スパイファミリー | ナノ

▽ 涙を一粒、僕に預けて






「ヨル先輩って、旦那さんの前の奥さんがどんな人だったのか気になったりはしないんですか?」

職場での休憩中に同僚のカミラからそのような言葉が飛び出してきてヨルは思わず咽る。ロイドとは契約を結んでいる仮初の夫婦であるため、そのような事を気にしたことはなかった。なのでカミラに言われて、ヨルは前の奥さんがいるということを思い出した。イーデンでの試験中に思いもよらぬ質問をされてアーニャが泣いてしまった事も。あの時は子供にこんな質問をさせるなんて許せなかったし、まだ出会ってから数日しか経っていないアーニャが困るような質問だということもわかっていたし、前のお母さんがいいと言われることも覚悟していた。
だけど今だったらどうなんだろうか。もちろんアーニャにも、そしてロイドにも聞くことは許されない質問だと思う。2人にきっと辛い気持ちをさせてしまうかもしれない。カミラによって思い出されてしまった前の奥さんの存在はヨルの心に影を落とした。

「う、うーん・・・気にならないと言ったら嘘になるかもしれませんが、亡くなった方の事を思い出されて、シ、シュジンにも、ムスメにも辛い思いをさせたくありませんし・・・」
「私はやっぱり気になっちゃうタイプなんですよね〜。自分よりも先に愛した人がいて、それがどんな人だったのか」
「そうなんですか?」
「だって心の中にはその人がいるだろうし。どんなに自分を大事にしてくれてるとわかっていても」
「・・・」

そんなこと考えたこともなかった。ロイドの同僚であるフィオナの存在で自分の居場所がなくなる事を危惧していたことは大きかったけど、前の奥さんの事は言われてみればロイドとアーニャにとっては他の誰にも代えられない大切な存在だろう。フォージャー家の妻として、母として、その人のようにならなければいけないのかもしれない。そういえば写真などもないからどんな人だったのかすらも知らない。そこには踏み込んでいい領域なのかはわからない。

「だから私は先輩ってすごいなって思いますよ。料理の時も思いましたけど、旦那さんの事をすごく愛しているんだなぁと」
「あ、あああああい!!!????」

愛しているというワードがヨルに直撃した時、ヨルは精神が昂ぶり手に握っていた缶コーヒーを強く握りしめて中に入っていたコーヒーが制服やカミラの方に飛び散らかしてしまった。

「ちょっっと何してるんですか!!!!!!」
「ごごごごめんなさい!!!急いで片します!」
「本当先輩ってそういう関連には疎いというかなんというか・・・まあそれがよかったのかもしれませんけどね」

声のトーンからカミラが呆れた様子でいたのはなんとなくだが感じ取った。ヨルもやってしまったなと反省する。「旦那さんの事を愛しているんですね」と言われた時にこういう反応をしてはいけなかった。カミラは恥ずかしがっていると思ってくれていると思うが、こういう時はちゃんと「愛しています」と返さなければならなかった。本人にすら言った言葉ではない言葉をこうして口に出してしまってはいいものなのだろうか。けれども結婚している以上は例え契約上ではあるけれども、ちゃんと言えるようにならなくてはならない。大好きという言葉はユーリやアーニャには言ったことはあるけども、流石にロイドに対しては口にしたこともない。それに。

(私も、言われたことは、ありませんし)

ふとその事実に気づいてからは、心がきゅっと締め付けられて切なくなった。そして先程の前の奥さんの事も思い出してしまった。ロイドが愛した人。アーニャを産んだ人。どんな人なんだろう。私は2人にちゃんと応える事ができているんだろうか。休憩が終わってからは仕事に身が入らなくなってしまい、ちょっとしたミスを連発する羽目になってしまった。その為に少し残業することになってしまい、いつもより帰る時間が遅くなる。帰り道も考えていたのはその事だった。

「ただいま帰りました〜!」
「はは!おかえり〜!」
「お疲れ様です、ヨルさん」

帰宅したヨルを温かく迎えてくれるロイドとアーニャ。アーニャはヨルの元へ駆け寄り、ひしっと抱き着いた。そんなアーニャを愛おしく思い、それに応えようとしゃがみこみぎゅっとする。抱きしめられたことにより、アーニャは肋骨二本折った話を思い出してはっとするものの、今日のヨルの様子は違っていた。抱きしめられているヨルの両腕が震えていたのだ。

「はは・・・?」

身構えていたアーニャの構えがなくなって、ヨルは安堵する。いつもなら気にならないことだったのに今日は気にしてしまう。アーニャが逃げないでいてくれることが嬉しかった。ああ私は嫌われていないんだなと思えた。そのように思っていることも抱きしめられている感覚もそして心もアーニャは読み取って。

「はは、ぎゅーっ」

それはとても儚く小さな力ではあったが、それがヨルの腕の中にいるアーニャができることすべてだったので、アーニャの渾身の力を込めてヨルをぎゅっとする。その気持ちが嬉しくてヨルの目には涙が溢れてくる。大好きだ。愛おしい。

「・・・ありがとうございます」

そのやり取りを見ていたロイドも、ヨルの涙滲んだ声を聞いて、ヨルが泣いていることを察した。そういえば今日は帰りが遅かった。仕事でミスをしたと言っていたが、余程の事があったのだろうか。

「ヨルさん、どうかしましたか・・・?」

心配になったロイドが2人の傍に向かう。
ロイドの声に反応したヨルの体がびくっと震えた。

『前の奥さんがどんな人だったのか気になったりはしないんですか?』
『旦那さんの事をすごく愛しているんですね』

(・・・気持ちの整理が、今日はできそうにありません)

アーニャから体を離したヨルは、立ち上がり、泣いてしまった事を悟られまいと目をぎゅっと瞑った後、目を開けてロイドと視線を合わせた。ロイドの表情が困っているように見える。自分の事を心配してくれている。それすらも今日は申し訳なく感じてしまっている。久しぶりに感情がぐちゃぐちゃになっていた。

「ちょっと、職場でいろいろあって、大丈夫です、一晩休めば落ち着くと思いますので」
「ヨルさん」
「ごめんなさい、ご心配をおかけして。今日はもう休みますね」

目を真っ赤にしながらのその言葉には説得力なんてなかった。心配かけまいと笑顔にしていたが、逆にどうしてしまったんだろうかと気になって仕方がなかった。部屋に消えていくヨルをただそのままじっと見つめる事しかロイドにはできなかった。

「ちち」

アーニャがロイドのズボンの裾をぐいぐいと引っ張っている。

「ん、どうした」
「はは、ないてた」
「・・・そうだな」
「アーニャ、ははのことすきだから」
「なんとかしてやりたいな」

本当の所は何があったのかは検討もつかない。ただこうして偽装家族だったとしても彼女はこのフォージャー家の一員でありそして母であり、自分の妻でもある。彼女の泣いている姿は流石に堪える。明日になって元気になっていればいいのだが、そういう時は自分にも話してほしいと思った。職場の事はわからないかもしれないが、もしかしたら力になれることが何かあるかもしれない。気持ちを吐露してくれるだけで変わることだってある。そうする事をもしかしたら躊躇っているのかもしれない。そうする事ができるように、ここは自分が動かなければならないことかもしれない。
ロイドが腕を組んで無言で何かを考えているのをアーニャは横目で「ちちがんばれ」と思いながら見ていた。


そして翌日、ヨルの様子は昨日から若干回復したように見えたが、頑張ってみせている笑顔は完全に作っているものだった。こちらに気を使わせまいと接しているものの、若干の距離があるように思えた。アーニャが先に通学し、ロイドも今日はヨルと出勤時間を合わせるようにして、同時に家を出るように調整した。

「ヨルさん、今日は定時ですか?」
「あ、は、はい。おそらく」
「ボクも今日は早いので、終わったら職場まで迎えに行きます。一緒に帰りましょう」
「・・・了解しました」

申し入れを受け入れたのはいいものの、ヨルはまだ気持ちの整理がついていなかった。実際昨日はあんまり眠ることができなかった。自分の事を心配そうに見つめてくれた2人。そしてぎゅーっとしてくれたアーニャ。嬉しかった。嬉しかったから涙が零れてしまった。愛しいという気持ちも嘘なんかじゃなかった。自分は本当の母親ではないけれども、アーニャへの愛情は本物だと思っている。
ではロイドに対してはどうなんだろうか。奥さんの遺志を守ってアーニャをイーデンへ行かせる為に自分を偽物の妻にして、奥さんの事を今でも愛しているからだって、わかっていたはず。それでも私にできる事があるならば応えたいと思っていた。ロイドが私を受け入れてくれたから。必要としてくれているなら。傍にいることが許されている限りは。
少しずつ、心の整理を進めていたヨルだったが、完全に終わらせることができず終業時間を迎えて退社の準備をする。同僚と共に職場の入り口を抜けると、朝の約束通りにロイドが待っていた。ロイドが軽く会釈をすると、同僚たちも会釈をして、ヨルの方をじっと見つめる。

「ロイドさん・・・」
「お疲れ様です、皆さん。ヨルさん。帰りましょうか」
「は、はい!それじゃ皆さんお疲れ様でした」

先に歩みを進めた2人を目にしながら「本当なんで先輩なんだろう」とカミラ以外の2人が呟く。

「本人たちにしか通じ合わない所があったんじゃない?」

そう言ったカミラだったが、改めてロイドの姿を目の当たりにし、ちょっとヨルに余計な質問をしてしまったのは不躾だったかもしれないなと、心の中で小さく謝罪した。




「今日は少し寄りたい所があるんです」

いつも歩いている場所とは別の道を歩いているため、確かにヨルは不思議に思っていたが、その寄りたい所に到着した時にヨルはあっと驚いて口を手で押さえる。その場所はかつて3人で初めて出かけた時にヨルが教えてくれた街外れの公園だった。この場所をロイドが覚えていてくれていて、ヨルはロイドの方をちらっと見つめた。もちろんロイドが視線に気づかないわけがないので、目を合わせるとにこっと微笑んだ。

「ヨルさんがボクらに教えてくれた場所です。ここはやっぱり落ち着きますよね」

やっぱりこの人には敵わない。ヨルはそう思った。覚えていてくれていたんだ。

「よかったです、今日は昨日よりも少し元気そうだったんで」
「ロイドさん」
「無理に話してくれとは言いませんけど、あなたはもうボクの大事なパートナーでもありますので、ボクが力になれることがあれば、力になりたいと思っています。何もできないかもしれないけど、どんな小さなことでもいいんです。こうして話を聞くことはできますので」

真っ直ぐに自分を見つめて言ってくれているその言葉がどんなに嬉しかったことか。ヨルは首を横に振りながらまた涙がボロボロと零れ落ちてきてしまった。大事なパートナー。自分にこの人以外のパートナーが将来見つかる事なんてあるんだろうか。もう二度とないと思った。手放しちゃだめだよと体が教えてくれているから、自分は今こんなに泣いてしまっているんだろう。

「あ、あの・・・・っ、わ、わた、し」
「はい」
「前の、奥さんの事が、気になってしまって。どんな人だったんだろうなって。職場でそのようなお話になって」
「ああ・・・」

なるほど。そういうことだったのか。そこまではフォロー不足だったと思った。女性の会話内容ならば出てきてもおかしくないような話だ。自分の知る限りだとヨルの職場の同僚とヨルの関係はそこまでいいものではない。きっとそれでいらぬ事を言われてしまったのかもしれない。言っていないのも無理はない。そもそもそのような存在は存在しないし、アーニャの実の母親もどんな人なのかなんてわからない。どのような言葉をかけるのが正解なのか。

「優しい人でしたよ。いつも笑っていて、ボクたちを見てくれていました。あなたのように」
「私の、ように・・・」
「彼女は彼女しかいませんし、あなたはあなたしかいない。あの頃と今は違います。今実際にボクが、ボクとアーニャが必要としているのはヨルさん、あなたなんです」

そう言ってヨルに差し出したのは一輪の花。

「これは・・・?」
「ボクらもこういう成り行きではありましたけど、ボクがヨルさんを大事に思っているというのを何かで証明できないかなと思いまして、花を買ってみました。これから毎週1本ずつ、ヨルさんに贈ろうと思います」

ロイドから一輪の花を手渡されたヨルはまた、込み上げてくるものを抑えることができなかった。自分はなんて幸せ者なんだろうと思った。愛してるとか、そんな言葉を彼から言われたことはないし、自分も言った事なんてないし、そういう間柄じゃないんだとわかっているけれども、これはもう彼からの愛が伝わってくる。愛の種類もたくさんあるといろいろな任務を通して学んできていたはずなのに、愛しているがどうして恥ずかしいと思っていてしまっていたんだろう。言葉にしなきゃいけない時もくるのかもしれない。きっと人前で言わなければならないその時がきたら、ロイドは「愛している」と言ってくれるのもわかっているし、私も「愛している」と恥ずかしがらずに言うことができる。
ごしごしと涙を拭いた後、ヨルは満面の笑みをロイドに見せた。

「ロイドさん、ありがとうございます。私は、ずっと傍にいます。奥さんの分まであなたとアーニャさんの傍に。私はお2人の前からいなくなったりなんかしません。ずっと。覚えていてくださいね」
「わかりました。お願いします」
「はい!お花、大事にします」

それがヨルのロイドとアーニャへの愛だった。ずっと傍にいること。職業柄で正直どうなるかわからないけれども、自分は簡単に死ぬことなんてできない。任務がある限り、そして2人の傍にいるために。

ヨルの笑顔を見る事ができたロイドは、ヨルが私はいなくなったりなんかしないという言葉を聞いて面食らってしまっていた。大事なものを失うことをもう味わいたくないから、大事にしないように適度に距離を保ちたいのに。ヨルを放っておくことはできなかった。
(あなたが悲しんでいる顔をオレは見たくない)
それはボクも同じですと口から出そうになったが、それはぐっと堪えて呑み込んだ。


そうして家に帰宅すると、アーニャがヨルに向けてあるものを差し出した。

「はは。これ!」

アーニャが差し出したのもまた、一輪の花だった。

「かえりにとってきた!ははにあげる!」
「ありがとうございます・・・!嬉しいです」
「アーニャ、はは、だいすき」
「・・・私も、大好きです」

2人して同じことをしてくれるなんて、とびっくりしたものの、やはり親子なんだなと思ってヨルは泣きながらアーニャを抱きしめて、笑った。その光景を見ながらロイドもほっと胸を撫で下ろす。

自室に飾られた二輪の花。そして週1でまたロイドから手渡されて花が増えていく。その花が目に入る度、ヨルは幸せそうな表情で笑った。





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