かきもの | ナノ


決して、万能という訳ではない。勉強はそこそこできるが上は切りがないし、スポーツはサッカーしか大して巧くない。他はすべて人並み、芸術に至っては言葉も出ない。
だがそれでも自分を敬おうとする人間が増えてゆくのは不思議なことだ。尊敬の目で見ているテレビの向こうで、対象は常に自分と同じように生きているに違いないのに。スケジュール帳の色の数は違えども……正義の味方はぴしゃりという拍子木の音と共に強い悪を見過ごすことになるのである。

うつむいて家路を歩いている。赤信号を見ない振りで渡っているとき、車に轢かれることを考え、それでも良いと自らに了承をしていた。夕香さえ事故に遭わなければもういい。夢うつつの感覚が掴めない。認識間隔の狭さは頭をぼうっとさせて、現代風の無気力を醸し出している。
(今は誰も……豪炎寺修也に気づかない)
メディアの映す彼はいつも溌剌として凛々しい。有り余る憧憬は疲労を誘発させる。誰とも関わりたくない、誰にも会いたくない、今の自分は豪炎寺修也ではなく、ただの中学二年生だった。
(帰りたくない)
(さびしいところでひとりになりたい)
夕刻の秘密基地を知っていた。粗大ごみを放り投げられるだけの空き地は、連想できる秘密基地の……大きな木でないほうに良く似ている。ブラウン管のテレビが多く捨てられていた。もう液晶の時代だ。いつか自分が中にいるままの液晶テレビが、ここにたくさん捨てられること。70パーセントオフのセールワゴンの中に「豪炎寺修也」の名前があること。想像力なら余分にあった。無条件で時間は流れていく。
「あ、……お前」
ひとりになるはずだったのが、白い冷蔵庫の上にはすでに先客がいた。黄昏の色に負けたように髪を光で染めるひと。
「きみ……豪炎寺くん?」
眩しげに目を細めて、冷蔵庫の上を動かない鎧の硬さを侘びしく見ていた。ごちゃごちゃとうるさい鉄の中で彼はひとり、銀に光っていた。自身を錫と置く謙遜とはかけ離れた臆病と、他者を見下す子どものような傲慢が混じりあいながらも純粋を際だたせる。
「どうしちゃったの、こんなところに」
「狭いのが嫌いなんだ」
「そうなの、僕といっしょ」
吹雪はサッカーボールを両手に抱えていたが、それをどうにかするようには見えなかった。白と黒の間も狭い。勝負事は二色、政治家しかグレーを好まない社会。だからといって政治家になりたいのではなくて、そこで低迷する可能性を求めていた。灰色を押しのけられて吹雪はさぞ辛かろう、光沢を見いだせない彼らにとっては銀も灰も同じことだ。
うずたかい機械の王者になった吹雪は俺を手招きした。うまく登る方法をふたりは知っている。
「はやく、陽が落ちちゃう前に」
「ああ……もうすぐ、」
ブラウン管を踏みつけて、白い冷蔵庫の上へ座る。ふたり座るのでぎりぎりの大きさはワンドア、入口も出口もひとつしかない。
「俺は、ひとりになるつもりで来たんだけどな」
「ふふ、僕もだよ」
「ならどうして呼ぶ」
語尾が切れたか切れないかのところで吹雪は俺と手を重ねた。大きな瞳が真摯に見つめている。冷えた指先の温度差がわずかに伝わってきて、すこし苦しかった。手を離して目を合わせると、吹雪の心が閉じた気がした。
(あ、今、ひとりになった)
「そういう、ことなのか」
何も答えない。体はドアを隔てれど完全にはひとりになれないのに、心のひとりはひどく寂しく思える。彼はそれを痛いほど知っているのだった。
はやくお帰りよ、古いテレビのようにぼやけた声はいくらか優しい。せつなさを教えながら、自分では脱却できないと諦めきった声をしていた。微笑みは宙に向けられている。
「吹雪」
思わず取った左手は白いまま、篩えることなく佇んでいる。俺の憧憬はこれだったのか!新しいものに囲まれて呼吸もままならなかった喉が小さく息を漏らした。互いに温度が伝わってゆく。
「決めたの?それが、取り残されないための防衛でも?」
大きく頷いてみせた。木々のざわめきが扇風機の羽根を回している。吹雪はやっと微笑みをこちらに向けて「豪炎寺くんなら、」と体を寄せた。
「きみはほんとうに優しいから」
取り残された何かを守ろうとする強さはない。その分、弱さを受容して生きられるブラウン管の向こう側に虚実を問わず惹かれてしまうのだった。
「俺はだめだなあ、強いのがすばらしいなんて、誰が言ったんだ」
泣き笑いになっても吹雪は瞑目したまま手を重ねていた。彼は徐々に温かくなる指先を、誰かの心の移り変わりや、色の狭間に勘違いすることは悪くないのだと伝えてくれている気がした。気温はゆっくりと下がり夜は着実に近づいてくる。夜の帳までの距離を、誰もが歩数で数えられればいい。






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