Fragile


「中間テストかー・・・・・・」
「あー本当やだ。やだわ、あの暗号みたいな文字を見るだけで耐えられないよー・・・」


中間テストの試験日が発表されて、教室からは周りの生徒のブーイングの嵐が巻きおこる。特に男子からの声が絶えない。女子はそんな男子を見ながらうるさいと連呼しては、ブーイングをしていて、教室は一気に賑やかになり、ちさきはくすっと笑いながら、その光景を見ていた。とても穏やかで、平和な落ち着いた日常だ。
もう数えるぐらいしかない、学生時代。今は高校二年生の秋。これが終わればまた、冬という季節がやってくる。季節という名はただの建前で、実際は周りの風景はこれっぽっちも変わったりなどしていない。ぬくみ雪が積もったままで、何も、変わらずに。景色が変わらないから、ちさき自身も時間が止まったかのように思える。周りにいる人たちもずっと同じ時を過ごしてきたから、成長しているのだが、そうでないようにも思える。

「ちさき、一緒に勉強しようよー、ちさきしかもう頼る相手が」
「もう、私だって、そこまで頭がいいわけじゃないんだから、オーバーに言わないで」

こうやって、友達に頼られると、ふとまなかの事を思い出す。まなかの友達であり、お姉さん的存在でもあったと、ちさきはそう思っていたのだが、まなかに助けられていたのは、自分の方であったということ。
思い出す事はよくあった。暗い顔をしないようにと、思い浮かんだ事はすぐに消せるようになった。思えば思うほど、追いつめてしまうのだけは、と。
いつも、どんな時でも、笑って入れるようにしておこう、と


ちさきは友達と別れ、図書室へ向かった。読んでいた本を返すためだ。返却した後、室内を見渡し、本を探した。

(確か、紡が面白いって言ってたのが、この辺に)

家でも紡は暇さえあれば、本を読んでいた。その証拠に、彼の部屋には本棚に入りきらないほどの本がたくさんあった。少しでも紡の事をわかりたいと思っていたちさきが、木原家に訪れてからちゃんと話題に触れられたのは、本についてだった。興味がなかったわけではなかったので、紡に勧められた本を読んでは、それはとても面白くて、自分から本を読む機会も増えて、二人の会話のひとつとなったのだ。
ちさきは指で本を追いかけて、そのタイトルを探す。その際、周りを見るのを忘れていて左にずれていっていたちさきは、どんっと思いきり誰かにぶつかってしまい、床へ尻餅をついてしまう。

「きゃ、ごめんなさ・・・」

ちさきの目の前に差し出されたひとつの手。ちさきは顔を上げてその手の主を確認すると、そこにいたのは紡だった。紡の手を借りて起き上がるちさき。紡にこうして手を借りるのは何度目だろうか。見慣れた手と感触が、ちさきの手のひらを支配する。

「大丈夫か?」
「・・・ごめん、私ったらつい。ありがとう、紡くん」
「何か探してたのか?」
「ああ、うん、紡くんがこの前面白かったって言ってた本、私も読んでみようかなって思って、本当それだけだから・・・」

当たり障りない会話を交わして、ちさきはパタパタと図書室から駆け足で出て行った。そんなちさきを見ながら、本棚に目を移す紡。
ちさきは図書室のドアに寄りかかり、目を覆い隠す。触れていた手がまだ熱かった。紡と校内で会うと、どう会話を交わしたらいいのかがわからない。廊下ですれ違った時も、一切、紡の顔を見るような事をちさきはしなかった。別に必ずしも話さなければならないとか、そんなことはないのに。家にいる時みたいに、普通に、普通に、会話すればいいのに。
家を出る時も、帰る時も、高校に入ってからは別になった。それはごく普通にそうなった。紡からは何も問われることはなかった。それがまた救いだった。

紡の家に居候させてもらっている事実を知るのは、中学生からの同級生と先生だ。噂さえ広まってしまえば、逆に堂々とできていたのかもしれない。それでも、そうもならなかったのは、同級生が深い事情を知っているからだと、ちさきは胸をぎゅっと掴んで、泣きそうになったのを覚えている。

(やっぱり、話せないな、また変な感じになっちゃった)

紡に事情を話した所で、絶対に気にしなくていいよって答えが返ってくることはわかっている。それでも、ちさきは「迷惑をかけたくない」その一心だった。

やがて帰宅したちさきは、夕飯の支度に取りかかる。紡と勇が漁から帰宅するまでに準備をしておくのが、ちさきの日課だった。友達と遊んで来ても構わないと言われていたが、そうする事はほぼないに等しかった。

「いただきます」

そしてこの空間が、今のちさきとって、何よりもなくしたくない大切なものだった。
変わってほしくないものの、ひとつとなっていた。



食器の片付けを済ませて、ちさきは居間でお茶を飲みながら、テスト勉強を始めた。今日は冷えるからと、勇がここを使えと言ってくれたのだ。この時期が一番大事だからと、先生が何度もそう言っていた。自分の進む道を頭の中にイメージしておけよ、と。ちさきは先のわからない未来よりも、今生きるこの一瞬を大事にしておきたかった。このまま、三人と一緒にいられることしか望んでいなかった。三人がいなくなってからは、勇や紡の為に、役に立てるようになりたいと思うようになっていた。それを実現させるには、どの未来を選ぶのが一番いいのだろうか。そして紡は、どの道を進んでいってしまうのだろうか。離れ離れになることだってあり得る事なのに。

「んー」
「そこ、間違ってる」
「え、どこ・・・って、ひゃっ?!」
「その反応、今日二回目だぞ」
「だだだって」
「すごい悩んでるみたいだったから。気づかなかったのか」


ちさきが頭を抱えて悩んでるのを見かねた紡が、間違っている箇所と、その答えを指摘した。なるほどなるほど、とちさきは感心して手を進めた。勉強でわからない所があったのも本当だが、実は別の事を考えていたとはさすがに言えない。しかも目の前にいる人の事で。いい意味でも悪い意味でも、タイミングが悪い。こうして一緒にいる紡も、あともう少しでどこかに行ってしまうのだろうか。今は余計なことを考えないようにしなければと、ちさきは頭の片隅にしまいこんで、紡と問題に向き合った。

「紡、やっぱ頭がいいねー、羨ましいよありがとう」
「俺もここで勉強していいか」
「うん、もちろん」
「わかんないとこあったら聞いて、俺でわかる範囲ならだけど」
「ありがとう。紡は理数系が得意で羨ましいよ」

ちさきから少し離れた位置で、紡が勉強を始めた。ちさきはお茶を出さなくちゃと思い、ポットから急須にお湯を入れて茶葉を蒸らし、湯飲みに注ぎ、紡へと差し出した。紡はありがとうと一言だけ呟いた。
本当にどうしてなんだろう。今は普通に話すことができるし、話したいことも次々と出てくる。今の状況下においては、言葉を発することをしたりはしないが、気まずいとかそんな風にはまったく思わなかった。近くに紡がいるだけで安心する。

「どう、あるか?」
「あ、えっとね、ここなんだけど」

今まで紡と勉強したことはあるが、わからないから教えてほしい、とは紡に言ったことはない。紡から何故か聞いてきてくれる。そこまで気にしなくていいのにと言ったことはあったが、わからないものを、そのままにしといていいのかと言われて、何も言えなくなってしまったのである。
しかし、彼は本当に頼りになる存在だった。思ったことをはっきりと伝えてくるし、核心をついてくる場合が多くて、何度もムッとしたことはあったけれど、それが当たってるからこそ、そうするわけであって。

だから彼は、学校でも一目置かれている。

「うーん、終わったぁ」
「ちさき、これ」
「ん?」


テスト勉強を終えて、紡はちさきの隣に座り、一冊の本を渡した。それはちさきが、夕方図書室で探していた本だった。


「どうして」
「探してたの、これだろ。違ってたか」
「当たってるけど・・・」
「借りようと思って探してたんだろ」
「うん・・・ありがとう・・・」

まさか紡がピンポイントで、この本を借りてきてくれるとは思わなかった。ちさきは本を眺めながら、しばらくぼーっとしてしまった。

「久々に、ちさきが慌ててる様子も見れたしな」
「べ、別に慌ててなんかないわよ」
「だって、学校でのちさき、いつもそうだろ。俺と話した時やすれ違ったりした時にやたら慌てたり、俺を「くん」付けしたり」

それは、と言いかけた所で言葉が詰まった。ちさきが学校でしている紡への態度で、絶対に避けてるだろうと思わせていただろうなと思っていただけに、ちさきは呆気にとられて、本当の事を言えずにいた。

「それは・・・」
「ちさきの事だから、一緒に住んでるのを知られるのが嫌だとか、大方そんなとこだと思うけど」
「・・・」



勉強道具を纏めた紡が、居間から出ていき、ちさきはまた、さっきまでそこにいた紡の幻影を思い出しては、顔を赤らめた。彼は全部わかっている、そんな予感がしたんだ、私が何を考えているのか、どういうつもりで、避けるような行動をとってしまっているのか。

「だって、私は、もう・・・」


ちさきは、学校でもずっと、紡が自分の事を見てくれているという事実に辿り着いた時、机に突伏して頭を抱えた。次に学校で紡とばったり会って、慌ててしまえば彼の思う壺なのか。今度は紡の意表をついて、いつも通りに接してみてみようか。
そんなこと考えても、どうせできないくせに。また気まずさだけを残して、変に思わせてしまうだけだ。こんなにも優しい人を、私は。その日のちさきは、部屋の外が明るくなるまで、深い眠りにつくことができなかった。











そして翌日、ちさきは紡と体育の授業が一緒になった。隣同士のクラスでの合同の授業だ。授業内容は長距離の時間測定だった。まずは男子から始まり、女子は体育座りをしながら、男子が終わるのを待った。

「やっぱり、木原くんってかっこいいよね」

女子たちは走っている男子を見ながら、誰がかっこいいとか、そんな話をし始めた。その会話の中に紡の名前が出ないことはほとんどない。女子の中で紡の存在はとても大きいもので、学年の三本の指に入ると絶賛している。
でもそうなんだ、一緒に暮らすようになってから、紡の成長していく姿を隣で見つめながら、彼の大人になっていく姿が、目を奪われるものになっていたこと。

「ちさき、ほら、次は私たちだよ」
「あ、うん」

走り終えた紡の姿を目で追いかけていたちさきは、友達の声で我に返り、スタートラインにつく。

「ちさき、今日あくびばっかりじゃん、大丈夫?」
「なんか、寝つけなくて」
「寝不足は長距離辛いかもしれないよ、無理しないで」
「うん、大丈夫。ありがとね」


やがて開始の笛が鳴り、女子の長距離走がスタートした。友達の指摘の通り、ちさきは昨日あまりよく寝付けなかった。そしてエナを潤してくるのを忘れてきてしまった。ここで無理をしてしまえば、最後まで持たないかもしれない。

「落ち着いて、大丈夫、大丈夫」

大分ペースを落として走っていた為、ほぼ最後尾に近い位置になってしまったが、それは仕方がない。今はなんとか走りきることだけを考えて、一生懸命走った。とふとちさきが枠内にいる男子をちらっと見ると、自分を見ている紡と視線が合った。

「やだ、嘘、なんで・・・・・あっ・・・」

くらっと感じる立ち眩み。視界もぼんやりとしてきて、ちさきは目を擦ったが、それが治る気配を見せない。ちさきは気持ち悪くなり、視界が真っ黒に染まっていくのを感じてそこから何も見えなくなってしまった。それはゴールまであと少しの所での出来事で、彼女はそこでばたっと倒れてしまった。


「ちさき!!!」


ちさきを見ていた紡が直ぐ様、倒れたちさきの元に走りこんできた。長距離を走り終えたときよりも、息を切らせながら。ちさきを抱き起こした紡は、ちさきの様子を確認する。顔はとても青白くなっており、具合が悪そうなのは一目瞭然だった。朝ご飯を食べているときにどうして気づかなかったのだろうと、紡は少しだけちさきの体に力を込めて、自分の元へと抱き寄せた。朝に確認しようと思っていたのに、忘れてしまった。長距離走があるから、エナを充分に潤しておけよ、と。ちさきはしっかりしているようで、どこか抜けがある。しっかりしようと努めている分、その支えになろうと決めてきた紡だったから。
やがて紡は、ちさきを抱き抱え、先生に状況を説明し、保健室へとちさきを連れて行った。周りのざわざわとした声をその場所に残して。

保健室に行くと先生は留守にしていて不在だったため、紡はちさきをベッドへ寝かせて、保健室に常備している塩水でちさきの腕と足をタオルで拭く。こうしてちさきの体に長い時間触れるのは、初めてかもしれない。初めて会った時と比べて少しずつ大人になっていく彼女を見るのは、安心もしていたが、ちさきが何を思っているのかは、わからない。変わりたくない、変わらなきゃいけない。その狭間で揺れているちさきは、今はどちらを望んでいるのだろうか。

「ん・・・・・・」

エナの渇きがなくなったのと、少しだけ眠ったおかげで、ちさきはゆっくりと目を覚ました。目を開けた彼女が最初に見たのは、自分をじっと見つめている紡の姿だった。

「つ、紡・・・」
「途中で倒れたんだよ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫・・・」

倒れてしまった事にもやってしまったなと思っていたちさきだったが、それよりも紡がここにいた事の方に驚いていた。

「どうして、紡がここに」
「俺が運んだから」
「え!!!!!」
「悪いな、ちさきが倒れたのを見て、自分でも気づかないうちに、俺はお前の所に駆け寄っちまった。ちさき、って大声で叫んじまった」
「紡・・・」
「嫌だったんだろ、俺と学校で関わり持つの」
「・・・嫌な訳じゃ、ない。そんなこと、絶対にない」


ちさきが腕を伸ばして、紡の手に触れようとしていた。それに気付いた紡が、ちさきの小さな手をぎゅっと握り締めて、ちさきを見つめている。ちさきはその温もりを感じて、一体自分は何をやっているんだろうと、自分を責めた。もし今、立場が逆だとして、紡が倒れたとしたら、迷わずに紡の所へ駆け寄って、紡と同じことをしただろう。こうして今も一緒にいるだろう。周りの反応など、お構いなしに。

そうだね、とちさきは抱えていた問題が解決していくのがわかった。こんなに、一番簡単なことを、ずっとずっと考えていたのだと。


「いいよ、もう。私、もう学校でも普通に話せる」
「開き直ったのか」
「そんなんじゃないよ、私、一緒に住んでる事を知られて、紡がからかわれたりしたらどうしようって、不安だったんだよ。私は居候の身だし」
「俺がそんなこと気にするように見えるのか」
「ううん」
「居候とか言うなよ。ちさきはもう、簡単な言葉で括れるようなものなんかじゃない。大事だ」
「紡・・・。うん、そうだね、私もそうだよ、紡が大事だから色々考えちゃったんだ。大事だから」

触れあっている指に熱が籠る。とても熱くて、でもそれを離してほしいとは思わなかった。互いの目の前にいる人物は、かけがえのない大切な存在なのだ。それにどんな意味が込められているのか、同じものなのか、違うものなのかはわからない。けれど、共通しているものはあった。



あの後、教室に戻ると、ちさきは友達から質問攻めにあったが、紡との関係をちゃんと話し、それはもう驚かれた。
恋人なのかと問われたが、その答えを返す前に紡が教室に来て、ちさきを迎えに来た。また教室は一斉に静かになった。


「ちさき、帰るぞ。お前今日倒れたんだから、無理させられない。じいさんにも連絡したから、俺もこのまま家に帰るよ」
「え、う、うん!」
「じゃあ、玄関で待ってるから」


紡とこのようなやり取りをするようになるとは思わなかったのだが、今はもう何も躊躇いもなく、彼と接することができた。それは紡も同じではないのかと思っていた。悩んでいた答えは、また、彼が導いてくれたのだ。


「で、なんだっけ?」
「いいよ、もう。早く行かないと、木原くん待ってるんだから」
「うん、ごめんね、それじゃまた明日!」


ぱたぱたと教室からちさきを送り出した友達は、顔をにやつかせながら、もう一人の女子と会話をする。


「あれは、木原くん、あるよね」
「うん、ある」
「でもさ、ちさきの性格だと、一度『家族』になっちゃったら、そこから抜け出せないような気がしない?」
「そうなんだよね、私だったら、木原くんと一緒に住んでたら、恋に変わっちゃっていたかもしれないなあ」


今のお年頃な自分たちだったら、それを恋愛に変換させて押し付けようとするだろう。でも、紡とちさきはそうではないのだろうと、ちさきの友達は目を合わせあった。
だが、紡はどうなのだろうか。あの時の情景を見ている人ならば、周知の事実だ。真っ先に駆け寄っていった彼のちさきを呼ぶ声と、行動と。

それを紡に問いかける人がいるのかもしれないが、その答えは紡が正直に返すことは、ない。
ちさきとの事に関して、問われたない言葉と、言いたくない言葉。それが紡にはひとつだけあった。


「比良平のこと、好きなのか?」
「あいつにはずっと前から好きな人がいる」


そう、この言葉だけ。





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