無機質なコンクリートに囲まれた部屋は殺風景で、妙な居心地の悪さを感じる。天井に取り付けられたレンズに視線を移した一方通行は、軽く舌打ちをする。

(…ホントに悪趣味だよなァ)

胸くそ悪い。一方通行は心中に浮かんだ言葉を躊躇なく吐き出す。これじゃあまるで見せ物だ。
あのレンズの向こう側にはきっと、天上の意思とやらを知りたがるイカれた科学者どもがいるのだろう。太陽に近付き過ぎて地面に叩きつけられたイカロスに、天まで行こうとして倒壊したバベルの塔。皮肉を込めた比喩を思い浮かべながら、一方通行は内心首を横に振る。
奴らをキチガイと言うのなら、こんな実験に関わろうとしている自分だって狂っている。もしかしたら、彼ら以上に。

『――、一方通行』

スピーカーから感情を殺した声が部屋に響く。

「よォ。まだ来ねェよかよ、その実験動物とやらはよォ。いい加減待ちくたびれたぜ?」
『"実験"の使用個体が到着した。まもなく"実験"を開始する』
「…そォかよ」

実験動物、という一方通行の例えを声は否定しない。
学園都市第三位の体細胞クローン、"妹達"。事前に話は聞いていたし、オリジナルに関してはデータを見たことがあった。

(…2万人も同じ顔がいるっつゥのは正直気持ち悪ィな)

いや、そんなことはどうでもいい。
本当に。本当に気味が悪いのは、

(いくら人格がインストールされたクローンっつったて、こんな"殺される"ことがはなっから分かってる実験なんかにバカ正直に来ンのかよ)

もし、自分が今日のいつに、どんな風に死ぬことが前々から分かっていたとしたら。
人はまともでいられるのだろうか?

その時。カツン、とローファーが床を叩く音が聞こえた。
カツン、カツンと。規則正しく聞こえてくる音は確実に部屋に向かって来る。その音に、一方通行は無意識に身体を強ばらせる。これから殺し合いをするからではない。命の危機を感じたわけでもない。
ただ、絵空事だったはずの"実験"が。足音が近づく度に明確に輪郭を帯びていく。
"人を殺す"という"空想"が"現実"になって、近付いてきていた。

"人を殺す現実"が、目の前にあった。

(……くンな、)

無意識の内で、一方通行は小さく呟いていた。
化物と呼ばれ続けて歪んだ彼の心が、あまりにも久しぶり過ぎるくらいに懇願していた。
来るな、来るな、来るな!
足音が大きくなる。嫌な汗が首筋を伝い、追い詰められたような錯覚が一方通行を襲う。部屋に入ってきたら、実験が始まってしまったら、もう。だから、

カツン、と。
一方通行の願いは虚しく、向かってきた足音が止んだ。

唯一部屋を出入り出来るドアが、開く。

「――あなたが実験の被験者、一方通行で間違いはありませんね?とミサカは確認を取ります」

そこには、御坂美琴の姿があった。いや、正確には御坂美琴にあまりにも酷似した少女がそこに立っていた。肩まである茶色い髪に整った顔立ち、白い半袖のブラウスとサマーセーターとプリーツスカート――額に掛けられている暗視ゴーグルだけが、唯一の違いだった。
機械的に足を進めていた少女は一方通行の3メートル程手前で立ち止まる。

「…んっとに気色ワリィくらいにそっくりなンだなァ」
「ミサカはお姉様の体細胞を元に作られたクローンですから、身体的一致度はほぼ100%です、とミサカは自己紹介がてらに説明します」

少女がクローンという言葉を躊躇いなく口にすることに、一方通行は小さく顔を歪ませる。
対して言葉を発した少女の顔に表情はない。死に対する恐怖も緊張も、その眼には浮かんでいない。
彼女は別に、この実験において一方通行に勝てると思っているわけではない。第一、一方通行は知らなかったが、この実験は"妹達"が死ぬことを前提にシナリオが書かれている。彼女の頭の中には自分がどのように殺されるのかのシナリオが入っているのだ。
それでも彼女は発狂するでも、泣いて命乞いするでもなく、そこに立っている。
まるで、死ぬことなんて大したことではないといったように。

「…あっそ。んじゃァ、テメェが今回俺に殺される標的ってことでいいんだよなァ?」
「はい。ミサカの検体番号は01番ですので間違いありません、とミサカは答えます」
「……ホントに、気味が悪ィなお前」一方通行は偽悪に口を歪めて、「――あのさァ、お前これから俺に殺されるっつの分かってンの?」
「? 質問の意味が分かりかねますが、とミサカは首を傾げます。それより実験開始まで2分を切りましたが準備は整っていますか、とミサカは問いかけます」
「…なんっつゥか、理解出来ねェよなァ。もうちょっとなんかさァこの状況で感じたりしねェの?」
問いかけながら、一方通行は予想が外れたのを感じていた。

(…なンだよ、コレは)
"実験"を受け入れながら、一方通行は心のどこかで思っていた。
彼女達が死に怯えて一方通行に命乞いをするだろう、と。
そう、思っていたのに。

「そのような曖昧な問い掛けには答えかねますが、とミサカは返答しつつ質問の意図を探ります」

少女の目には何も映らない。
ガラス玉みたいに、対象物を映すだけ。
妙な喉の渇きを覚えながら、一方通行は言動とは裏腹に焦っていた。
一方通行は怖い。ここまで人が人でなくなるのを見るのが、怖い。学園都市第一位の"最強"は、確かに恐怖していた。
これは、人間なのか。
いや、もうこれは。これは、違う。これではただの、

「――別に、2万回もお前らを殺さなくちゃいけないわけだしなァ?ちいっとばかし仲良くしようと思ったンだけどよォ。やっぱお前じゃ話になンねェな」
「ミサカ達はネットワーク上で記憶をリンクさせてはいますが、同一の個体ではありませんのでその表現は正しくありません、とミサカは懇切丁寧に説明します」
「チッ…、あーハイハイ。ゴタゴタと細けぇヤツだな。ンじゃあもういいか?死ンどけよ――"実験動物"」

出来るだけ偽悪的に、威嚇するように一方通行は笑みを浮かべる。

「開始指定時刻は8時29分44秒、―52秒、56秒、」

少女は自ら、カウントを刻む。どこまでも機械的に、当然のことをするように。


「――これより、第一次実験を開始します」



***



ぐちゅり、と一方通行の指が少女の傷口に食い込む。
ぬるりとした感触に、一方通行はそこまでせり上がってくる嘔吐感を堪える。
コンクリートの部屋には至るところに赤がべったりと付着し、少女の乱れた呼吸音だけが、場を支配していた。

(ッ気色ワリィ…!)

身体中に傷を作り、殴られても。少女は決して言わなかった。痛みに呻くことはあっても、

助けて、とは言わなかった。

一方通行は少女をすぐには殺さなかった。本来ならもっと早く付いた決着を、出来るだけ長引かせた。トドメなんて、させるわけがなかった。

(なンで、言わねェンだよッ…!)

たった一言でいい。
それだけでいいから。そうすれば自分はこの手を止めることが出来るのに。

「…言えよ、」
「っ…なに、を、ですか…とミサカは、問いかけま、」
「助けてくださいって言えよ。そォすりゃ、殺さないでやってもいいンだぜ?」
「なぜ、ですか…?、とミサ…カは、疑問を口にします」

息も絶え絶えに、少女は一方通行を見つめる。
そこには確かに、死に対する恐怖があるのに。少女の"感情"はそれに気がつかない。
"生きたい"というのは人間の本能だ。
理屈も理由もそこにはない。犬でも猫でも、それこそ実験用のクローンマウスでも。
生きたい、と思うそれを"実験"は許さない。彼女にインストールされた人格は、それを認知できない。


「ただ…の、実験動、物である…ミサカに、何故、そのような…」

もうこれ以上、聞いてなんてなんていられなかった。
これ以上1秒だって、耐えられなかった。

「――もォ、いい」

黙っとけ、と一方通行は小さく呟いた。
その声はあまりにも小さくて、掠れていて。聞くことが出来たのは死にかけの少女だけだった。
飛びかけの意識の中で、少女は視界の中の赤がぐにゃりと歪んだのをただ静かに眺めていた。
一方通行は、手を伸ばす。


これで、最後。


「―――、じゃァな」




はじめまして、さようなら


(これでもう後戻りはできない)








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