その瞳に逆らえはしなくて




今日の校内の掃除を終えて、紡はゴミ捨てにいく最中だった。
その時、彼はちさきと見知らぬ男性が、校舎裏へと歩いていく姿を目撃した。

(・・・ちさきと、誰だ?)

校舎裏。人の気配がほとんどない場所で、そして二人きりで。あまり余計な事を考えたくなかった紡だが、してはいけないと思いながらも、気づけばちさき達の後をつけてしまっていた。
二人の進む足が止まった所で、紡は校舎の陰に隠れた。

「あの・・・話って?」
「比良平、俺、前からお前の事が気になってたんだ。付き合ってくれないか?」


やっぱりか、と紡は思った。今のシチュエーションでだったら、それしかなかった。こうしてリアルに彼女に想いを伝えられるのが、正直な所、それを羨ましく思っていた。自分もできないわけではないが、できない理由がある。

「・・・ごめんなさい、今は誰かと付き合うとか、考えられないの」
「そっか。別にいいよ、好きな奴、いるんだろ?」
「えっと・・・どうなのかな、よく、わからない・・・」


ちさきの返答を聞き終えた所で、紡は足を進めてその場を離れた。ちさきの返答はわかっていたが、それを聞いてのダメージは少し、紡にもあった。
よくわからない、そう述べていた彼女の真意は、その通りなんだと思う。
それはそうだ。彼女がどれだけ、『好きな奴』を想っていたのか、紡は知っている。だからこそ、紡は足踏みをしている状態でもあった。

もしも、まだあいつの事が好きなのかと問えば、ちさきは何て返してくれるだろう。






鞄を取りに教室に戻ると、そこには窓の外の景色を眺めている、ちさきの姿があった。

「まだ、残ってたのか」

紡は声をかけると、ちさきはぴくっと反応し、振り返る。ちさきは少しだけ表情に曇りがあって、紡はさっきの出来事が原因だなとすぐに気付いた。

「うん、ちょっと考え事してた」

紡はちさきの前の席の椅子に腰かけて、ちさきを見た。夕日が差し込み、ちさきの頬は赤くなっているかのように見えた。ちさきは肘をつき、ぼんやりとした表情を見せている。

「告白でもされたか」
「っ、なんで」
「ゴミ捨てに行く時に、ちさきが誰かと校舎裏に行くの、見たから」
「み、見られちゃってたの?!」

ちさきは両頬を抑えて、恥ずかしそうに慌て出した。

「付き合うのか?」

まさか聞いていたとは言えず、紡は問いの答えがわかっているが、あえてちさきに聞いてみた。

「付き合わないよ、今は、そういうの考えられないし・・・」
「っていうか、お前の場合は・・・いや、なんでもない」
「もう、言いかけた所で止めないでよ、気になるでしょ」


ちさきが頬を膨らませて、紡を見た。
言えるわけがなかった。ちさきの想い人はもう数年、海の中に眠っている状態、安否も定かではない。今もまだ光が好きなのかと、聞くことができない。その事に触れたくても触れられない。ちさきに事実を認めてほしくないからだ。

「悪かった。なんて顔してんだよ」

紡は人差し指でちさきの頬をつついた。ちさきは目を丸くして硬直する。それは紡が微笑んだからだ。

「笑った」
「?」
「今、笑った」

ちさきの指摘を受けるまで、紡は自分が微笑んでいたことに気づかなかった。頭の中ではいろんな難しい事を考えていても、頬を膨らませていた彼女が、とても可愛かったから、自分でも無意識にちさきに触れていた。その際に、隠している気持ちごと、溢れていてしまったのかもしれない。

「俺だって人間だ。笑わないわけじゃない」
「でも滅多に見られないんだもん。私、紡のその表情、好きだよ。もっと周りにも見せればいいのに。そしたら周りにも誤解されずにすんで・・・」
「それは無理だ」


紡はそう告げると、右手を伸ばし、ちさきの右頬に触れるか触れていないかの具合で近づけた。ちさきが驚くかと、そう思ったから。
次に視線をちさきへと動かしてみると、ちさきは紡をずっと見ていて、ちさきの蒼い瞳に紡の顔が映っているのがわかる。
いつしか紡の右手は、ちさきの頬にしっかりと触れて、指先から伝わるちさきの柔らかな温もりに、紡は息を呑んだ。
ちさきの瞳は潤んでいるように見えて、それは意識をしているからなのか、それとも状況を把握できていないからなのか、どちらかはわからないけれど。
それが、紡を更に後押しさせた。


「ちさき」


名前を呼んだ後、紡は顔をぐいっと近づけて、ちさきにキスをした。唇には触れるのを躊躇わず、覆い被さるように。

「・・・っ・・・!」

ちさきはどうしたらいいかわからずに、ただ体が凍りついて、体が動かすことができずにいた。頭がパニック状態に陥っているのだ。
正直、ちさきに突き飛ばされると想定していた紡は、ちさきが何もしてこない事に驚いていたが、ちさきが何が起こったのかわからないから、何も抵抗もしないんだと思った。
だが、一度入ったスイッチは止められず、紡はちさきの両肩を掴み、奥深く口付けをし始めた。唇を挟まれ、そして触れては離され、深く交わる。

「・・・つむ・・っ・・・・・・」

(ちさき・・・・)

苦しそうに自分の名を呼んだ彼女が、自分に支配されている事を考えると、それが少しだけ嬉しかった。ちさきの気持ちをお構いなしに、自分だけの一方通行で、こうしているのをわかっている。

ただそれでも、紡はちさきが欲しかった。

さっきまで、何もできないと、何も聞けないと、そう思っていたのに、何かひとつのきっかけが起こるだけで、こんなにも我慢ができなくなるなんて、思わなかった。

やがてちさきが、紡の胸をドンドンと叩き出して、そこで紡はようやく唇を離した。

「・・・っ、はぁ、はぁ・・・」

ちさきが今にも泣きそうな顔をしている。それを見た紡は、少しだけ胸の痛みを感じたが、次にちさきを自分の元に抱き寄せて、背中をぽんぽんと叩いた。

「・・・何、なんで、どうして・・・?」

さて、どうしようか。少しばかり悩んだ紡だったが、今更、嘘をつくこともできないし、誤魔化してどうにかなるものでもない、そう思っていた。いっそ、今日の彼のように、言ってしまってもいいのかもしれない。

「・・・ちさき」
「・・・?」
「俺が、お前の事を好きだって言ったら、どうする?」


それが今、自分に言える精一杯の言葉。ちさきが何も言えない事や、返事もわかっている。だから紡は、困っているちさきをその場に残し、席を立った。

「先に、帰ってるから」

ピシャッと教室のドアを閉めて、紡は、早足で歩きだし、外に出た所でようやく足を止めて、そっと唇に触れた。
後悔してないとは言えなかった。ずっとこうしたかったが、ちさきと気まずくなることは考えられなかった。
それでも、そうしてしまったのだから、もう元には戻れない。

(・・・もう、遠慮する必要は、ないのかもしれないな・・・)


ちさきの声が、感触が、温もりがまだ、ずっとずっと残っている。欲しい。もっともっと欲しい。全部を自分のものにしたい。

(こんなに独占欲があるなんて、知らなかったな)

様々な葛藤を抱えながら、紡は一人、帰路についた。





それから、紡の想像通り、ちさきは紡に対してぎこちない態度で接するようになった。
今のちさきには、他に行く場所はない、だからいなくなったりしない。心の奥底でそう思っていたから、例え交わす言葉が少なくなったとしても、それでいいと思った。
告白した彼以上に、ちさきは自分の事でいっぱいになって、自分の事しか考えられなくなっているって、そう思えたから。

意識されないでいられるより、意識してくれた方が全然よかった。



あの日から1ヶ月がたち、少しだけだが、会話が増えた。あの時、紡が最後に問いかけた言葉の返事を、ちさきはまだ告げてはいない。

今日もご飯の支度をしながら、ちさきは、ぼんやりと紡の事を考えた。

好きだって言ったら、ってそんな事、冗談でなんか言えない。紡は基本的に嘘をつくような性格じゃない。
それならば、彼は自分の事を想ってくれているんだと、どう考えてもそこに行き着く。

「っ、痛」

さくっ、と包丁でちさきは指を切ってしまった。それに気付いた紡がすぐに駆け寄ってきて、ちさきの手を掴んだ。

「大丈夫か」
「だ、大丈夫だよ」
「ほら、消毒してやるから、こっちにこいよ」

ちさきは紡の腕に引かれて、居間へ腰を落とした。どくんどくん、とちさきの胸の鼓動が早くなっていくのがわかった。彼に触れられている。自分よりも大きくて、長くて、綺麗な細い指と掌。なんだかとても恥ずかしくて見ていられない。かといえ、目を閉じれば、見えない分、余計に恥ずかしさが増して止まらない。あの日の事が思い出して、ドキドキして、苦しい。

そんなちさきを見た紡は、出血した指の治療を終えると、傷に触れないように、ちさきの手をぎゅっと握り締めた。

「・・・!」
「何で、目を閉じてるんだ」
「べ、別に、なんでもないよ」
「俺のこと、意識してくれてるからじゃないのか」

ちさきが、目を開けると、至近距離にはすぐ紡の顔があった。ちさきは驚いて紡から逃げ出そうと後退りするものの、腕を捕まれているから、逃げ出せるはずなどない。いつしか壁に追い込まれ、ちさきは逃げ出すことはできなくなった。

「・・・そりゃあ、あんなことがあったのに、普通になんて、できるわけないじゃない、意識もしちゃうし、考えちゃうよ」
「そうか」
「それに、好きだって言ったら、どうする?なんて・・・そんな・・・」
「ずっと、考えてくれてたのか」


かあっとちさきの顔が真っ赤に染まる。その瞬間に、紡はちさきを引き寄せて抱きしめた。

「あ・・・っ」

ぎゅっと、自分がどこにも行かないように力強く抱き締められてるような感じがしてならなかった。
紡の大きな胸に、腕の中に捕まって、ちさきは身動きが取れずに固まる。

「あの、ちょっ・・・紡・・・」
「ちさき」

体が少しだけ離された後、紡はちさきの頬に唇を重ね、その唇はちさきの首筋へと延びていく。左右の首筋に触れる紡の唇の感触に、ちさきはびくっと両肩を動かした。

「っ・・・やぁ・・・」
「お前が俺の事を考えてくれていたとわかっただけで、嬉しくてたまらなくなった」
「・・・・・・っ」
「俺はいつも、ちさきの事を考えてる。もう、お前のことしか考えられない」

ちさきを畳に押し倒すまで、そこまで時間はかからなかった。
ちさきの体を覆い被さる事ができるくらい、紡は成長をとげた。一緒の時間を共に過ごしている分、変化に気づかない場合が多いが、ちさきが少女から大人になっていく姿を、一瞬の変化も見逃さずに紡は見てきた。誰にも見せたくない。触らせたくない。誰かのものになんかならないでほしい。

「私は、紡のこと・・・んんっ・・・!」

ちさきの口を塞ぎこみ、あの時と同じように唇を舌を動かした。
両手首をきっちりと抑えて、体は重みで動けないようにして。

もう一度、触れられた。一度キスをしてしまったら、またしたくなって堪らなかった。平静を装いながらも、その機会を伺っていたのだ。
ここには今、自分とちさきの二人しかいない。だから思いきり、ちさきを攻めることができる。

「や・・・、待って・・・っ」
「・・・なんだ」
「私・・・わからないの、でも、あれからずっと、紡のこと・・・考えてて、それから今までの事思い返して、それでまた、紡の事でいっぱいになって・・・」


それを聞いた紡は、ふうっと息をついた。そうなんだ、そこまでいってくれれば、あとほんのもう少しだってそう思えた。ちさきが自分を見つめる視線が、あのキスの時から全然違っている。今もそうだ。自分の下にいるちさきが、艶やかな表情を浮かべている。
正直に言うと、これはやばい。

「もうすぐわかるようになる。いや、わからせてやる」

ちさきの額に唇を落とした後、紡はちさきを起こし、座らせた。

「だからそれまで、俺は我慢する」
「我慢って・・・」
「お前が傍にいるだけで、触れたくて堪らなくなるんだ。でもお前の気持ちの整理がつくまで、何もしないから。だから考えてる間は、俺のことでいっぱいになればいい」
「・・・それってどういうこと?私は、まだ、例えでしか、紡の気持ちを聞いてないよ」

言葉が足りないとは、こういうことを言うのか。他の言葉はいくらでも言えるのに、その言葉をはっきりとは伝えてはいない。紡は少しだけ黙ったが、口を開いた。

「ちさき、俺はお前の事が好きだ。一人の女として、ちさきの事が好きだ。それはずっと変わらない」

そう告げた後、紡は口を押さえて、恥ずかしそうに項垂れる。それを見て、言葉を聞いたちさきも、伝染し、移った。

ああ、最後まで爪が甘い。ちさきを自分のものにしてしまえばよかったのに。そんな事を考えたが、気持ちを伝えて、行動に表してしまったことで、どこか吹っ切れた自分がいるのも事実だった。


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