かきもの | ナノ


ずっと苦しかったのだ、その心理は見るたびに殺してしまいそうなか弱さで……どうにもならないことが解っていたのに、彼の目の前でよく泣きそうになる。さながら、ぽつねんと取り残されるぬいぐるみだとか、子犬や子猫のたぐいを目にしたときの憐憫や同情のような苦しさがぼくをつらくした。虎太は不思議な、ひととずれた(ぼくたちの謀反に近いそれとはちがう)価値観こそあれ決して肉体的あるいは精神的な異状はなかったのだが、ぼくは時たま彼が本当にそんな人間になってしまうのでは、しまったのではないかと思っているようで、このことが徐々に彼をぼくの愛玩に変えていた。ぼくの苦しみはただ同情ひとつきりではなく、彼のようなものに対する浅ましい優越感、そこから生じる罪悪感によってももたらされているらしかった。
ぬいぐるみ、なんてきっと手に入れてしまえばがらくた同然なのだ。ぼくは虎太をまるでぬいぐるみとして扱いたがる。いつかは捨てる、フリーマーケットに並んだ未来の想定を成すとぼくはいつも虎太を抱き寄せて離さなかった。未来の予測を常に悲観視して、ただしそのために都合よく今だけを償いに使う、卑怯な人間であった。虎太は黙って、窓の外を見ている……ぼくには何ひとつ変わらない興味の失せたもの(それはある意味ぬいぐるみと同じ悲しさだ)。子ども部屋のフローリングに敷かれた色彩を積み重ねただけの小さなカーペットの夢や世界を、寝ても醒めても彼は見続けているのだろう。無感動に。秩序がなければ生きられないひとには気のふれてしまいそうな世界だ。おそらくぼくも……ルールを嫌いながら……型にはめなければ何も考えられないのだ。千鳥と舞うような虎太に、黙って見ていられない恐怖すら感じていた。本当の自由が怖い……拾い上げたぬいぐるみを家族という名の無機質な盾にしてしまう。ぼくは自分すら恐ろしい、いやむしろ、何もかも愛するふりをする子供じみた自分の利己心がもっとも怖ろしかったのだった。
床に座ったまま、また虎太を抱き寄せている。両腕の力を強くすると身をよじる、それだけだった。虎太はたったそれだけを自分の意思にして、ぼくの脚のあいだで落ちついて座りこんでいた。嘘のように静かな朝で、凰壮はまだ眠っている。しいいん、と空気が耳朶に吸い込まれる音ばかりしていた。凰壮を起こさなくちゃと思っても、身体は虎太だけに触れていたがる。意見の聞こえない愛情を欲しがっていた。寂しかったぼくは、それでもひとりになりたくて虎太を抱いていた。この朝の静けさも、虎太には解らないのだろうか?赤や青や緑でマーブリングされた彼の世界にはいつでも不規則な音楽が鳴り響いているんじゃないかと思った。メロディラインの見えない……いたずらに叩かれたパーカッションだけが音を主張するような……閑散としたぼくの世界とは正反対の虎太の心。窓の外にだって毎日違うものが見えるのだろう。ぼくはそんな人を利用しては捨てる……無邪気な心を捨てる……何をされたかも解らない彼を……自ら汚しきっていながら、見たくもないと、昔の自分を重ねて捨てるのだ。形もないほど燃やしたり、時には値段をつけて売ったりして……
きつく抱きしめた。身体をぴったり寄せて、この気持ちを悟られまいとしていた。その場しのぎの卑怯な贖罪で、ぼくはまた勝手に清算しようとしている。日除けの薄いカーテンの隙間から射し込んだ朝の陽射しが虎太の目を窓の外から逸らせた。彼は二、三度まばたきをして、眩んだ目を眇めながら、ぼくの顔をまじまじと見た。それから「竜持」と光の三原色を織り交ぜた声で言う。それはぼくを混乱させるのに充分だった。ごちゃごちゃに混ざったはずなのに、ひどく澄んでいた。ぼくにいつもの苦しさが戻ってくる。目を合わせるだけで、そのなかには無秩序が波うっているように見えるのに、彼は透明だった。
「どうして……虎太クン」
ぼくはそう言って声を震わせた。今静けさにいたぼくでさえ怖ろしいほどに胸を痛ませる要素は彼の、もしくはぼくのどこにあるというのだろう。虎太がぼくの苦しさのまん中に耳をつけて、呼吸の音をぼんやり聴いていた。「速いな」という声が離れない彼の耳を通してゆっくりとぼくの胸に沁みていく。ああ、ああそうです、そういうことだったのか……とぼくは言い、それから知れずぼろぼろと涙をこぼしていた。このとき、彼を見るたびに起こる罪悪感や悲しさや苦しさの正体における解が、たった一言に尽きて浮かんでしまったからだった。
「すみません、……ぼく、たぶん」
虎太が不思議そうな顔をしてぼくを見ているので、そうやって彼をもう一度利己心から抱きしめていた。続く言葉はない。ぼくにはすでにそれが禁忌であることは解っていた。そして禁忌とはつまり無秩序だ、ぼくの涙はこの離れないふたりの身体から、彼の世界が伝わったかのように透き通っていた。






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