かきもの | ナノ


風鈴をゆらす風はぬるく陽平の肩をつつんでいた。ねえ、と呼ぶ声に応えるはずのものは、ひたすらに腕のなかでうずくまったままであった。眠りはかなしいほど静かだ。陽平のささやきの笑いが響かないうちに消えてゆくだけでほかにはなにもない。夏は蝉の声だけが陽平に応えるのであった。幼いころに捕まえようと走ったことを思い出すけれども、今になれば残酷なことをしたものだ。命をうばう権利などだれにもないのだが、事が起こらなければそれを自覚しないことも確かなのだとこの目が教えていた。落ちた死骸を群れを成した蟻がながめている、そのさまが鮮やかに記憶の視覚を占拠した。あのとき気味悪いと思ったか、面白いと思ったか、恐怖を感じたか、こころはあいまいで研ぎ澄まされることはない。
「ねえ虎太くん」
呼びかけると今度はうっすら目をあけたような気がした、彼はかすれた声で唸る。ここにある記憶は昔の自分とはちがうことが解っていても、そのなかの残酷をなつかしむ。虎太は純粋に子どもの姿で存在していた。自然に感化される繊細なこころと、数日の尊さに気づかない無骨な傲慢を持っていた。太陽と同じ色をしている。恩恵と破壊をもたらすのが、それらしいのであった。髪を撫でると艶めいている。口づけなど大人らしいことは、性分にあわない気がしてできなかった。その代わり彼の精神を思うだけ慈しんでしまいたいのに、彼は陽平の手のなかをなめらかにすり抜けてしまうほど、遠く離れていく。
「なんだか、きみはずっと子どものままでいるんじゃないかと、たまに考えてしまうな」
「いつまでも子どもでいてたまるかよ」
「ほんとうに、ほんとうにそうだね。子どもって大人になるのが仕事だからね」
ふたりとも子どもであることになんら変わりはないのに、陽平はすでに自分には取り戻せないものがあるのだと感じていた。明確に失ったと判るこの視力ではなくもっと別のところにそれはある。たとえば虎太のなかに。夏の日にふと昔の自分の姿が脳裏をよぎるような、あの一抹のさびしさに酷似した思いで、陽平は虎太の髪をやさしく撫でつづけた。吐き出された震える息に気づいた虎太の手が、ぎゅっと自分の服をつかんだことを陽平は泣き出したいくらいに幸福だと思う。
「おれは今になって、大人になりたくなくなっちゃった……虎太くんは臆病だと言うんだろうな」
陽平は自ら笑いとばしたが、虎太はなにも言わなかった。たたずんだふたりのそばでわずかな風が薫ったらしく、風鈴がこころ割れそうにちりりと鳴っていた。







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -