あなただから意味がある


朝、紡は目を覚まし、布団をたたみ、服を着替えて階段を下りる。いつもなら台所から香るご飯の匂いがせず、そこにちさきもいなかった。居間を覗けば、やはりそこにちさきはいない。
今までこういうことがなかったか、と言われればそういうわけじゃない。きっと彼女は布団でまだ眠っているのだろう。そう思った紡は、台所に立ち、朝食の準備を始めた。
二人分の準備を終えた後、紡はちさきを起こしに、ちさきの部屋へと向かった。

「ちさき、入るぞ」

少しだけ大きい声で発したつもりだったのだが、ちさきの反応はなくて、紡は襖を開けて部屋に入る。
ちさきは布団からはみ出していて、寒そうにしながら小さく踞っていた。そんなちさきを見ながら、紡はくすっと微笑んだ。

「ちさき、起きろ。朝だぞ」

紡はちさきを起こし、軽く体を揺さぶる。

「 んー、まだ眠いよー・・・」

ちさきは寝ぼけながらそう発すると、傍にいた紡の身体にぎゅっと絡み付いてきた。紡の太股を枕にし、腰に手を回して、密着して、ちさきは寝息を立てていた。

「・・・拷問だな」

起こそうにも起こすことができなかった。早く起こさなければ学校に遅刻してしまう。それでも紡は、もう少しだけ、この状態でいたいとそう思っていた。自分の傍らで眠るちさきを見つめて、時間が止まってしまえばいいのにと、そう思ってしまうほどに。

「仕方ないな・・・あと5分だけ」

その5分間、紡がちさきに向けていた表情がどんなものなのか、勿論ちさきは知らない。ちさきが見ていないから、こんな時にしか、ちさきをじっと見つめることができない。ずっとそう思って過ごしてきたから。

「・・・・・・ん」

身体の違和感に気づいたちさきが、ぱっと目を覚ますと、傍に人がいることに驚きを隠せなかった。

「え・・・え??つ、紡?!」
「おはよう、ちさき」

ちさきは、慌てて起き上がって、わたわたしながら紡を見つめていた。紡はいつものように無表情になると、立ち上がって、ちさきに背中を向けた。

「早く着替えないと遅刻するぞ」
「え、えええ、今、何時・・・」
「朝ごはん、もうできてるから」

そうして紡は襖を閉めて、ちさきの部屋から離れ、階段に腰を下ろして座り込んだ。まだ覚えている。太股に残るちさきの温もりと、腰に絡まれた細い腕。ちさきに触れたくて仕方がない衝動を堪えるのに必死ではあったが、離れたくなかったというのが近かった。息をするのも苦しく、だが暖かくて安堵する気持ちも混じる、この気持ち。

「・・・よく耐えたよな、俺」

そう一言呟いた後、紡は階段を下りて食卓についた。






その日の夕方。この日は先に紡が帰ってきて、居間を暖めて、ちさきの帰りを待っていた。今日は学校の友達とご飯を食べてから帰るという話になっていた為、紡は一人で夕飯を済ませ、資料をまとめていた。

「こんばんはー」

どうやら誰か来たらしい。紡が入口に顔を出すと、そこには友達に抱き抱えられている、ちさきの姿があった。

「ごめんなさい、この子フルーツポンチ食べ過ぎて様子が・・・」
「そんなことないもん、気持ちいいだけだもん」
「もー、フルーツポンチでそうなっちゃうなんて、ちさき、将来はお酒飲んじゃダメだよ」
「すみません、わざわざ」

紡はちさきの腕を自分の肩に引っかけて、ちさきの体の体重を自身に寄りかからせた。ちさきの友達はよろしくお願いしますと頭を下げて、木原宅を後にした。

「大丈夫か」
「大丈夫だもん、心配しすぎだよー」
「・・・水、持ってくる」

ちさきを居間へ連れていき、壁に寄りかかる感じで座らせた紡は、コップに水を注ぎ、ちさきへと差し出した。

「ありがと・・・」
「・・・何か、あったのか」
「何で、そう思うの?」
「お前が何かしすぎるってことは、何かあったんじゃないか」

紡はちさきの隣に座り、ちさきの様子を伺う。ちさきは少し黙った状態ではあったが、徐々に口を開いた。

「あのね」
「うん」
「私って、可哀想なのかな。みんな、そんな風に思っているのかな」

少しばかり、涙声になりながら、ちさきは言葉を発していく。ちさきが泣いている事を察した紡は、箱ティッシュを手にし、ちさきに差し出した。何枚か受け取ったちさきは、涙を拭いながら会話を続けた。

「確かにあの時、私だけここに残って、海に取り残されて、陸に居場所はなくて、誰もいなくて、可哀想なんて、お舟ひきが終わった後は、みんな、そう思っていたかもしれない。でも私は、私を可哀想なんて思ったことなんて、ないのに・・・」
「誰かに言われたのか」
「・・・うん、そんな感じかな。言われてもね、気にしてないよって、周りの皆にはね、そう話したんだよ」

膝を抱えていたちさきがまた、小刻みに震えてきているのがわかって、紡はちさきの肩を抱き寄せて、頭をぽんぽんと撫でた。突然の事にちさきは驚いたが、相手が紡であるということと、温もりの安心感に、また涙が零れ落ちそうになっていた。

「世の中にはいろんな人がいるんだ、気にするな」
「・・・気にしてないよ。ただね、久しぶりに思い出しちゃったの、お舟引きが終わった後の、あの時の気持ち。淋しくて、居場所がなくて、どうしたらいいか、わからない気持ち・・・」

紡の肩に顔を埋めたちさきが、そのまま声を押し殺して硬直したまま、動かなくなった。本当ならば抱きしめたくてたまらないと動いている紡の腕は、指はちさきの頭を撫で続けている。
ちさきが自分の前で涙を見せたりするのは初めてではなく、こうして今のように座って、ちさきが紡の肩に顔を埋めて、そして泣いて。ちさきが落ち着くまで、紡はちさきの傍にいて、話を聞いている。こうすることができるのは、きっと自分だけだと、紡はそう思っていたし、ちさきが自分を頼ってくれているのがわかったから、悪い気など全然してはいなかった。様子を見る限りだと、先程一緒にいた友達には、気持ちを吐露していないのだろう。代わりに食べまくる事で元気な事をアピールし、誤魔化して、そうなってしまったんだろう。

「・・・泣いたの、久しぶりなんじゃないのか」
「そうかも、変だね、あんなにいっぱい泣いたのに、もう泣かないって決めていたのに」
「泣きたい時は泣けばいいだろ。下手に元気なフリされるよりかは、全然いい」
「・・・だって、私、紡に甘えちゃうもん、今だって・・・」
「俺は全然構わない」

ぽんぽんと、頭に小刻みに刻まれるリズムは、ちさきの心を少しずつ満たしていく。紡の肩に寄りかかったり、今日は朝から紡に抱き付いてしまっていたり、迷惑をかけてばっかりじゃないかって、そう思ってしまっても、相手が紡だというだけで、心がほっとしてしまう。

「・・・朝も、ごめんね。寝坊しちゃった上に、寝ぼけて・・・」
「別にいいけど」

本当は、ちさきは無防備だから、俺以外にはこんな事させるなよと言いたいが、紡はそれを言うことができなかった。ちさきがここまで心を許してくれるのは、男としてではなく、家族として見てくれているからではないかと、そう考えてしまうからだ。


(俺がちさきで満たされたように、ちさきも早く、俺でいっぱいになってしまえばいいのに)


この日の紡は、朝から夜まで、ちさきの温もりに支配されて、いろんな衝動を抑えるのに精一杯だった。




  
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