かきもの | ナノ



ちいさな男の子がうつむいていました。ブランコをゆるゆる漕いでいます。なにかあったのか知らん、ブランコならもっと楽しいはずなのになあと遠くにいる僕は突っ立ったまま思い、しかしぼんやりして、彼に近づくことすらしないでいるのでした。顔はよく見えません。
そのとき僕の思考は象よりのろかったのでしょう。この、ちいさな子どもは、誰かに、似ているかも、しれない。ですが誰だか分かりません。残念ながら、そののろさに対して僕はちっとももどかしさを感じなかったのです……彼と目があうまでは。
あっ、と心で叫びました。もしかしてこの子は、うんと遠い日の自分ではないだろうか。そういえば、記憶ははっきりしないけれども、ブランコの鎖を頭の少し上あたりでぶら下がるように握りしめる仕草なんかちいさい僕そっくりじゃなかったっけ。つま先でざりざり砂を蹴るのも。しかし、どれひとつ取っても彼はかなしそうにしています。ついにブランコの揺れまで止まってしまったので、代わりに僕は思わず一歩踏みだしていました。
駆けよって、その子が泣いてやしないかと確かめようとしましたが、不思議なことに顔がよく見えなかったのです。僕の記憶が覚束ないのか、実際彼の顔がぼやけて見えたのかは分かりませんが、ともあれ一瞬おやと思っただけで、僕はそれ以上気には留めませんでした。この子に何か言ってあげなくちゃあな、だって顔を見なくたって、彼はきっとアルバムの僕なんでしょう?
「どうしたの、きみ」
「かなしいんです」
落ちついた声がすぐに返ってきました。しっかりしていて、突き放しているようにも聞こえます。ずいぶんと真面目な気がしました。自分よりお兄さんと話をしているからだろうか。
「なにがかなしいの?」
「大事にしていたひとが、いなくなってしまいそうなんです」
「それは、アツヤのこと?だったら……心配することないよ」
彼は黙っていました。先ほどよりいっそううつむいて、はっきりしない表情もかなしそうに見えました。思いださせて、さみしくさせてしまったかもしれない。「あ、あのね」と僕が口ごもっていると、そのちいさな子はちらりとこちらを見たようでした。
「さみしいときは、どうするのがいいでしょうね」
大人びた口調が、なおさら彼の孤独を浮き彫りにしていました。声は抑圧され、今にも泣きだしそうなのを隠しているようです。外のことなど興味がないふりをして、誰よりつらい思いをしているのです。僕は彼が幼い自分とは違っていることに気がついていながら、どうしてもそこを動けずにいました。つよがりだ……甘える対象はないのだろうか。
「誰かのそばにいるのがいちばんでしょうか、だけど、このままじゃ誰のそばにもいられないんだ」
落ちこんだ声がくぐもりました。どうしてそんなこと言うのだろうとかなしみが移りながら、僕はやはりなにもできずにいました。この子はたしかに僕だと思っていたけど、実は違うんだな。だけどそれって、他にも僕がそうだったようにつらい子どもがいるということだよな。なにもできないでいるというのは罪だと僕は思っていました。かわいそうにと言うばかりで助けてくれないひとたちを、僕ははじめ、やがて諦観するまで、ひどく呪っていたのでした。
「あのね、きみ……きっと、大丈夫だよ」
ほんとうに?と彼は問いかける目をしたようでした(というのは、彼の顔がおぼろげにしか見えなかったからです)、その無垢さに心が痛み傷ついたことを恥じました。
「そうだ……うん……さみしさというのは、事実でなくって、感じるものだからね……だからたぶんね、それを感じなくなる日が……来るんだよ……」
そして恐る恐る目の前で佇む子どもの背を撫でてやります。これが、内気な僕の精一杯のやさしさと勇気でした。彼は驚いたように肩を震わせたあと、「あなたはずいぶん、やさしくなれたんですね」と呟きました。
「強いひとだ」
「そんなことないよ」
「いいえ、もうひとりで充分でしょう」
ひとりなんて、と言おうとした瞬間に僕は雨宿りして雷を恐れたあの日を思い出しました。ひとりはいやだ、いやだ……僕はあの日からなにも変わっちゃいないのに、なぜ充分と言うのだろう?分からない。彼はわからない……子どもなのに子どもじゃない、僕を見透かしていながら、なにも理解しえない……

「起きろ」
夢を見ていたようでした。身体は重たく、目を開けるのも億劫で、しばらく身をよじるだけに留まりましたが、僕に呼びかけてくれたひとが気になって、瞼を開きます。豪炎寺くんは僕の隣、ベッドサイドで行儀よく座っていました。おはよう、寝ぼけて挨拶をすると彼はちいさく笑います。
「おはよう、夢でも見たか」
「うん……不思議なのを、」
「へえ」
興味を持ったようで、上半身をやや乗りだしてきました。こんなときは子どもらしい顔をするのです。子どもらしい……らしくない……あの子は誰だったのか、分からないまま目を覚ましてしまいました。
「子どもがかなしそうにするんだけど、その顔がよく見えなかった、大事なひとがいなくなる、と言うから……ちいさい頃の僕を見たのかと思ったのに、違って……」
「……それで?」
「僕分からなくなって、でもなんとかその子を慰めようとした。さみしさは、いつかなくなるから、って」
豪炎寺くんは、いつものようにしばらく黙っていました。相槌が下手でした。けれど目を見て話を聴いてくれます。彼は言葉で飾らないだけ、僕よりずっとやさしく勇気があると、僕は感じていました。あのさみしさと恐怖から僕を救ったのは、紛れもなく彼だったのです。
「そうか」、やっと夕立に似てこぼれた言葉は震えていたようでした。向けられた視線はいつの間にか別へ逸らされていました。
「吹雪は、ずいぶんやさしくなったんだな」
図らず声を上げそうになって、ただ息を呑みこむだけに留めます。なぜなら今彼が言ったことは、もっとも恐れるべきことだからでした。強いひとだ……ひとりで充分でしょう……と言うに違いないのです。あの大人びたやけに礼儀正しい子どもは、まさに豪炎寺くんそのものだということになぜ気づけなかったのでしょうか。
「豪炎寺くん、僕をひとりにするなんて、まだもっと先まで止してね……」
変わってしまった、それでもなお、彼が僕自身を支えることを望んでいる。逆接表現は大切なものです、豪炎寺くん、そうでしょう、たとえそれが希望的観測だとしても。
この声は届いたのでしょうか、豪炎寺くんはやわらかいしぐさで、なにも言わないまま臆病な僕の背を撫でていました。それは普段の彼が持つ迷いのない透明なやさしさでした。目を閉じると豪炎寺くんはいつも通りのあたたかな冷たさと気品とで、僕の自立した依存心という名の身体を、いつまでも、いつまでも抱きしめ続けてくれたのでした。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -