グランオルグに雪が降った。随分久し振りの出来事だ。砂漠化の進むこの大陸にはもう長いこと冬が来ていない。まして雪が降るなど何年ぶりか。
…儀式が、効いているのかもしれない。
そう考えつつ、エルーカは白い息を吐きながら空を見上げた。今はもう雪はすっかりやんで、空はきれいに晴れている。
(お兄様のところに、行かなければ)
そう思って部屋を出て、廊下を2、3歩歩いたところで窓から覗く白い雪が目に入る。
(せっかくですから、この雪も届けましょう)
そう思い立ち、一度庭に出てから深めの器にひとすくい、雪を盛った。
いつもは護衛を従えて潜る城の地下に、今日はエルーカひとりで行く。抱えたバスケットの中には先ほどの雪と、焼きたてのケーキが入っている。料理がからっきしだったエルーカが、合間合間の時間を使い練習したケーキ、簡素なものではあるけれど、兄に一番に見て欲しかった。
一番奥まで潜れば、そこには大きな結晶がある。
以前、この大陸を救うために皆で来たとき、この地下には沢山の魔物がいた。けれど今はその数は随分と減り、活動も穏やかになった。
「…これも、儀式の影響でしょうか」
こんなふうに、あなたはいろんなことを変えてしまった。いろんなことを、優しく、穏やかに。
でも私はそれが悲しい。あなたの優しさが悲しい。
「…今日は、儀式で来たのではないんです。ケーキを焼いてきたんですよ。なかなか綺麗に焼けているでしょう?」
そう言って、エルーカはバスケットの中からケーキを取り出す。甘さ控えめのパウンドケーキは、兄のためだけに焼いたもの。
「少し冷めてしまいましたけど…でも、美味しいはずです。そう、それから、久し振りに雪が降ったんです。少しだけ、持ってきました」
同じように雪の入った器を取り出して、ケーキの隣に置いた。少し溶けてしまっているその雪にそっと触れて、そうしていると懐かしい思い出が蘇る。
「お兄様は覚えていらっしゃらないでしょうけれど…」
昔、まだあんなふうになっていまう前、一度だけ雪が降ったことがあった。その時もやはり雪は珍しくて、エルーカは随分はしゃいだものだった。それを横で見ていた兄は小さく笑って、いまにまた冬が来て、毎年雪が見られるようになると、そう言った。そんな世界にすると、言ったのだ。
その時エルーカはまだ幼く、その言葉の重さも分からずに喜んで、その日は随分長く外で遊んだ。
「けれど、私は、こんな結果、望んでいませんでした…!」
知らないこと、出来ないことが沢山あって、それを出来るようになるのを、しっかり見届けて欲しかった。ケーキだって、兄が好きだったものを真似て作ったもの。雪だって、兄と見るから楽しかった。
「あなたの犠牲で、確かに世界は救われました。けれど、」
けれど、どんなに世界が救われようとも、私はもう救われない。
世界より私を救って欲しかったなんて、なんて傲慢な願い。
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