かきもの | ナノ


とてもとても、そこで待ってはいられない。ぼくは煉瓦を駆けている。跳ねてまわる、トリプルアクセル、そんなふうに浮かれている。止まっていては苦しい。雨の日は空気がなおさらそうさせて、狩人の姿勢になって身を低く林に潜んでいる。
「なんでだろうね、どうにも、ぼくは観察が苦手になってしまってる。スケッチなんてきっと、きみのほうが得意じゃない?豪炎寺くん」
氷とアスファルトの摩擦係数は違っていてトリプルアクセルは残念決まらず、次点なんてもの取れるわけないんだ。割り込みに割り込んだブロックがイメージの中でくずれないジェンガを形成して、ぼくの姿が見えなくなっていく。名前は消えていく。いずれはだれの記憶からも。
「美術は苦手なんだ」と返事が聴こえて、ぼくの名前が消えたって声ばかりは届いてくれるのだと、胸のつかえがひとつ朝食といっしょに溶けた。止まれなくて脇腹が痛むだろうなあなどと思う。駆けていても風景はビルが並んで動かないのが不思議でたまらないのだ。都会というのは同じ景色ばかりだから、たぶんそういうことなのだ。豪炎寺くんは深く沈む椅子に座ってカルテを読む目でこちらを見つめた。かたいお仕事、あなたはわざと、むずかしいことを言うんでしょう?赤い靴、ね、あれは焼けた鉄の色の象徴だ。冷えて収縮して斬るしかなかったのだ、とか、そんなふうにメルヘンを虚偽と読むようなことばかりの世界だ。だからこそスケッチが得意で、スケッチしかできないのだ。
見つめ返して笑った、すると艶のある漆の目がぼくをしっかり捉えたのできっと爛れてしまうのだなあ。ぼくは笑ったつもりで、けれども走りつづけてぐったりした身体ではどんなふうなやつれた顔をしているんだか分からない。目を伏せてカルテに何か書くふりをしているんじゃないの。こちらをまた見て何を申告してくれるのかと思えば、「見つからないんだから」とひとこと。捜し物はなんですか、という歌の?力ない笑いの種で、でも彼は真剣な顔をする。
「心の中にあるものは、手にとって見ることはできないんだ」
「きみはなにを?」
「そのままのこと、おまえはどうして焦ることがある、もう二度と見つからないものを」
雨の日は身を低くして、狩人の姿。はぐれた狼を探していた。雪のなかで吼える強い生き物だったのに、あっさりばらばらだ。声だけするので手探りだった。だけどそれが木霊だったなんて、ひとりでいたので気づけなかったのだ。メルヘンの正体をあばけば、こんなに愚かしさに満ちている。
「とてもこわい目をしているんじゃないの、ぼくは」
「すこし休めばすぐ良くなるさ、夢は見るだろうが」
そうして立ち上がっていなくなろうとするひとの腕を、ぼくはつかんで離さなかった。心はゆっくり凪に近づいていた。彼は動かなかった。ぼくも動かなかった。都会の景色に飛行機雲が尾をひいているのを、そこではじめて見つけたのだった。






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