ぐらり、と身体が傾く感覚がした。その後にすぐ襲ってくる、内蔵が持ち上がるような浮遊感。まるで、安全装置の壊れたジェットコースターのてっぺんから突き落とされたような。
ジェットコースターなんてものに乗ったことはないが、能力研究の過程で高度3000メートルからの落下というのはやったことがあった。年齢が2桁に達していない子供を無表情で突き落とした研究員の顔が、蘇る。回らない思考回路に、響くエコー。

(…ッ、気持ちワリィ…!)

吐きそうだ、と思った瞬間。曖昧だった視界がクリアになり変わる。抜けるような、青。遠ざかるヘリコプター。突き刺すような風に思わず目を瞑る。そうだ、ここは。
無意識に指が首元のチョーカーへと伸びた。指先が、震える。スイッチを入れた。

はず、だった。

「―――ッ!?」

ない。どこにも、ない。

(チョーカーが…ねェッ…!)

繰り返し喉元に触れる。それでも、ない。あるはずのチョーカーがどこにもない。
身体は落ちる。落下、落下、落下。
リフレインする研究員の声。

"失敗だ"
"能力の出力が認められない"
"安全装置の作動も確認できない"
"まあ、いいだろう"
"能力さえなければ、あんなガキ"

"用なしだ"


(、落ち、る――ッ!!)


その時。誰かが、伸ばされた腕を、掴んだ。



「―――ァ、ッ!?」
「うわっ!」

ガバッと、一方通行は勢いよく身体を起こす。身体中から出た汗がシャツをぐっしょりと濡らしていて気持ちが悪い。
浅い呼吸の中になんとか酸素を取り入れると、次第に鮮明になる視界。物の少ない、殺風景ともとれる自室。高度3000メートルの上空でもなければ、コンクリート打ちの研究室でもない。慌てて首元に手をやると、指先が硬い機械の感触があった。

(――あっ…た…)

安堵で、力が抜ける。ようやく周りを見渡す余裕が出来て、一方通行は初めて側に番外個体がいることに気がついた。彼女にしては非常に貴重なことに、ぽかんとした表情をしていたが、一方通行が見ているのに気がついて大きく息を吐き出す。

「あーびっくりした。いきなり起き上がんないでよ一方通行。ホラーかと思った」
「…てめェかよ」
「なにかな、その顔は。愛しの打ち止めちゃんの方が良かったのかにゃん?」
「気色ワリィ、ヤメロ」

汗でぐちゃぐちゃになった前髪を乱暴にかき上げる。周りが静かなのをみると、打ち止めや黄泉川は寝ているらしい。時計に視線を向けると夜中の3時過ぎだった。
最悪の夢見だ、と一方通行は舌打ちを鳴らす。あんな夢を見た自分にも腹がたつが、それよりも、

「…ンで?テメェはなンでここにいやがンだよ」

寝首を掻こォとしてたンじゃねェだろォな、とじと目で番外個体を睨み付けると、彼女は興醒めだと言わんばかりに首を横に振る。

「寝てる間に襲うなんてラクな方法をミサカが選ぶわけないじゃん。どうせやるならもっとアナタが屈辱的な方法で殺すってば」
「…そォかよ」
「ミサカはただ、ネットワークでアナタの無意識下で負の感情を拾ったからさあ、学園都市第一位サマの無様な寝顔を拝みに来たんだけど。ああ、安心してよ?アナタの大切な大切な打ち止めは気づいてないみたいだから」
「そンでわざわざ来たのかよ。呆れたヤツだな」

番外個体はギャハハ、と下品な笑い方をすると、

「アナタの嫌そうな顔見るのがミサカにとって何よりも快感だからねえ!あっはは、すっごくイイ顔だったよ一方通行!呻き声なんて上げちゃってさあ、もう、なに夢見でも悪かったのかにゃーん?悪夢にうなされる第一位とか…ブハッ、ウケる」
「…うるっせェよ。騒音迷惑もいいとこだっつゥの。ガキが起きンだろォが」
「うわ、ここで打ち止めの心配?どこまで過保護なんだっての。流石は親御さんだね」

キモ、と吐き捨てるように番外個体は呟くと、手を床に付いて立ち上がる。一方通行が目を覚ましたらもう用はないと判断したのだろう。

「お前、俺が寝てる間になンかしてねェだろうな」
「…してないよ。額にモヤシって書こうとも思ったんだけどね、油性マジックで。その前にアナタが起きちゃったから出来なかったよ、つまんないの」

心配なら鏡で見てみれば?と小馬鹿にしたように笑い、番外個体はくるりと一方通行に背を向けた。暗がりの中。顔を背ける寸前、イビツに歪んだ彼女の顔が、今にも泣き出しそうな子供のようになったような気がしたのは気のせいだったのかもしれない。

「――オイ、」

確実にドアに向かって離れていく番外個体の背中を、一方通行の声が追いかける。前進していた彼女の足が、止まる。

「…なに?まだなんかミサカに用でもあるのかな一方通行」

怪訝そうな表情で振り返る番外個体に、一方通行は少し躊躇ったように、口を開く。

「――、お前、俺の腕掴ンだか?」

ぴく、と彼女の肩が揺れた気がした。番外個体は少しのタイムラグの後、息を吐き出すように、さあ、と呟いた。

「知らないね」
「…そォかよ、引き止めて悪かったな」
「んじゃね、一方通行」

良い夢を、と皮肉なのかよく分からない声で言うと、番外個体は部屋から出ていった。ベッドの上にぽつりと1人残された一方通行は、未だに掴まれたような感触が残る手首をじっと見つめる。
あの時、伸びてきた腕は。もしかしたら、


「…あり得ねェか」


SOS信号


(アイツに限って、なァ)






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