スパイファミリー | ナノ


▽ 覚えてしまった甘い味





あれから。

ヨルの態度が少しだけ変わった。あの時自分がヨルが起きてるとわかっていてあえて呟いた「オレを好きになってください」と耳元で囁いたあの日から。「ロイド」になってからうっかりしてしまいがちになっている自分の、最大のうっかりだったかもしれない。元々任務が終われば、その都度その関係は終わらせているのだから、永遠に続くものなんてこの世の中には存在なんかしていない。そもそも自分が誰かに固執してしまうことだっておかしいことなのだ。誰かが自分の前からいなくなってしまう苦しみをもう2度と味わいたくないから。

だから今のこの状態は、自分から泥沼に足を突っ込んでしまった状態なのだ。

自分がこの人を欲しいと求めてしまったが故の、沼だ。


朝目覚めて、一緒に朝食をとることも変わらない。「おはようございます」と挨拶をすれば、ヨルも「お、おはようございます」と多少のぎこちなさはあるものの、挨拶を返してくれる。ただその後のヨルが自分に会話をしてくれることは、ほとんどないと言ってもいい。そんなヨルの様子をアーニャがじっと見つめ、チチチとヨルの心の中が流れ込んできて、口に出すことはなかったものの、アーニャはロイドの方を向いて、

「ちち、がんばれ」

と言葉を発してトーストをかじるのも、最近の日常のひとつとなっていた。

かといえ、このままにしておいていいのかも良くはないと思ってはいるが、自分にとっては好都合以外の何物でもない。ヨルが自分を意識していることが間違いないからだ。今までの自分と「そういうこと」になりそうになった時のヨルの態度とほぼ酷使している。ヨルと会話を交えることができないのは淋しいと感じてはいるが、明らかに自分の事で頭がいっぱいになっているであろうヨルの姿を見ているのは正直たまらない。本当ならすぐにでも捕まえて、抱きしめて、彼女がもっともっと真っ赤になるくらいな事を呟いて、自分の中に潰してしまいたい。ただそうするにはタイミングがとても大事だ。今はもどかしいが、その時を待つしかない。日々の任務をこなす中、その事だけは頭の片隅から離れることはなかった。



(今日もまたロイドさんに不自然な態度をとってしまいました・・・)

ずーんと重い空気を漂わせながら、ヨルは自室のベッドへと転がり落ちた。あの出来事があってから、ロイドとちゃんとした会話をした覚えがない。何度も何度も夢じゃないかって頬っぺたを抓ったし、任務をこなしてる時にダメージを受けてしまった時もしっかりと痛いし、夢なんかじゃなくて、しっかりとした現実で、無意識に触ってしまう唇と、耳元に残る『オレを好きになって下さい』が24時間ずっと離れずに残っている。
あの時のロイドはどんな顔をしていたんだろうか。自分の知らないロイドだったのは間違いないと思った。あの時の声のトーンがあまりにもいつものロイドと違っていたから。確かめなきゃ、会話をしなきゃとそう決意をしては、ロイドの姿を見ると体が熱くなって、彼を直視することができなかった。不自然な態度でもロイドはいつもと変わらずに自分に接してくれていて、それが正直助かってはいたけれど、でもいつまでもこのままではいられないと、ヨルは自分を鼓舞する。

明日は仕事が休みで、ロイドも休みだったはずだ。自分はやることがあるので先に部屋に戻ると言って、いつものロイドとの時間を断って、部屋に戻って来てしまって今に至る。
夜も更けて結構いい時間になってしまっている。最近ろくに眠る事ができていなくて、明日は休みだし今日こそはすんなりと眠れると思ってみたものの、今日も瞼は簡単に重くなることはなくて、困ったなと思いつつ、水を一杯飲もうと思い、ヨルはガチャっと部屋のドアを開けた。
リビングには光がまだ灯っていて、それはロイドがまだ起きているという事を意味していた。

(まだ、起きていらっしゃる・・・?)

びくん、とヨルの心臓の鼓動が早くなったが、リビングには人の気配は感じられなかった。
きょろきょろと辺りを見渡し、バスルームからシャワーの音が微かだが聞こえてきて、ロイドは今シャワーを浴びているということがわかった。それに安堵してしまった自分もいて、なんて自分は酷いんだろうなと思いつつ、ヨルはコップに水を汲んでソファーへと腰かけた。そして本来ならば今日目の前にいたであろうロイドとの時間を思っては、くすっと笑みを零す。

ああ。喋りたい。自分はこの時間をとっても大切にしていた。
ワインを飲める名目であっても、どうしても先に自分が酔い潰れてしまう申し訳なさがあっても、ロイドとゆっくりと話ができるこの時間を。

(わたしも、ロイドさんも、笑っていて。それがとても心地よくて)

彼もそう思ってくれていたんだろうか。いや、思ってくれていたんだろう。

(だってロイドさんは、私の事が・・・)

そう考えた時に、思い出した。ロイドは「好きになって下さい」と言ったけど、「好きです」とは言われていない。だから彼が自分を好きかどうかはわからない、と。




「ヨルさん?どうかしたんですか?」



タオルで髪を拭きながら、ロイドがバスルームからリビングへと姿を現した。
しまった!とヨルは思いつつ、ロイドの声がする方向へと無意識に振り向いてしまっていた。

「あ、その、眠れなくて、お水でも飲もうかなと思って・・・」
「ああ、そうだったんですね。それならホットミルクでも作りましょうか。ちょっと待ってて下さい」
「え、そんな、それはロイドさんに申し訳がないです・・・!」
「気にしないで下さい、大丈夫ですから」


久しぶりにこんなに言葉を交わした気がする。どうしてこんなに優しいんだろう。いつもそう思っている。
自分は意識しすぎて、まともに会話をすることができなくて、きっとロイドに気を使わせてしまっているかもしれないのに。でも確認しなきゃいけない。ロイドはあの時自分が眠っていると思っているはずだから、自分があの時の出来事を覚えているなんて思っているはずがない。なんて切り出せばいいんだろうか。


「はい、どうぞ。熱いので気を付けて下さいね」

コトっとテーブルに置かれたホットミルク。ありがとうございますとヨルはお礼を言い、こくんとそれを口に運んだ。あったかくて、甘くて、とてもほっとする味だった。しばらくぼーっとした後にテーブルにホットミルクを置いて、ヨルは口元を緩ませた。


「・・・ロイドさん、みたいです」
「え」

はっとふとヨルは我に返る。無意識に口に出してしまっていた。このほっとするホットミルクがロイドみたいだったから、心の中で呟いていたはずなのに。いやだ、聞かれてしまった。恥ずかしい。恥ずかしい。
立ち上がってその場から逃げ出そうとしたヨルだったが、それは高速でロイドに阻まれる事となる。自分的にはかなりのスピードで動いたと思っていたのに、知らないうちに手首を掴まれていた。振りほどかなきゃ、自分にはとてもたやすいことだ。なのにどうしてそうすることができないんだろう。


「すみません。でも、逃がすわけにはいかないんで」


さっきとは違う低い声のトーンの持ち主に目線をずらすと、そこにはいつもと違うロイドがいた。
手首がとても熱かった。触れられてると思ってしまうと、この前の自分に覆い被さっている感触も思い出してしまって身動きが取れなかった。ぐいっと引っ張られるとあっという間に体は力を無くして、ロイドの腕の中へと閉じ込められてしまって。


「オレは、この時をずっと待ってたんです」


ぎゅううううと力いっぱいにヨルを背後から抱きしめているロイドは、やっとタイミングがきたかとヨルのうなじに唇を這わせて言葉をどんどん紡いでいく。久しぶりにヨルの身体に触れた。ずっとずっと抱きしめたくてたまらなかった。いつも眠った状態で触れているのとは訳が違う。ヨルの意識があって、自分に抱きしめられているという実感がちゃんとある状態で、彼女の事を抱きしめることができている。お風呂上がりのせいもあって自分の身体もとても熱かった。彼女も温かくて、とても、熱い。



「待って、た・・・?」
「そうです」
「どういう、ことですか・・・?」




一応自分は知らない体で、会話を進めていく。



「ヨルさんがオレを避けるのはわかってたんで、こうしてもう一度ゆっくり話ができるのを待ってました」
「そ、それは、その・・・」
「知ってますよ、ヨルさんがあの時、起きてたって」
「っ・・・!」

知っていたんだ。起きていたって。起きていてわかって、自分にキスをして、あんな事を呟いたんだ。


「わかっていたから、オレも自分をこれ以上抑えることはできなかったんです」


またロイドの腕に力が込められて、今ロイドが言っていることは嘘ではないんだなと思わざるを得なかった。自分の傍から離したくないと全身で訴えられてるようで、それはまるで小さい子供のようでもあって。


「ここ数日はあなたがオレを意識してくれてるってわかって、こんなに嬉しいことはなかったですね」
「い、意識しない方が無理ですよ・・・だって、き、き・・・ひゃっ」


ちゅっとヨルの項に口づけるとぴくっとヨルが反応して項垂れている。自分の腕の中にガチガチに緊張しながら縮こまっているヨルが本当に可愛くて可愛くて仕方がない。ああ今どんな顔をして、自分の事で頭がいっぱいになっているんだろうか。項に触れた時にその緊張が崩れて、ヨルの力が抜けたのもわかった。


「そうですね、しましたね、キス。ここにではないですけど」
「あ、あ、ううぅ・・・っ」
「あの時は、あなたが、可愛い顔で、甘い声で、オレの名前を呼ぶからいけないんです」


そうヨルの耳元で囁いては、舌を這わせて、唇で耳を甘噛みした。
そうしたらまた、自分の理性を壊すような声を唇から出して、また溺れさせようとしてくる。止められなくなるスイッチと共に。



「好きです、ヨルさん」



ずるいとわかっていても、また彼女の耳元で囁いてしまった。こういう決定的な事は夢でも幻でもなく事実だから、しっかりと覚えていてもらうためにもここでしっかりと彼女に浸透させようと。
ああまた、ヨルの身体がびくびくと震えている。

(い、言われてしまいました・・・!)

先程まで思っていた、ロイドはまだ自分の事が好きだと言っていないという事実は、以外にもすぐにひっくり返されてしまった。まだわからないから、自分の勘違いかもしれないからと、心の中にしまい込んでおこうと思っていたのに。こんなにはっきりと言葉にされてしまうと、急にまた恥ずかしくなって、頭がショート寸前に陥ってしまいそうだった。

ロイドも言ってしまったと、無我夢中から抜け出した時に我に返る。手を伸ばすのが怖くてそれでも欲しいと思ってしまった希有な存在がヨルだった。今だってこうして抱きしめているととても安心できるのだ。ずっとこうしていたいとそう思わされてしまうのだ。手に入れたいともがき、手にすると我に返って眉間に皺を寄せる。それでも。それでも、彼女を解放しないのが自分の本心なのだろう。


「・・・あの、ですね」


何度も何度もごくんと唾をみ込んで、硬直状態でいたヨルが口を開いた。


「私はさっき、ホットミルクを飲んだ時に、とてもほっとしたんです。あったかくて、甘くて。ロイドさんみたいだなって、そう思って、口に出してないつもりだったのに、いつの間にか口にしちゃっていました」
「そう思ってくれてるのは、素直に嬉しいですけど」
「あの時の重みも、ロイドさんが私に言ったことも、ずっとずっと、忘れられなくて」
「そうするようにしましたからね」
「・・・っ」
「チャンスは逃したくなかったので」
「どうして、そんなに、私を」


ロイドは腕の力を緩めて、ヨルを自分の方へ振り向かせた。リンゴのように真っ赤に染めあがっている彼女の頬へとそっと触れてはヨルが反応して触れられている方の片目を瞑る。どうしてこんなに愛しいんだろう。いつから?そんなの覚えてなんかいない。


「こんなに誰かを求めているのは、オレも生まれて初めてなんです。あなたといるとオレは自分が自分でいられなくなる。それでも欲しいと思ってしまう。こうしてあなたに手を伸ばしてしまうんです」


触れられている手がわずかだが、震えているのがわかった。それに気づいたヨルはその手に触れて、ぎゅっと握りしめる。その事にびっくりしたロイドは目を丸くしている。本当にそういう所なのだ。
次にヨルはロイドの傍に近づいて自分よりも大きな彼を包み込むように抱きしめた。震えなくても大丈夫だと彼に伝わるようにと願いながら。抱きしめてあげたいと思ってしまった。気づいたら身体が動いていた。

「ヨルさん」
「・・・ありがとう、ロイドさん」
「・・・ダメですよヨルさん。そういうことをしては。わかってますか?」

一瞬の隙も見逃さない。顔を上げたロイドがヨルの顎を引き寄せて唇を塞ぐ。腰に手を回してヨルの力を抜かしてしまうくらいのキスをする。舌は幾度も絡み合い、ヨルが倒れてしまわないように腰に手を回しながら唇を吸い上げた。


「ふぅ、はぁ、はぁ、、、・・・!」
「久しぶりにしましたね。覚えていますか?」
「わ、忘れるはず、ありませ・・・んんんっ」
「覚えていてください。これからもたくさんすると思いますので」


ロイドがどれくらい自分の事が好きかなんてわからない、計り知れない。
それでもこの激しいキスはこの前とは比べ物にならないくらい、思考が飛びそうになる。


「そう、いい顔です」


顔がとろけて、自分の事でいっぱいの表情をしている。ヨルに嫌われてはいないだろうと思ってはいるけど、はっきりとした答えをもらうのは今ではないと思っていた。ただこの好機の状況は逃すわけにはいかないので、刻み付けられるうちにたくさん刻み付けたいと思っていた。ヨルも自分の事で頭がいっぱいになるように。


「ヨルさん」


呼ばないで。身体がぞくぞくする。もうだめだ。何も考えられない。くたっと身体の力が抜けてヨルはロイドに身体を預けて息を荒げている。ロイドはヨルを抱きかかえて、ヨルの自室の方へと足を進めていく。
もう何度もヨルの部屋の中は見ているので、今更ではあるが、この部屋に入ると意識をもっていかれそうになった。彼女の香りが嫌でも感じられてしまうから。
いつものように慣れた手つきで布団をめくり、ヨルをベッドへと寝かせた。まだぼーっとしているヨルに対して頭を優しくそっと撫でては



「もうオレも、遠慮はしませんので、覚悟しておいてくださいね」


ヨルの額に唇を落とした後、ロイドはヨルの自室を後にした。思考が既にパンクしているヨルがすぐに意識を失ってしまったのは言うまでもないが、ロイドはヨルの部屋の前で頭を抱えて、その場に座り込んでしまった。



「あぶな・・・」



頬を真っ赤に染め上げながら、項垂れて。














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