かきもの | ナノ


注意

原作後のはなし
竜持くんがかわいそうきもちわるい






虚ろであればあるほど満たされるというのは、じつに逆説的なことだ。数式をずらずら並べたてる中で忘れていくかと思えば、使い終えたノートの数に応じて思いは強くなる。悪癖。悪行。訊けばみな口を揃えて言うのが「常識」であったが、竜持はことさらそれを厭う。シャープペンシルの芯を折ったのを機にして、今日の活動は終わりにした。
一人部屋は寒々しいと感じることはある。隣には壁ひとつ隔てて息づかいがあるのに、空間というのはそれを忘れさせるから恐ろしいものだと竜持は思う。きっちりと線をひいたように極端に片づけられた彼の部屋は、見る人が見れば気味悪いとすら思うほどなにもない。家に帰って荷物を置いたあと、おもむろに彼はクローゼットを開けいちばん奥を手探りでかき回した。引き出しては丁寧に戻し、まもなく隠していたらしい一着のトレーナーとジーンズを抱えてクローゼットの扉を閉めた。これが彼の悪行であった。
あれから数学に没頭したおかげか華奢になった竜持の身体は、半年以上前の衣服でもまだ着られるようである。袖を通して彼はひとりうすく笑った。その笑みに自嘲のニュアンスが含まれていることに彼は気づかないらしかった。眼鏡を放り出し、伸びたうしろ髪をうまく隠して前髪はかきあげる。鏡に写した彼の姿は、すでに異国の風にも慣れたであろう彼の兄弟が、この家を離れる以前の姿そのものであった。「虎太クン」と彼は鏡のなかの彼を呼んだ。「竜持」、鏡が声を返すので竜持はちいさく微笑む。黄色のトレーナーを着てぼんやりと佇み、ただし目元はするどくまわりを見渡す、竜持がいちばんよく知っている虎太だ。彼のなかの虎太はほとんど記憶のままで、会いたいときに会えるのだった。倫理観を知らない虎太を竜持は心から慈しんでいた、その一見無知なようすが度を超えて彼の愛情をくすぶらせていた。
「ぼくたち、ふたりきりですね」
竜持は言う。鏡のなかの虎太は黙ったまますこしだけ笑って、うれしそうにしたようだった。

食が細くなった。最低限の量は食べるし、吐いたりすることもない。母親に叱責されても、すみませんと答えるだけに努めていた。だってやたらに成長して、あの服が着られなくなったら?そんな恐れが竜持を常に食事から遠ざけるのである。一通り食べ終わると彼はすぐに自室に籠もった。すべて「悪癖」のためだった。
「虎太クン、きみを置いてぼくたちどんどん大人になっていくんですよ……いやだなあ……でもいっしょにいてくれますよね、そうですよね、いなくなったりしないでくださいよ。きみ放っておくとすぐどこか行っちゃって、ふらふらして、まるで野良猫みたいなんだから……これ以上ぼくや凰壮クンに迷惑かけないでくださいよお……ね……大好きなんですよ……解ってくれるでしょ。虎太クンなら……ほらね頷いちゃって……ふふ、好きって言ってみて、ねえ……」
竜持は日付が変わってもぼそぼそと話し続けていた。彼の心には時が止まったままの虎太しかいないのだった。「ねえ虎太クン」ともう一度呼びかけたとき、携帯電話が鳴った。メールの着信ではないらしく、竜持は不機嫌そうに眉を寄せて相手も確認せずに電話をとった。
「もしもし?」
「竜持、起きてたか」
この時間なら、おまえくらいしか起きてないと思って携帯にかけた、日本って夜中だろ、と電話越しに相手は続ける。名乗りもしない。竜持はわずかに苛立った。
「だれです」
「虎太」
間髪入れない答えが返ってきた。虎太……とおうむ返しに呟いて、竜持はしばらく黙っていた。電話の向こうの虎太は「どうしたんだよ、眠いのか、なら切るか」などとわずかばかり成長した気遣うような声で話している。
「ああ、すみませんけど、切ってくれませんか……疲れてるんだ、なんだってこんな時間に……」
竜持は無表情に言い放って、相手の応答も聞かずに通話を切り携帯電話を投げだした。そして鏡を覗きながら、彼は愛おしくてたまらないというような目をして、うっとりと、だが自分には判らない自虐の色を浮かべて微笑んでいた。何ひとつ成長しないままの彼を愛していた。無垢なままで、まだ何も知らない虎太を、好きなように、好きなだけ愛していたいと思っていた。いつかそんなふうに時を止めては、自らが傷つかないよう大事に大事に記憶の虎太をいたわってきたのだった。
「すみません、電話が来て……ね、だからね虎太クン……ぼくを好きだって、言ってみてくださいよ……」






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