鳳仙花

インパチェンスの前のお話。








通りから1本入った所にある花屋は、最近の私のお気に入りでございます。

品揃えが豊富で、切花から鉢植えまで様々な花で囲まれた空間は

バトルに明け暮れる私の荒んだ心を慰めてくれるのでございます。


ここの店主のアイ様は、以前ノーマルではございますが、私の元まで

それは見事な草ポケモン縛りの手持ちでいらっしゃいました。

バトルの結果は私の勝利に終わりましたが、どうして中々よく育てられ

そして、なつき度も最高値まで達せられておられるご様子が印象的で

私から育成についてのお話をお聞きしたのがきっかけとなり、

それ以降、親しくさせていただく様になったのでございます。


入口に立ち、中の様子をそのまま伺っていれば、私に気がついた

彼女のドレディアが嬉しそうに傍に来て中に招き入れてくださいます。



「あ、ノボリさん こんばんは。」



店の奥で小ぶりなボウルいっぱいに入った花びらを前に

アイ様が柔らかく微笑まれました。

私の心を慰めてくれる物はここの花だけではないのです。

彼女の柔らかな微笑み、包み込むような暖かな雰囲気、その全てが

私の心を穏やかにも、波立たせもするのです。



「こんばんはでございますが…アイ様、この花びらは?」



紅色の幾重にも重ねられた花びらを見れば、アイ様の手がほんのりと

同じ色に染まっておりました。



「これは鳳仙花と言う花なんですよ。

元気のない花を摘み取っていたら、ちょっとある事を思い出しまして──。」



そう言うとアイ様は花びらを数枚摘むと爪に擦り付け始めます。

しばらくその動作を繰り返した後に花びらが離れた爪を見れば

うっすらと紅色に染まっておりました。



「昔の人はこの花で爪を染めていたそうなんですよ。

これだけ沢山あって、もったいないから何かに使えないかと。」



肩をすくめながら、ちょっと子供っぽかったですねと笑う貴女が

とても可愛らしくて、私も釣られて微笑んでしまいました。



「その笑いは肯定してますよね?私もそう思ってるから良いですけど、

別な地方の伝承だと、初雪まで色が残っていたら恋が実るらしいから

そんなに子供っぽい真似ってわけでも無いんですよ?」



「…アイ様は、どなたか慕ってらっしゃる方がいるのですか?」



一瞬にして私の心が凍りつくと同時に、見えない炎が湧き上がりました。

この方の愛を誰かが得る…そう思うだけで千々に心が乱れます。



「残念ながら…。今は仕事が恋人ですね。」



思わずホッと息を吐けば、アイ様が私をじっと見つめておりました。

一瞬、私の気持ちに気付かれたのかと思えば、ノボリさんと一緒です等と

のんびりした口調で言われてしまい、ホッとした様な、残念な様な…



「確かに、とても綺麗な色に染まっておりますね。

いっそ両の爪全部を染められては如何でございますか?

ひとりでは大変でしょうから、私にもお手伝いさせてくださいまし。」



彼女の手を取り、ボウルから摘んだ花びらを染まっていない爪へと

ゆっくりと擦り付ければ、彼女の爪先と私の指先がほんのりと

紅色に染まってゆきます。



「あの、私の手はちょっと荒れていて恥ずかしいんですが…

あと、ノボリさんの指まで染まっちゃいますので、離してもらえませんか?」



花屋という職業柄でございましょう、その指先は確かに荒れてはおりますが

その様な事など、私が気にするはずもございません。



「それだけアイ様がお仕事に励んでいらっしゃる証拠にございましょう?

むしろ、頑張っている美しい手だと思いますよ。

私の指でしたら、仕事中は手袋を装着しておりますので、問題ありません。」



ちょっと楽しくなってきたので、私に付き合って下さいましとお願いすれば

困ったような顔をしながらも頷いていただけました。


ゆっくりと一つずつ、確実に私によって染められるアイ様の爪に

まるで、その心までも私の手によって染めているような…

そんな甘い錯覚にすら陥ってしまいそうでございます。

全ての爪を染め終わった頃にはボウルの中の花びらも底をついておりました。



「こうして全部の爪が染まっていると、すごく綺麗ですね!

ノボリさん、有難うございました。私、仕事柄マニキュアをしないので

ちょっとワクワクした気持ちになってるんですよ?」



目の前に手をかざして嬉しそうに微笑まれるアイ様を見る事ができ、

私も嬉しゅうございます。



「でも、ノボリさんの指先も結構しっかり染まっちゃいましたね。

これって簡単に取れるのかな…ごめんなさいね。」



アイ様が私の手を取り、指先に触れました。

私の指とアイ様の爪の色が一瞬溶け合いひとつなった様に見えて

その身体を抱きしめ、ひとつになりたい衝動が全身を苛みますが

一時の感情で全てを失いたくはございませんので、必死で平静を装います。



「…それこそ、初雪までこの色が残っていれば恋が実るのでしょう?

今はその様なお相手がおりませんが、その頃には現れるかもしれません。

その様に考えてこの色を楽しむのも、一興ではございませんか?」



先程の伝承を持ち出して、おどけた様に装えば

アイ様はそれも面白そうですね、と柔らかく微笑まれました。

その後少々会話を楽しんでから、私は店を後にしました。


家路を歩きながら、私は今後自分がどう動くべきかを考えておりました。

アイ様と共に在りたい、その為にはこの想いを伝え、成就させてみせましょう。


染められた自分の指先を唇に押し当てて、私はこの紅色に誓いました。







 ─ 鳳仙花(別名:爪紅、つまくれない)






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