アフィニティ


今日は朝から憂鬱だった。母親と会う約束をしていたからだ。大学になってから、更に無縁になっていたつもりではあったが、昔と比べると幾分マシになっていたように感じられた。避ける事は極端に減ったものの、それでも会話は長くは持たない。

だからいつものように、会って、食事して、すぐに帰ろう。紡の頭の中にあるのはいつもその事だけだった。



「・・・あ、電話だ」

学校から帰宅し、部屋で服を着替えていたちさきは、電話の呼び出し音が鳴っている事に気づいて、急いで階段をかけ下りて、電話の受話器を取った。

「はい、もしもし、木原です」

電話に応対したちさきであったが、肝心の相手の反応が返ってこなくて、ちさきは首を傾げた。でも、それだけで、ちさきには、相手が誰なのかが、すぐにわかった。

「どうしたの?紡」

そう、紡だ。これで間違えていたら恥ずかしいが、紡であるという確信がどこかで持てたから、間違いないだろうって、ちさきはそう思った。

「・・・帰ってきてると思わなかった」

ほら、やっぱり紡だった。電話越しに聞こえる彼の独特の低い声。そういえば、少しだけ間が空いていたような気がする。いつもなら一週間に最低でも1回は互いにかけ合っていたのに、最近はお互いに忙しく、会話をすることもままならずにいたから。

「うん、今日はね、早めに帰ってこれたんだ。紡は?どうしたの?」

紡は公衆電話からちさきに電話をかけていた。まだ日も落ちるか落ちないか、ぎりぎりの時間ではあったが、ちさきの声が聞きたくなり、気づけば電話をかけていた。まさか、ちさきが電話に出てくれるだなんて、これっぽっちも思っていなかったけど。

「・・・」
「・・・あ、そうだ、今日ね、看護士の実習服、貰ってきたんだよ。ついにこれから実習が始まるんだなって思うと、やっぱり緊張しちゃうけどね」

ちさきは気づいているんだ、とちさきが電話をかけてきた理由に追及しない件に関して、紡はそう思った。久しぶりに聞いたちさきの声に、紡はほっとしていた。

「・・・ちさき」
「ん?」
「その・・・実習、頑張れよ」
「うん、ありがとう。久しぶりに紡の声も聞けたし、頑張れそうだよ」
「・・・」

受話器から聞こえる言葉に、紡は喉かつっかえて返答できずにいた。このまま話さなければ、会話が止まってしまう。口下手だと本当に困るなと思った。つい最近までは、当たり前のように近くにいたから、話したい時には話ができたし、その当たり前になってしまうことが怖かった。
いつからこんな風になってしまったんだろう。

「ねえ紡。今はどこにいるの?大学?」
「いや、実はそこからすぐ傍の街まで来てる」
「・・・そっか、そうなんだ。じゃあ、これから大学に戻る感じなんだ」
「そうだな」
「せっかくだから、帰ってくればいいのに」
「・・・」
「明日日曜日だし、私も休みだし。紡が大丈夫なら、帰っておいでよ」

受話器の線をぐるぐるといじりながら、ちさきは紡に問いかけた。ちさきの目線には、紡の小さい頃とそこに写る彼の両親の写真。紡は母親と会ってきたんだと、ちさきは思った。今まで、紡が極端に態度を変えることといえば、その事しかなかったし、だから今だって、どうしようもなくなって、家に、私に電話をかけてきたんだって。事情をあまり追求したくもなかったし、頼ってきてくれたんだなというのがわかって、ちさきは紡が電話を切るまで、紡が何も言わなくても、自分からは電話を切るのはやめようと、そう思いながら受話器を握っていた。

「・・・そうだな、帰るよ」
「本当に?」
「ああ」
「わかった。ご飯は?どうする?」
「用意できるなら欲しいんだけど」
「全然平気だよ。それじゃ、気を付けてね。待ってるから」
「・・・ああ。じゃあ」
「ん」

プツッと、電話が切れるのを確認してから、ちさきは受話器を置いた。自分に何ができるのかなんて、さっぱりわからないけれど、それでも紡の助けになることができるなら、助けになってあげたかった。彼から伝わる言葉が足りない分、理解してあげたかった。彼が私にそうしてくれたように。

そして紡は、電車に乗りながら、窓越しに映る夕日を眺めて、苦しい気持ちを忘れてしまおうと心を凍結させようとしていた。
両親と離れたあの日から、気持ちを全部捨ててしまえば、楽になれる。両親と会うことになっても、気持ちさえなければ、なんとかなるんだと、辛くなんてならないんだと、そう思ってきたのだが、両親と対峙する時は大丈夫なくせに、別れた後に心の隅に残っていた気持ちの一部が邪魔をする。どうしようもなく、いたたまれない、よくわからない気持ちで埋め尽くされて。

「『紡』」

そんな時、気持ちを溶かしてくれたのは、ちさきだった。ちさきが普通に接してくれるから、それだけで救われた。誰かが傍にいてくれることに感謝した。

(ちさき)

いつしか母親との出来事は薄れて、紡の中はちさきでいっぱいになった。



電車を下りて、バスに乗り継ぎ、バスを下りて家まで歩いた。すると家の方向から、人影がこっちに向かって歩いてきて、そして大きく手を振っているのが見えた。その人影はちさきだった。
紡は手を上げて、歩幅を広げて歩いて、ちさきの元へ辿り着く。ちさきはにっこりと微笑んで、こう言った。

「そろそろ、帰ってくる頃じゃないかなと思ってさ」
「待ってればよかったのに」
「いいの。待ってるの嫌いじゃないけど、迎えに行きたかったの。おかえり、紡」
「ただいま。ちさき」

紡が道路沿いに、ちさきがその内側になって二人は歩き始めた。

「紡」
「なんだ?」
「別にいいんだよ」
「何が」
「頼ってくれて、全然構わないんだからね。どんな小さい事でもいいからさ、紡の力になれたら、私も嬉しいし」


ちさきは思ったままを告げたつもりだったが、紡は言われ慣れていないその言葉を聞いては、少しだけ動揺して、ちさきから目を反らした。

「・・・ありがとな」

それでもそれは、とても嬉しい言葉ではあるから、紡はちさきに礼を言った。

「どういたしまして」


ちさきがとても嬉しそうな顔で笑う。頼り頼られるこの関係は、一緒に住み始めたあの日から、築かれていることは互いに気づくことはなかったが、ちさきが、言葉に出したことにより、お互いに浸透したものとなった。





  
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