波の音と紙にペンを滑らせる音しか聞こえない、そんな部屋の中で一人黙々と作業をする女がいた。二番隊隊長付、ぱいである。
隊長付とは主に多方面での隊長の補佐であるが、二番隊においては戦闘はせず、机仕事を一手に引き受ける者のことを指す。
なぜならば、エース隊長は書類関係の仕事がからっきしダメだからだ。ついうっかりで書類を燃やしてしまった前科もある。
「…ふう。少し紅茶をいただいてこようか。」
今日もエース隊長が、うっかりマルコ隊長からの重要書類の存在を忘れていたらしく、つい先程、すまなそうに差し出してきたので急ピッチで作成していたところだ。
締め切りまであと数時間、一通り終わりあとは見直すだけとなった書類を眺めつつ、我ながら良く出来たものだと伸びをした。
コンコンッ
「はい。」
「ぱい、サッチだ。エースから事情は聞いたぞ。」
エース隊長はうっかりしてしまった時にはサッチ隊長に相談するらしく、よく仲介をしてくれるのだ。
(マルコ隊長には恐ろしくて話すら出来ないらしい。)
ふむ、また追加か?なんて思いつつもドアを開けるとフワリとベルガモットの香りが…
「どうせお前の事だから、一通り出来てるんだろ?ティータイムにしようぜ。」
サッチさん特製ティーセットだぜ。とトレーに乗っているお菓子やティーカップなどを見せてきた。
「ありがとうございます、今ちょうど向かおうとしていたんです。」
とニッコリ微笑み部屋の中へと招き入れる。サッと書類を引き出しにしまうと、勝手知ったるなんとやらで、慣れたようにテーブルに配膳しティータイムが始まった。
「うちの末っ子はまァだ書類関係はダメかー。」
「そうですね…まだ燃やしますね。」
焦るとつい炎が出てしまうらしいです、汗みたいに。まじかよ。…なんて話をしながらサッチ隊長が作ったお菓子に手を出す。ちなみに今日はマカロンとマドレーヌらしい。もぐもぐと咀嚼して味わう…この人は相変わらず素晴らしい腕をお持ちだ。
料理の腕もさることながら紅茶を煎れるのも上手で、同じものを使っているはずなのに、自分で煎れると彼のような香り高く、深みのある紅茶は煎れられない。今日のアールグレイもコクリと飲めば、フワリと心地よい香りが鼻腔に広がった。
緩やかに過ぎる時間に癒やされているとサッチ隊長はフッと微笑んだ。
「?」
「いいなア、ここは。なんつーか、癒やされるわ。」
あ、それ私も思ってました。と答えるととても嬉しそうだ。
次はどのお菓子を食べようかな、なんて考えつつお菓子に視線を彷徨わせていると、
「そういえば今日はハロウィンだな。」
「ハッ、そういえば…!」
すっかり忘れていた。だからパンプキン味だったり形がコウモリだったりしたのか…と自分の鈍さに驚く。
ちらっとサッチ隊長を伺うと、頬杖をついてこちらを見つめていた。目が合うとにこりとして一言。
「なにか言うこと、あるんじゃない?」
あ、これは何かあるな…なんて思いつつお決まりのあの言葉を言う。
「とりっくおあとりーと…?」
ん、正解!そんな、ぱいにはお菓子をあげちゃう!…とニコニコしながら新たに猫の形のパンプキンパイをくれた。これ、絶対美味しいやつだ。
嬉しくて早速食べようとしたのだけれど、目の前に差し出されたサッチ隊長の手とある言葉によって止まってしまった。
「じゃあぱい、Trick or treat.」
因みにこのお菓子は俺が作ったものだからノーカンだぜ?なんて言われてしまっては降参するしかない。
素直にありません、と伝えると初めて見るんじゃないかと思うくらいイイ笑顔で、
「ん、じゃあ悪戯な。」
と言われてしまった。
一体どんな悪戯をされるのかと考えていると、スッと差し出される球体のチョコ。
「え?」
「これ、食べて?」
至って普通のチョコに見えるが何故これが悪戯なのだろう…と不思議に思いながら口に含む。コロコロと舌で転がすことに夢中になっていると、すっと目の前に影が指した。向かい側に座っていたサッチ隊長がいつの間にか隣に来ていたのだ。
「サッチ隊長…?」
「んー…なかなか溶けねえか。ちょっと失礼。」
「どうしたんd…ンふ!??」
何やら一人で思案してるなあと思った次の瞬間、頬が大きな手に包まれ、唇を奪われていた。
すぐに離れると思いきや口づけはどんどん深くなり息をするべく口を開けばするりと舌が侵入してきた。
「ンあ…ふっ…ンん…!」
何かを探しだすように蠢く舌に腰砕けになり、椅子に座っていてよかったと心底思った。
「ん?…ンんー…ンッ…見つけた。」
サッチ隊長が見つけていたのは先程の球体のチョコだったようで、見つかる頃には、体は火照り、息は乱れ、飲み込みきれなかった溶けたチョコと唾液が混ざり合ったものが口元から零れ落ち、とても恥ずかしい様相を呈していた。
「…サッチ隊ちょ…ふっ…ンあ…はン…」
やっとの事で呼びかけようとしたが、また口内を貪り始めそれどころではなくなってしまった。
チョコを押しつぶすように蠢く舌。暫くすると球体が崩れ、中からトロリとした液体が出てきた。
「んんッ!?」
それらが混ざったものを飲み込んだ瞬間、カッと熱くなる喉。鼻腔をつく香りからウィスキーであることがわかる。あの球体のチョコはウイスキーボンボンだったのだ。
アルコールには合う合わないがあり、ウイスキーに関しては滅法弱いぱい。次第に酔いが回りトロンとした目つきになる。
漸く解放された頃には唇は赤く色づき、目は潤み、完全に出来上がっていた。
「しゃっちたいちょ…なんれ…?」
口元を綺麗に拭き取り、今にも寝そうなぱいを抱えてベッドに押し込む。呂律が回らないながらも問いかけてきたぱいにサッチはこう答えた。
「ここ最近よく眠れてなかったろ。後の事は俺に任せてぱいは少し寝ろ。」
サッとテーブルの上を片付け、引き出しの書類を回収すると、ぱいの頭をさらりと撫で、眠るように促す。
酔も周り、頭を撫でられ、心地良くなったぱいはふにゃりと笑いお礼を述べると、すぐに寝てしまった。
パタンッ
ドアを閉めヘナヘナと座り込むサッチ。その顔は些か赤く色づいている。自慢のリーゼントヘアをくしゃりとしホッと息をはいた。
無理をしているぱいに休んで欲しくてウイスキーボンボンを食べさせたが、まさか深く口づけるとは思っていなかった。というかそもそもキスをするとは思わなかった。
しかし、チョコを手で受け取るでもなく、そのまま自分の手から口にしたぱいを見て…理性が飛んでしまったのだ。途中で我に返ってよかった…と心底思う。
酔ってたとはいえ嫌がらなかったな、なんて思い返せば段々と気分も良くなるもので、その後、軽くスキップをしながらマルコに書類を届けに行き、気味悪がられるサッチであった。