非日常コミュニケーション


風邪をひくと、普段は当たり前に出来ることが出来なくなる。
その分普段は当たり前に感じていることが、特別ありがたくなりもする。

例えばお風呂のお湯の暖かさ、痛む喉を清涼飲料水が通って潤う感覚、柔らかな毛布が体を包む安心感と、優しい彼の気遣い。


「ただいま」

玄関から、彼の声とがさがさとレジ袋の音がする。ピュンマが帰ってきた。
次に聴こえる足音が、だんだん自分の部屋に近づいてきたので、シュウは目を開けて部屋の入口の方を向く。

彼女が予想した通り足音は部屋の前で止まる。そして部屋のドアがノックされたと同時に「シュウ、入るよ」と声がして、少しの間をおいたあと彼はドアを開けた。
シュウはおかえり、と言おうとしたがのどの痛みで声が出せず、口だけが動く。

「いいよ、無理しなくて」

申し訳なさそうにするシュウにピュンマは微笑んで、片手に下げたレジ袋をシュウのベット脇におろし、袋の中を探る。

「ねぇ、こんなの買ってきたんだけど」

彼がそう言って差し出したのは、小さなホワイトボードとペン。

「何か用事があったらこれに書いて。そうすれば無理に喉を使わなくても済むんじゃないかなって」

シュウは熱のために思うように動かない手を、ゆっくりとした動きで毛布の下から出し、無言で差し出されたボートとペンを受け取り、さらさらと何かを書いてピュンマにそれが見える様にボードを裏返した。

『おかえりなさい。ありがとう』

熱に浮かされて眠そうな目をしたシュウが掲げる、白いボードに書かれた短くシンプルな言葉をみて、ピュンマは再び微笑むと
「さっそくだけど、お昼はなにか食べたいものがあるかい?またうどんにする?」
と彼女に聞いた。
シュウはボードを裏返し、一旦ペンの蓋についたイレーザーで文字をけしたあとに、なにか書いてまた彼に見せる。

『卵がゆ がいい』
「よし、わかった。ちょっとまってて」


* * *


「お待たせ。おかゆ出来たよ」
湯気と出汁の香りが立つお皿と、陶器の匙を載せたお盆を片手に持って、シュウの部屋のドアをノックする。
返事が返ってこない事はわかっているので、一応、いったん間を開けてからドアを開ける。

「シュウ、起きてる?」
ベットに近づくと、毛布から出ていた彼女の両手がホワイトボードと黒ペンを手に取り滑らかな動作で『起きてる』と書いて、その文字を僕に見せつける。

いや、動いてるのをみたら、書かなくてもわかるよ。とも思ったけれど、聞いたのは僕だし、彼女はそれに応えてくれただけだ。

無意味な問いだと分かっているのに訊いてしまったのは、シュウがあのホワイトボードを使うところが見たかったからかもしれない。あれは、昨日の晩から風邪をひいている彼女の辛さを、何とかしてあげたくて、せめて喉をひどく痛めた彼女の望んでいることが分かりやすくなればと思って買ってきたものだ。あれが彼女の役に立っていると思うと、僕はうれしい。

僕がベット脇にくると彼女は身を起こして、僕からおかゆの入った皿と、匙の載ったお盆を受け取り、膝の上に置いた。
そして匙を取るのかと思えば、またホワイトボードとペンを手にして、ボードに『ありがとう、とてもいい香り』と書いた。

そんなことわざわざ書かなくてもいいのに。
もしかして、このボード気に入ってくれたのかな?

38度ちかく高熱が出て彼女は辛いはずなのに、僕はこんなことを楽しんでいる、と少し罪悪感を感じはしたけれど、ボードに文字をかく彼女もこのユニークなコミュニケーション方法を楽しんでいるようにも見えて、悪い気分ではなかった。
これは独りよがりだろうか。

「香りだけじゃなくて、味もいいはずだよ。自信作だからね。さ、熱いから気を付けて食べて」

そう促すと、彼女はボードをおいて匙を手に持ち、おかゆを掬った。口に入れる前に、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。
湯気が立つほど高温なおかゆに息を吹きかける間、シュウはちらりと僕の方を見た。そして視線を目の前のお皿に落とすと、また僕の方を横目で見る。
視線の意味が分からずに、彼女の意思をはかりかねていると、彼女は口を開けて実にゆっくりとした動作でおかゆを口に運んだ。

「おいしい?」

僕の問いに、彼女は首を縦に振って応え、匙でおかゆを掬って、またお皿と僕に視線を交互に泳がせた後、ゆっくりと口に運ぶ。
それが何回か続いた後に、急に彼女は軽くため息のようなものを吐いて、何かが吹っ切れたように、さっさとおかゆを口に運んで行くようになった。

「なにか、足りないものとか、あるかい?」

彼女がお皿の中身をあらかた食べ終えた後、その場の空気をなんだか気まずく感じて、とりあえずそう聞くと彼女は片手でボードに『ポカリ』と書いたので、僕はそれを取りに彼女の部屋を出た。

台所から、コップとよく冷えたペットボトルを取って彼女の部屋向かう。その間、あの彼女の奇妙な動作について頭を巡らせる

交互に向けられる視線、口を開けてからおかゆを含むまでのあの妙に緩慢な動作にどんな意味が……
なにかしてほしいことがあったなら、どうしてホワイトボードに書かなかったのだろう……

「あッ」

丁度彼女の部屋の前で、彼女の”してほしかったこと”の答えにたどり着いて、僕は立ち止まる。
理解と同時に納得もした。もしも、僕の考えることが正しいとするなら、あのシャイな日本人の彼女が、それをホワイトボードに書くだなんて直接的な伝え方、出来るわけがない。僕だって、仮にしてほしいとは思ったとしても、それを文字にして書いたり出来ない。


彼女の部屋のドアを再びノックして、いったん間をおいてから部屋に入る。
「これだよね、持ってきたよ」
彼女の部屋に入ると、膝の上に空のお皿の乗ったお盆を置いたシュウが
『おかゆごちそうさまでした。とってもおいしかったです。何から何までありがとうピュンマ』
と書かれたボードを笑顔で手に持っていた。

その言葉に安心とうれしさを感じながらも、これから僕が言おうとしていることがとても気恥ずかしくて、彼女の笑顔から視線をそらしてしまった。

「えっと、シュウ……明日の朝、何が食べたい?」

僕にお盆を渡して、いたシュウは「どうして今そんなことを聞くの?」とでもいうように不思議そうな顔をした。構わず僕は意を決して、次の言葉を言う。

察してあげられなかった、という後悔もあったけれど、なんというか、こんな時しかできないことだし、彼女がしてほしいと思ったことなら出来る限りしてあげたいと思っていた。

「僕は、出来れば……スプーンですくって、冷まさないといけないようなものがいいと思うな。さっきの卵がゆ、みたいな」

これで伝わってくれ。という僕の願いが天か彼女に伝わったのか、彼女はくすりと笑いながらホワイトボードに文字を書いて僕に見せた。


ホワイトボードに書かれた彼女のリクエストは『熱々の梅ぼしのおかゆ』で、その時の彼女の顔が赤かったのは、きっと熱の為だけではないと僕は思う。

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