を突っ込んだ俺の耳に届いた音は、乾いた紙のそれと湿った紙のそれが混ざっていた。
 肉まんは少しひしゃげていた。俺はそれを取り出し、デイダラの手の平に乗せる。


「ほれ、朝メシ」
「ん、……うん」


 奴は俺から肉まんを受け取ると、眉根と頬をふっと緩めた。既に湯気は出てこない肉まんをさもあたたかそうに一口だけ食んで、ほうほうと息をついた。
 美味い、うん、と言いながら、奴はそれを二つに割った。右手に自分がかじったほうの片割れ、左手にかじっていないほうの片割れを持ち、左手を俺に向かって差し出した。


「旦那もあったかいうちにどーぞ」


 デイダラはそう言って、俺の手に半分になった肉まんを持たせた。しかし湯気は出ていないのだから、どう考えても温かいはずがない。温かいというのは、その物体の温度が気温よりも高いという意味であり、湯気が発生して然るべきなのである。


「温かい訳がねえだろ」


 そもそも、俺が物など食べないことは奴も承知のはず。俺は眉間にしわを寄せ、奴の中途半端な笑顔を睨みつけた。


「わかってねえなあ旦那。オイラは今あったかいんだ、うん」
「……は?」
「旦那はさ、どうしたらあったまってくれる?」


 奴は昨晩と同じように、再び俺を抱きよせた。そうして俺の顔を覗き込んだ。奴が何を思って覗きこんだのかは知らないが、とりあえず昨晩と同じようにキスを交わした。温度のないそれを絡ませながら、雨に冷やされた俺の外套が布団の上にするりと落とされた。
 唇が離れても奴は俺の眼から視線を離さなかった。瞬きもせずにそのままで、じっとそこを覗き込んでいた。乾きに堪えようとする碧い瞳が、乾きを知らない俺の瞳の上でちかちかと揺れていた。だが、さすがの奴もしびれを切らしたのか、十秒程度でようやく俺から顔を逸らす。そして、諦めたように溜息をついた。


「オイラ、旦那をあっためたいんだよ」


 アンタを喜ばせたいんだ、デイダラはそう続けた。昨晩だってオイラは精一杯やった、日付が変わると同時に、これでも精一杯伝えたつもりだった、なのにアンタは表情ひとつ変えねえ、もういい判ったちゃんと言う、今度こそは判ってくれよ旦那、とか、そんな言葉を並べていた。
 奴の言っている事は、俺には甚だ理解できなかった。だからこう返してやろうと考えた。俺に表情など求めるな、喜びなど求めるな、判っているはずだ、とうの昔に告げたはずだ、俺には温度など無い、俺は生を捨てたのだ、と。

 しかしその目論見は、


「オイラは、」


俺をまっすぐ見つめるつり目によって、かき消されてしまう事になる。


「アンタに出会えてよかった」


 そう言いながら、デイダラは俺の胸に埋まっている核に手を置いた。身体と言う器と俺自身を繋ぐ円い境界線を、奴は不器用な指でゆっくりとなぞった。そしてそこに頬をぴたりとくっつけ、目を閉じた。


「アンタに出会えてよかった。アンタが相方でよかった。アンタと任務が出来てよかった。アンタに惚れてよかった。アンタと寝れてよかった。アンタに触れられてよかった。アンタの胸が、アンタの核が、こうして鼓動を打ってくれててよかった。アンタが生きててよかった。アンタが生まれてきてくれてよかった」


 デイダラはひとつひとつの言葉を、ひとつひとつの句読点を、まるで芯の通ったやわらかい塊のように吐きだし、俺の胸に押し込めていった。その度に俺は身体がかしゃりと軋む音と、奥底に埋まっていた命の臓が震える音を聞いた。




「誕生日おめでとう、サソリの旦那」




 文字が響く。音が香る。熱いものが俺の中に沸き上がる。
 冷たいプラスチックに沈められていた感覚がふつふつとざわめく。ほどよい重みの懐かしい玉が、喉の奥のほうにこっくりと詰まる。

 俺の胸に頬を寄せている金髪を見下ろすと、赤い耳が犬のそれのように小刻みに震えていた。それを見ていたら、何だか可笑しな気分になった。デイダラが顔を上げる。やわらかい笑みをたたえている。俺の核を撫でていた手が背中に回ってきて、俺をぎゅっと抱きしめる。
 俺も腕を奴の頭に添え、長い髪をするすると梳き、そのまま布団のほうへ体重をかけた。とさっ、と軽い音と共に寝そべった俺の無二の相方は、俺に向かって両腕をいっぱいに広げた。白いシーツの上に広がった金髪が鮮やかに映えていた。ああ、どうやら雨は止んだらしい。


「アンタからなんて初めてだ、うん」


 部屋の空気があたたかくなっていくのを感じる。雨雲が去って、窓からも陽光が差し込んで来た。塵がさらさらと舞う様子が綺麗だ。デイダラが口を開く。


「言葉にしなきゃ判んねえなんてなあ、旦那も」
「あいにくだが、目と耳だけでやってきた身なんでね」
「じゃあこれからは目と耳もっと澄ませてろよ、オイラがあっためてやる、うん」
「…物好きだなてめえも」






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