※現パロ





 特急列車の客席というのは、壁ひとつない開けっ広げな場所にも思える。しかし実際には、小さな肘置きのみで仕切られた多くの個別の空間で成り立っているということに、俺は気付いていた。座っている乗客は皆、雑誌を読んだりイヤホンを耳に突っ込んでいたりして、独り独りの世界を楽しんでいる。俺も今夜に関してはそんな客の一人に過ぎない。

 俺はこの空間が好きだった。縛られているのは身体くらいなもので、この席に座っている間は、自分の世界にのびのびと浸ることができる。

 俺も他の客の例にもれず、お気に入りの作家の小説を読みながら、今回の旅の思い出に頭を巡らせていた。
 思い出と言っても大層なものではない。この旅はただの気まぐれで、都会の喧騒から離れ、独りで田舎町を散歩してみたいと思っただけのもの。特別美味い料理を食べた訳でも、美しい観光名所を訪れた訳でもないのだ。強いて言えば、一介の画家が開いていた小さな画廊に入り、小さな絵葉書を買ってみたことくらいだろうか。小説のしおり代わりにしているその絵葉書を表紙の裏に移動させ、俺は次のページをめくった。

 ガタンゴトン。列車の心地よい揺れに身を任せると、胸の底までその響きが染み込んでくるようだった。
 そんな中、車両と車両を繋ぐドアがガチャンと開き、通路の奥に若い男が一人現れた。特急列車の乗客としては不似合いな身軽さで、鞄ひとつ持っていない。まるで近所のコンビニにでも行ってきたかのような出で立ちである。
 そいつは通路をつかつかと進みながら、長い金髪を揺らして左右に並ぶ客席をいちいち眺めていた。隣の車両から席を移りに来たのだろうか。それとも、あの調子でずっと席を探しているのだろうか。

 奴はついに俺の前にまでやって来ると、にこりと笑顔をつくり首を傾げて、言った。

「隣、いいかい?うん」

 俺の隣は空席だったが、誰かと相席などしたくはなかった。だが、他に空席が無かったのかもしれないし、断るのも面倒だ。俺は無言でそいつと目だけ合わせると、奴も了承の意を読み取ったのか、碧い瞳を細めそのまま席に座った。

「旦那、旅行の帰りですか?それとも仕事?」

 そいつは馴れ馴れしくひょうきんな声で俺に話しかけてくる。こちらは本を読んでいるというのに、邪魔しないようにしようとは思わないのだろうか。

「オイラは旅行帰りだ。独りだし、荷物もいらねえし、気楽でいいぜ。旦那も独りかい?」
「……まあな」
「へえ、やっぱ一人旅?仕事だったらそんな鞄持たねえもんな、うん」
「……」
「オイラさ、この前彼女にフラれちまったんだ。んで傷心旅行ってわけ。あ、そういえば旦那、あいつにちょっと似てる」

 そう言って奴はぺらぺらと自分の身の上を語り始めた。何てうざい奴だ。こいつの旅の理由など知りたくもない。
 俺は狸寝入りを決め込むことにした。開いていた小説の表紙を閉じ、少し窓のほうに頭を傾け目を閉じた。すると流石に気付いたのか、奴もようやく口を閉じる。ほっとした俺は寝たふりをしながら、改めて物思いにふけった。

 ガタンゴトン。列車の揺れる音に混じって、すうすうと寝息が聞こえてきた。そっと顔を隣の金髪に向けると、そいつは規則正しい寝息と共に頭を揺らし、こくん、こくんと船をこいでいる。
 寝たか。そろそろいいだろう。俺は小説の続きを読みなおそうと、閉じていたそれを再び開いた。

 ガタンゴトン。外の景色が、田舎から都会へと移り変わっているようだ。
 夜の山々が通り過ぎ、街灯の灯りがぽつぽつと目に入るようになる。次第に、家々が立ち並ぶ住宅街に差し掛かる。ゴーッと激しい音と共に列車が橋を渡ると、眩しい夜の街が窓の外を覆い尽くした。

 列車の中は明るかったが、外から入りこむ光が手元をちらつかせて読書の邪魔をした。目を凝らしても文字が追えなくなってきて頭痛がする。眉間に指をあてて目蓋をぎゅっとしてみる。
 ふいに電車がガタンと揺れた。全身がガクンと揺れた。隣で眠っていた奴の頭もカクンと揺れて、俺の肩の上に乗っかった。

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。列車は規則正しく訪れる線路の溝に呼応して、揺りかごのように眠りを誘う。
肩に適度な重しが乗って、あったかい匂いが金の髪からほわりと昇り、俺の頬をくすぐった。
 気持ちよさそうに眠るその顔をよく見てみると、降りた睫毛の際は少し赤くなっていて、泣いた後の様にかさかさしていた。

(こいつも、いろいろ辛かったのかもしれない)

 まだ、目的地に着くまでは時間がある。俺もひと眠りしよう、そう思って本を閉じ、肩の上の安らかな寝顔に倣った。
 俺の空間を仕切っていたものが、あったかい湯気のようにゆらゆらと揺れた。


 ***


「あったかかった」

 列車から駅のホームに降りると、後ろから奴の声がした。

「次、旦那はどの電車?」

 なんだ、こいつ起きてたのかよ。狸め。
 振り向かないまま、ぼそりと乗り換える列車の名を口にすると、背後のそいつは『オイラもだ』と言って笑った(ように思った)。

「…ねえ旦那、オイラと、」
「…てめえは次は何処で降りるんだ?」




どこまで一緒に帰れるかな。
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