翌朝、ジュードは、自身の部屋へと帰る。
ジュードが目覚めた時、ミラは寝室へ行っていたと思うが、姿を確認することはなかった。
ジュードは黙って出ていく。
ジュードの部屋には必要最低限の物しか置かれていない、殺風景な部屋であった。
家を出るときも、小さな鞄ひとつに収まるくらいの荷物の少なさ。それから、荷物が増えることはなかった。
ジュードはすぐにベッドに横になる。
すぐに準備しなければ、授業に遅れてしまう。単位が貰えなくなってしまってはまずい。
こういう自分の生真面目さに、苦笑した。
どんなに自暴自棄になったとしても、本質的な部分は直らない。
また絆創膏が増えた。減っては増え、また減っては増えの繰り返しだ。どうしようもない、そんなことくらいわかっている。
こんな中途半端な自分だから、彼女は、ミラは、受け入れてくれないのだろう。ミラはこんな自分だから、自分の言うことを冗談と捉えているはずだ。
本当はミラに近づくだけで、いっぱいいっぱいだった。慣れないセリフを言うだけで緊張し、少しでもかっこつけては、これで大丈夫かと心配をしてみたりもした。
どうしても欲しいと思った。
その日の昼下がりに、ミラはマティス邸へと足を運んでいた。
使用人もミラの姿を確認しては通し、主であるディラックの元へと案内される。
ここに来るのはいつも緊張する。いつもは顔色ひとつ変えない自分が、少しばかり縮こまる。
自分の中で整理がついたあと、ミラはドアをノックした。
「ディラック様、ミラでございます」
「入りたまえ」
声と共に、ミラはドアを開け、深々とお辞儀をする。ゆっくりと顔を上げたミラは、久しぶりに対面したディラックに対し、心が跳ね上がるのを感じていた。
だが、そんな幼稚な姿を彼に見せるわけにはいかない。ミラはあくまでも、嬉しい気持ちをひた隠しにし、冷静に振る舞う。
そしてジュードの事を報告した。
どこで喧嘩をしているのかは定かでないが、酒を飲む事、時に凄いボロボロになり、帰ってくる事、大学にいる知り合いから、ジュードは一日も休まずに学校に通っている事、とりあえずわかる範囲を報告する。
ディラックは眉を細める。喧嘩さえしなければいいものの、マティス家の名に泥を塗るつもりかなど、小言を漏らしている。
ミラはそれを黙って聞いていた。
ジュードには理解してほしかった。この家がどれだけ名を知らされている事かということを。ディラックがこんなにも心配しているんだという事を。
だが反面、ミラはジュードのいい所もわかっていた。
依頼でジュードに近づいたといえども、彼が見せる優しさ。
ジュードが自宅を訪れた際、必ずしてくれる事があった。
それは朝食の支度だった。自分は寝室にいる為に、ジュードと顔を合わせる事はなくても、朝が過ぎ、寝室を出ると、漂う美味しい匂い。
テーブルの上に置かれている和風のご飯。
もうそれが恒例化していた。最初にジュードがそうしていった時は驚きを隠せず、そして料理の腕が中々だった事にも脱帽したもんだ。
お坊ちゃまの癖に。
勿論それだけではない。
そういうのを見てしまうと、こちらとしても調子が狂った。
そして思った。そうか、彼は構ってほしかったのではないのかと。
それを親にも、そして自分にもわからないようにしていたのだ。
そんなことを考えながらも、無言になったミラを見て、ディラックは問い掛けた。
「何かあったか」
「いえ、なんでもございません」
「君には迷惑をかけてばかりですまないな、よろしく頼むよ」
「そんな堅苦しいのは、やめていただけませんか?私は、あなたの為に、そうしているまでです」
ミラはディラックの背後に回り込み、彼の背中へと抱き着いた。
「……ミラ」
「…ジュードが大人になったら、あなたみたいになるんだろうな」
「バカを言うな、あいつは妻似だ、俺になんか似てはいないし、ならない」
「いいえ、あなた似です」
くすくすとミラは笑う。
彼の背中はまだ、こんなに広くもなく、大きくもない。自分からすれば、彼はまだまだ子供だ。
「君も、私なんかより、もっといい奴を探すんだ、君なんかに、私は勿体ないだろ」
ディラックは少し困ったように言う。そんなことを言われても無理だと、ミラは首を横に降り続けた。