ねためも | ナノ


神霊狩



卑しいものを今度こそ消し去ってしまいたいと思っていた。信は素直で純粋だとも思った。すこしばかり余計に世間を知ると人は賢くなるものだ。濾過のいらない愛憎は知能もまた不必要である。自分の、刃物を手にしたことのない無傷の指は見えざる血で汚れていた。言葉のナイフなんてものにあながち嘘はないのだし、小突いたあの感覚で、あれほどの感覚で人ひとり屋上から落としてしまったのかもしれなかった。右手に伝わった軽い衝撃が蘇る。何度も何度も繰り返して、塵も積もればというやつか、衝撃の感覚は明らかに当時の命の重さを表していた。俺の動機なんて、濾過したら欠片ひとつだって無くなっちまうんだろうな……今訪れるものは後悔ではなく、憎しみでもなく、罪悪感ともまた違う静けさである。黒板に写した荒々しさでは解らないひっそりとした死の展望だけが唯一、彼と匡幸とを繋いでいた。
誰かを殺すことが正義のあるべき形ならばこんな気持ちにはならなかったのにと安直な思いをめぐらす。シミュレーションで戦争に加担したことはあれど実世界では平和主義なのだから、スコープで視た世界で生きていたいというのは匡幸のもっとも大きな願望でもあった。スリルを体験しながらの平和主義がそこにはある。スイッチさえ切れば誰も死なない社会。プログラムから何ひとつとして逸れない社会。裏切りのない社会。見たくないものがあればスコープが目を奪った。あの日だって匡幸の心は仮想現実の中へ取りこまれたまま、ほとんど夢うつつのごとく穴の空いた蒼穹に目を奪われていたのに相違はなかった。逃げに徹する三匹の猿にも近く狡猾に生き延びた気もする。だが愛想笑いを伴った、長く不透明な逃げと、強い劣等感と憎悪を抱いた清々しい逃げとではどちらが真の狡猾であるのだか、匡幸には判断し難かった……それは義務教育では教わることのない真理だった。大人だってそういうふうにして、自らの背負った重みから逃げているのだと、やんわりとした哀れみのようなものが彼の心に浸透してゆく。
匡幸はその日屋上に立った。気味の悪いほどの静けさはしつこく耳の中で鳴り響いていた。ここの風はどうしてこんなに強く吹くのか、死に近づく人間たちをつめたく急かしているのか、もしくは自分をはじめとする枷の嵌った人間たちを罪の意識へ駆り立てるつもりなのか?上から覗きこんだ景色を、あいつはどんな気持ちで眺めていたのだろうと表情になく水面下で考えている。
「ステージ1、あんなこと、今はずいぶん簡単にできちゃうんだよな、あーあ」
みんな安売りしすぎなんだよ、自分の何気ない呟きに彼は一瞬はっとして、二、三歩後ずさる。それからこの言葉がただ誰かを恨み呪うものでないことを悟り、もの淋しく微笑んだ。




120726 サイケブレイク




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