差しのべられた手(ハルサキ)
信じられない。

歩く歩幅を急激に速めながら、流木野サキは、一人街中を歩く。
その表情は眉を吊り上げて、顰めっ面をしていて、はたから見ても、怒っているというのがよくわかる。
サキをそういう風にさせた原因は、時縞ハルト。今の彼女の感情の波は、彼によって動かされていることに代わりはない。
ただ、それでも、些細な事であった。なんだよそんなことかよ、そうなるくらいの。原因は、今日一緒に行こうと約束していた映画の事を忘れていたのだ。
電話にも出ない。一人で待ちぼうけをくらい、2時間くらいずっと待ち続けた。ようやく出た電話越しには、聞き慣れた女性の声も耳に入り込んできて、それがまたサキを苛立たせる。

「指南さん―・・・」

私がハルトを連れてくる事に、どれだけ勇気が必要だったと思ってるの。私にとっては、とても重大なことで、重大な出来事なのに、忘れられてしまうくらい、彼にとっては、大したことじゃなかったんだ。

「別にもういいわ、気にしなくていいから、大丈夫よ」

明らかに気にしなくて大丈夫という声のトーンではなく、サキはそこで電話をぶつっと切った。
怒りに身を任せて、速度を上げていた歩幅は、少しずつスローペースになり、やがてその足を止めた。
目の前には、息を切らし、汗だくになっているハルトの姿があったのだ。

「っ、流木野さ、ん」

そんなハルトの姿を見て、サキはどうして、とハルトに駆け寄りたい衝動に駆られたが、すぐにそっぽを向いて歩き始めてしまった。

「ちょっと待って!流木野さん!」

無論、ハルトはサキを追いかける。
だけど、彼女をすぐに捕まえたりせずに、サキの背後2メートルを目安に歩いていた。そんなハルトの様子をサキはお店のガラス越しや、カーブミラーなどで見ている。本当、なんですぐに捕まえに来ないんだろう。会って、無理矢理にでも私を捕まえて、必死に謝ったりするものじゃないの?
彼はよくわかるように見えるが、本当によくわからない。こんな人は始めてだ。

(まったく、もう)

人通りの多い街中を抜け、人がほとんどいなくなった時、サキはようやく足を止めた。
それを合図と取ったハルトは、必死になって、サキへ謝罪の言葉を発した。


「本当にごめんなさい!あの、忘れてたって言ったけど、その、忘れてたわけじゃなかったんだ、あの、出る時にショーコ達に会って、そしたら、なんか、男手が必要だからって言われて、作業を手伝っていたら、時間をかなりオーバーしてて、だからその、あの」

やっぱりか、とサキは深いため息をついた。どちらにせよ、電話で理由を説明されたところで、電話越しから聞こえた女性の声に、すべての感情を持っていかれてしまっては、今と同じ状態になっていただろう。
怒っていたいのに、怒れない。またここで何も発しなかったら、って考えたりもしたが、そこまで彼を苛めたりしたくはなかった。だからサキは振り向いて呟いた。


「ハルトの、バカ。バカ。バーカ」


だが、そう言ったサキの表情はとても穏やかで、台詞とは対称的なものだった。
ハルトの顔を見てみれば、ごめんなさいとまだ、訴えている。もういいよ、とサキは思った。

「これで、許してあげるから」

サキは右腕を出し、それをハルトの口元に近づけた。

「え、どういうこと?流木野さんをジャックしろって?」
「違うわよ。勿論、深い噛みつきじゃないわ、軽くよ、歯形がつく程度の」
「そんなこと」
「いいから。でないと許さないわよ」

サキの意図がわからないままだったが、ハルトはサキの細い腕に、かぷっと噛みついた。どくん、と一瞬だけ心臓の鼓動が早まった事に気づいたが、いつものような発作は起こらなかった。

サキの腕には、ハルトの歯形が、くっきりと残っていた。

「あの、流木野さん」
「もうこの話はおしまい。じゃあ、行きましょ」

そう告げると、サキは来た道をまた戻り、ハルトはサキの行為の意味がよくわからなかったが、どうやらサキが許してくれたようなので、ほっと胸を撫で下ろして、サキの隣についた。

ハルトに噛まれた痕を見ながら、サキは思った。


「噛みつきは愛情表現の一種」


ハルトが発症してから、ネットで調べ尽くした結果で多かったのは、その結論だった。ハルトを止める為にも必要な行為ではあるが、それを求められるのは自分でありたい。いや、私じゃないとダメだって。私に噛みつきたいって思いなさい。

そうなった後に気づきなさい。


「愛情表現」ということに。




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