ヒーロー


シュウのクローゼットの上の段は、季節を過ぎた衣類をしまうための衣装ケースが置いてある。
そこには大抵の人は踏み台を使わなければ届かないし、シュウにしてみればかなりの重量があるので、取り出すのには力がいる。それでもそこに置かれているのは、普段よく使う下の段を少しでも空けるため、衣替えのときにしか使用しないのだから、たまになら多少の苦労をしてもいいだろうという理由からだ。



「うあっ……ぐぅぅ!」
腕と背筋にかかる予想以上の重量に、思わずうめき声をあげながらシュウはなんとか持ちこたえる耐える。
肘を伸ばして衣装ケースを押し戻そうとしたが、彼女の腕は重みに耐えるのに精いっぱいで、なにより下手に姿勢を変えれば、足腰のほうが踏ん張りきれない。

しまった、失敗した…と思った時にはもう手遅れで、前にも後にも引けない状態になってしまった。

彼女が必死に踏ん張っている足場である、木製の踏み台に感じる十分な安定感が唯一の救いだった。


「ジェ、ジェロニモーーー!!」
もう一人ではどうにもならない、と判断した彼女は、この場で一番頼りになるであろう男の名前を叫ぶ。

「は……早く来てぇっ…やばいやばいやばい!!」
段々とずり落ちてくる衣装ケースに押されて、少しずつ体が後ろにのけぞっていく恐怖から、早く、早く、ジェロニモと叫んでいると、慌ただしい足音が聞こえてきた。

「どうした!」

珍しくあわてた様子のジェロニモが、部屋に駆け付けた丁度そのとき、シュウは耐えられなくなって、踏み台の上から後ろへ崩れ落ちた。

途端にスロー再生のようになった感覚の中で、片足が浮いて体に支えが無くなる浮遊感と、肩の上にのしかかる嫌というほど重い衣装ケースに押されながら、床ぶつかる痛みを想定して、シュウの喉の奥から息を吸い込む「ひぅッ」という音が出る。

咄嗟に、ジェロニモは姿勢を低くして、落ちるシュウの背中に手を伸ばす。
そのまま彼女を片腕で抱き留め、シュウを押しつぶす衣装ケースを空いた片手で支える様にしたから鷲掴み、それの動きを止めて、シュウの肩から引き離した。

「あ……」

彼の腕の中で、シュウがぽかんとした表情を彼に向けた次の瞬間に、衣装ケースが音を立て、彼の手が触れているその部分から盛大に亀裂が走った。
「ひぁ!?」
シュウはそれに驚いてまた声を上げる。
このままではケースが砕けると察したジェロニモはケースをそっと床に置いた。手を放すと、そこからクモの巣状のヒビが入っていた。

「すまない、力を入れ過ぎたようだ」
「ジェ、ジェロニモ……!」

床に下ろされたシュウは、ぺたんとその場に座って、両眉を下げ、口元の緩んだ情けないような表情で、自身を抱き留めたたくましい腕に抱きついた。
「ありがとうジェロニモ、ありがとう!……貴方がここにいてくれて本当に良かった……」
「しかし、ケースが……」
「どうでもいいよそんなの!私を助けてくれただけでも、貴方は私のヒーローだ!」

ヒーローとは大げさな、とジェロニモは内心思ったが、こんなふうに感謝されて悪い気がするわけでもなし、わざわざそれを指摘することもないだろうと、彼女の言わせるままにしておいた。

ひとまず彼女には危害が及ばなかったのだからそれでいい。

(しかし、今日ドアを開けた時のよう思いをするのは二度とごめんだ)

「次はこんなことになる前に俺を呼べ」
「……はい」

心配を掛けてごめんなさい、という彼女の言葉の後、これからはケースの上げ下げをする時は必ず一人ではしないという約束が交わされた。

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