(あぁ、まただ)

冷たい浴槽に頬を押し付けながら、上条当麻は思う。
無理な体勢で硬い場所に寝ているせいで身体のあちこちが痛い。喉の奥から上がってくるものを必死に押し込めていると、目頭が熱くなってくる。
泣く、と思ったときには既に濡れた感触が鼻の上を通り、反対側の頬に伝わっていた。

(ちくしょ…、泣いたってしょーがねぇのに…)

三沢塾の件で、ある程度は吹っ切れていた。それでも、時々こうして漠然とした思いが込み上げてくる。悲しくて、憎くて、羨ましい。まるで"記憶を無くす前の上条当麻"に恋をしているような気分になる。向けられる好意や優しさが、全部以前の自分に向けられたような錯覚に陥ってしまうのだ。思い出を忘れてしまった自分は完全な"上条当麻"ではない、と今の上条は思っている。だからこそ、知られるのが怖いとも。

きっと彼らは優しくしてくれる。記憶喪失だと話したところで、突き放したりしないだろう。それどころか、今まで気がつかなかった自分を責めたりするかもしれない。でもそれは、彼らの重荷にしかならないのだ。

嗚咽が漏れそうになったのを、上条は唇を噛んで止める。ここは風呂場なのだ。泣いたりなんかしたら、インデックスに気付かれてしまうかもしれない。
インデックス。その単語が出てきた途端、上条はまた大声で叫びたいような感情に駆られる。"記憶を無くす前の上条当麻"を信頼し、心からの笑顔を見せてくれる彼女。彼女の隣にいる資格は、"今"の自分にはあるのか?何度も繰り返した自問。答えなんて、出たことはないのに考えずにはいられないのだ。

「……ッ」

所詮自分は"上条当麻"の真似事しか出来ていないのだろうか。
分からない、分からない。
もっと頭が良かったら、この答えは出るのか、と上条は纏まらない自分の思考回路に舌打ちを打ちたくなった。
狭い浴槽の中で、なんとか寝返りを打つ。考えるのは今日、インデックスの様子を見に来ていた神裂のことだ。
上条が中に入ってちゃんと会えと言っても、相変わらず神裂は遠目から自分の視力を使ってインデックスの様子を眺めているだけだった。

『私には、その資格がありませんから』

神裂はそう言った。
意味は分かる。ついこの間まで敵としてインデックスを追い回し、怪我までさせたというのに、いきなり実は友人だったなんて虫がいいと思っているのだろう。
それでも、と上条は思う。神裂はインデックスを大切にしていた、親友だった。インデックスにその記憶がないだけで、思い出しさえすれば、すぐに彼女に抱きついて笑ってみせるのだろう。

(どんな、気持ちだったんだろう…)

親友の中から、自分の手で記憶を消したと神裂は言った。それは、どんな気持ちだったのだろう。それでもなお、インデックスの前に立ってみせた彼女は、一体。
自分に笑いかけてくれた"昔の"インデックスを思い出しながら、必死に自分を慰めてきたのだろうか。

(それでも、神裂は強い)

インデックスが記憶を消さなくても良くなった今。彼女に"過去"を押し付けることなく、彼女を守ろうとする姿は、強い。
同時に上条は思う。自分には出来ない、と。
でも、なら。
その神裂に資格がないと言うのら、自分はどうなる?
確かにインデックスを傷つけない為に嘘をついた。それに嘘はない。でも、自分の為でもあったというのも嘘ではないのだから。

真っ白な病室で"上条当麻"のことを大好きだったと泣きながら話す少女を、失いたくないと。
自分に向けてほしいと思った。

『貴方には、借りがありますから』

不意に、昨日の神裂の顔がフラッシュバックした。控え目で、少し照れたように。それでもしっかりとこちらの目を見て、感謝を述べてきた神裂に、上条は逃げ出したくなった。頼むから、そんな風に自分に向かって笑いかけないでくれ、と。
お礼を告げる相手は"今の"上条当麻ではないのだから。お礼を言うべき"上条当麻"はもう、死んでしまった。二度と、その思いが届くことはないのだから。だから、

(やめてくれ)

言いたくなってしまう。
自分は記憶喪失なのだと、大声で叫び出したくなってしまう。足元にすがりついて、泣きながらゴメンと謝りたくなってしまうから。だから上条当麻は、誰もいない浴槽の中で謝る。

(忘れて、ゴメン)

(覚えてなくて、ゴメン)

(…昔の俺じゃなくて、ゴメン)


一番辛いのは、償えないことだ。謝罪も言い訳も出来ないことだ。

「なんで、死んじまったんだよ…」

呟いた言葉はみっともないくらい震えていた。

(なぁ、お前は今までどんな風に生きてきたんだ。どんな思いで、インデックスを救った?)

俺には何も分からないよ。
乾いた唇から、自嘲のような自責のような言葉が零れ落ちる。
無い物ねだりだと分かっていても、願わずにはいられない。頭で分かっていても考えずにはいられない。涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠すようにしながら、上条は眠りにつく。明日もまた、"上条当麻"でいるために。




(結局は何も分からないまま、)







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