(…足が、重たい)

足だけじゃない。腕も、肩も、身体中が鉛を詰め込んだように重たかった。かろうじて動かせるのは口だけだろうか。
"上条"はぼんやりと自分の状態を確認する。これではもう、五体満足でもロクに使いものにならない。"上条"は小さく息を吐くと、目の前ですがるように自分のシャツの襟元を掴んでいる少年に視線を戻した。

「…なんとか、言えよ…!」
「……」

少年は"上条"とよく似た格好をしていた。特徴的に跳ねた黒髪に、見慣れた学校指定の制服。目の位置も鼻の位置も、毎朝鏡で見ていた自分の姿と、全く同じだった。
自分の目の前で、泣き出す寸前のような表情をした少年は、―――"上条当麻"だった。
見間違うはずのない、自分の姿。"上条"と同じ顔をした少年は、何も言わないことを責めるかのように、言葉をぶつける。

「…なぁ、起きてこっちに来てくれ。お前じゃなきゃダメなんだ。皆お前を待ってるから。父さんも、母さんも、ステイルも、神裂も、――インデックスも。皆、お前を待ってるんだ。なあ、」

俺じゃダメなんだ、と大罪を告白するように、目の前の少年は言った。泣きそうで、悔しそうで、辛そうな表情で、少年は笑う。

「ダメなんだ。俺じゃお前にはなれないよ。インデックスのやつさ、ずっとお前を待ってんだ。隣のスペース空けて、待ってるから。俺が貰っちゃいけないんだ。俺がいちゃいけないんだ。思い出も、笑顔も、全部全部、お前のものなんだ。だから早く行ってやってくれよ"上条当麻"。だから、だからさ。――あんまり、待たせないでやってくれ。アンタはあの子の"ヒーロー"なんだろ…?」

少年の願いが、虚しく響く。
"上条"は、考える。きっとこの少年はいたくないのだ、その場所に。逃げたしたくてたまらないのだろう。日溜まりの中に自分がいることが怖くて怖くてたまらないのだ、きっと、彼は。

(…でも、そんなのは、)

「……ズルいだろ」

思わずこぼれ出た言葉に、少年は驚いたような目で"上条"を見つめる。自分は今、どんな表情をしているのか全く検討がつかない。笑っているのだろうか。怒っているのだろうか。泣いているのだろうか。分からない、と"上条"は思う。だけど、

(…くやしい)

喉元に、熱いものが押し上げてくる。何かが抑えきれずに、こぼれ落ちるように言葉へと変わる。

(くやしい、苦しい)

「…俺だって、いたかった。そこにいたかった。"お前たち"といたかった。確かにこれは、俺が行動した結果だよ。それを後悔なんてしてない。責任を押し付けるつもりなんてない。だけど、」

(俺だって、俺だって、ずっと)

(ずっと、)

「一緒にいたかったに、決まってるだろ…!」

こんな場所は嫌だった。こんな冷たくて暗くて、寂しい場所にいたくなんてなかった。
でも、"上条"は言うことは出来なかった。

置いていかないでくれ、と言うことは出来なかった。

"上条"は知っていた。理屈も理由もないけれど、分かっていた。目の前の少年がいる、その日溜まりの中に自分の居場所がなくなってしまったことくらい。あの澄んだ目をした少女の隣は、少しずつ目の前の少年で埋められている。そこに自分のスペースはない。
目の前で呆然としている少年は、そのことに気がついていないだけだ。

目の前の"幸せな"少年が、妬ましかった、憎たらしかった。憎しみを言葉に変える術も、それをぶつける術も、"上条"は知っている。
でも、心の底から嫌いにはなれないのだ。
だから、これは彼の為じゃない。全部、自分の為だから。

そう自分に言い聞かせて、"上条"は笑う。"偽善者"を名乗る彼は、笑ってみせた。
最後の、最大級の優しすぎる大嘘を吐いて。

「…もう、いいよ」
「え…、」
「もう、俺の後ろ姿なんて見なくていいんだ。今あいつらを守ってるのはお前だろ?傍にいてやれるのはお前なんだ。胸を張れよ、"上条当麻"。お前は――"ヒーロー"なんだから」
「でもそれはお前がっ!」
「違う」

お前が作った居場所だ、と目の前の少年が叫ぶ前に、"上条"は彼の言葉を遮って、首を横に振る。

それは、違う。
皆はきっと"上条"の残像を見ているわけではない。目の前に立つ少年を信頼して、そこで笑っているのだ。彼が、今の"上条当麻"が、そこを作ったのだから。

「だからお前は、堂々とそこに立ってろ」

動かなくなりつつある筋肉を動かして、"上条"は笑みの形を作り続ける。感覚はもうとっくの昔に失われていた。
本能的にリミットが近いこと理解すると、"上条"は錆びたように動きの鈍い腕を無理矢理動かし、自分のシャツをすがり付くように握っていた少年の腕を掴んだ。
自分とは違い、血の通った暖かい腕。少年の腕が予想外の冷たさに強張り、反射的に引こうとしたが"上条"はそれを許さない。

「なに、して…?」
「…なぁ、"上条当麻"」

ぐ、と腕を引く手に力がこもる。困惑した表情の少年を尻目に、"上条"は腕をさらに自分へと近づける。

「―――ッ!?」

そこで少年は気づく。
自分の腕が、目の前の"上条"の頸動脈へと向かっていることに。その腕の先にあるのは、右手。全ての幻想を壊してしまう自分の右手は、確実に目の前の人物を壊そうとしている。

「なっ…、おい!やめろよ!なにを―――ッ」

慌てて手を振り払おうとしても、力一杯掴んでいる"上条"の手はそれを許さない。
これで最後なのだ。本来自分はどこにもいるべきではないのだから。だから、と"上条"は笑う。

「お前はもう、大丈夫だから」

(やめろ)

「お前には、並んで歩く為の足があるだろ。お前には、差し伸べられた手を掴む為の手があるだろ。お前には、見守る為の目があるだろ。お前には、言葉を伝える為の口があるだろ。…お前は、生きてるんだから」

(やめてくれ、俺を置いていかないでくれ)

「しっかり立って歩けよ。お前の足なら、あいつらと一緒にどこへでも行けるから。…だから振り返んな、」

(俺を、)

「…俺はもう、いてやれないんだからさ」

(ひとりに、しないでくれ)
"上条当麻"は嘘を吐く。
最後の最後まで自分らしくあるために、偽善を貫く。
叫びは口の外に出ることはない。

目の前の少年は泣いていた。止めてくれ、行かないでくれと泣く姿は、まるで自分のようだった。

(でもダメなんだ)

確実に、少年の右手が"上条"の首に近づく。

(だってもう、俺は動けない。俺の足はもう動かない。もう前に進むことはできないんだ)

「やめてくれよ…ッ!」
「…泣くなよ、"上条当麻"」

俺はきっとここにいちゃいけないから。だからせめてお前の手で壊してくれよ。

「――お前の右手は、俺みたいな幻想を壊す為にあるんだろ?」

壊してほしいといったのは最後の我が侭だ。触れたらお仕舞いだ、何もかも。
"上条"は精一杯の笑顔を目の前の自分に向ける。それは涙でぐちゃぐちゃで、正直綺麗とは言えない顔だったけれど、それでも笑う。"上条当麻"は笑う。


「一緒にいれなくて、ごめんな。俺は、――ここでリタイアだ」





Good-bye,I






パキン、と何かが壊れる音がした。


(壊したのは、俺自身)







第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -