セレスティアの奥、暖かな日差しが降り注ぐ場所で、若獅子ロッシュは頭を悩ませていた。
困ってしまうのだ。こんなストックは珍しい。





ことの始まりはアトにストックを呼んでくるように頼まれたことだった。菓子を焼いたから、食べて欲しいと。
人一倍ストックを好いている彼女だから、誰よりも先にストックに食べてもらいたかったのだろう。今頃は部屋で皿に盛り付けているころか。
少女の可愛らしい願いを叶えてやらないロッシュではない。もとより些細なことだ。快く了承し、探しに出た。
セレスティアにいるとき、ストックは暇な時は大抵あの大木の近くで過ごしていた。ストックがその場所を好む気持ちはロッシュにもなんとなく分かる。彼もかつて、あの大木に幾度となく心身ともに癒されたものだったから。
しかし、何時だって決定的な何かを自分に寄越してくれるのはストックだった。絶望に沈んでいたあの時も。
そこまで考えてロッシュは頭を振る。過ぎたことだった。どう悔やんでも取り戻すことができない過去。ならば前に進まなければ。散っていった者のためにも。
そうロッシュに決意させてくれたのもまた、ストックなのであった。






やはり彼はそこにいた。いるにはいたが、常とは多少様子が違う。
彼はこちらに背を向けて横になっていた。青々と茂る草に彼の金の髪と赤い服が散って、鮮やかなコントラストが生まれている。その姿は、まるで、

「、ストック!」

脳裏に今も鮮やかにフラッシュバックするのは、目の前で散っていった仲間達の姿。忘れるはずもない、あの真っ赤な鮮血――

(まさか、なぜ、そんなはずは)

思わず駆け寄って跪くと、聞こえてきたのは、

「…寝て、る?」

実に穏やかな寝息だった。
当たり前だ。何かが起こるわけがない。ただどうしても悪い方向に考えてしまうのは、仕方のないことだろうか。(ただそれでも、まっすぐ前に進んでいきたいと、その決意だけは変わらないようにと)
拍子抜けして、ふう、と大きくため息をついてから、ロッシュは慌てて口を塞ぐ。
起こしてしまってはいないか。たたでさえでかい図体だ、自分の足音は煩くなかったか?
そっと覗き込んで、そこにまだ安らかな寝顔があるのを見てから、今度は小さく息をはいて、その隣にゆっくり腰をおろした。

「まったく、まさか、寝てやがるとは…」

実に珍しいことだった。どんな時でも常に気を張っているような男だから、屋外で横になって眠り込むようなことは前代未聞である。いつもの疲れがどっと出たというところであろう、この地はとても穏やかだから。ならばたまにはゆっくり休ませてやらねば。それにしても、そんなに疲れていたとは…
そこまで考えて、ロッシュはアトから頼まれて彼を探しに来ていたことを思い出した。

「まいったな…」

どうしたものか。ストックを連れていかなければ、アトは確実に臍を曲げることだろう。だからといって今ストックを起こすのは気がひける。こんなによく眠っているのに。
そういえば、とロッシュは再度ストックの顔を覗き込んだ。

(ああ、やっぱり綺麗な面をしてやがる)

常日頃から、整った顔立ちをしているとは思っていた。性格の方も申し分ないのだし、これでもう少し愛想がよかったなら憎らしいくらいにいい男だったろう。

(だがまあ、こいつは無愛想なぐらいが丁度良い)

だからこそ、憎めない、大切な存在だった。大抵のことはソツなくこなすストックが人付き合いだけは苦手なのが、ロッシュにとってはなんだか可愛らしく思えていたのだ。本人には絶対に言えないことであるが。

(しかし、寝顔を見るのは初めてだな)

ストックとはそれなりに長い付き合いであるが、共に軍に属していた時でさえこんなに熟睡しているストックの、ましてや寝顔など見たことは無かった。実に貴重である。

「まあ、こんだけよく寝てんだ。アトには多少我慢してもらって、」

「アトが、なんだって?」

「う、お!?」

いつのまにかストックの目はしっかりと開き、ロッシュを見つめていた。

「なんだ、起きてたのかよ?」

「今起きたところだ。…何か用か?」

「あ?ああ、まあそうなんだが…」

休ませてやろう、と決めたばかり故に、ロッシュにとっては再び拍子抜けであるが、ストックが疲れているのは変わりない事実。このままアトのもとに連れて行くのもなんとなく気が引けた。
ロッシュがそう思案している間に、ストックはさっさと起き上がって髪についた葉を払った。アトが呼んでいるのなら早く行ったほうがいい。アトがストックによくなついているのは、ストック自信も自覚しているところだった。拗ねたあとが大変だということも学習済みだ。

「おいこら、ちょっと待てって」

「アトに用事があるんじゃないのか?」

「そうなんだけどな、その、急ぎってわけでもねぇし、」

「…どうした、はっきり言え。らしくないぞ」

「あー…だから、その、疲れてるんなら、無理に起きなくても…」

「…………」

言っている途中でなんとなく情けなくなってきて、どんどん声が小さくなるロッシュにストックは少し目を大きくし、驚きの表情をした。これも珍しいことであるが、ロッシュは気づかない。

「…気をつかっているのか?珍しいな」

「珍しいかよ?俺だって気くらいつかうさ。寝てるんなら起こしたら悪いかと、せっかく気をつかってやったのに…」

「ああ、分かったからそう拗ねるな」

「拗ねてねぇ…って、おい?」

ロッシュが喋り終わらないうちに、ストックはまた横になった。今度は仰向けに、また金糸が草の上に散らばった。

「おい?寝るのかよ?」

「寝てろと言ったのはお前だろう。…その言葉に少し甘える。アトには悪いが…」

「なんだ?珍しいのはお前の方じゃねぇか」

「…うるさい……」

そう言ったきり、ストックはさっさと目を閉じ、あっと言う間に眠ってしまった。

「本当に珍しい…雨でも降るか?」

言って、見上げた空は青く澄んでいて、それをぼんやり見上げながら自分も自然と横になった。さっきまでストックがしていたように仰向けに空を見上げていると、緩やかな眠気が襲ってくる。ああ、自分も疲れていたと、ロッシュは自覚した。

(なるほど…これは、悪くない)

そしてロッシュも目を閉じた。



 



その後、アトに怒られたのは言うまでもない。






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