箱庭の彼女


009は柔らかなクッションの敷き詰められた一人用のソファに身を預けて、配線のつながったフルフェイスのヘルメットを被る。
黒塗りのバイザーで目の前が真っ暗になった瞬間、そこに光が走り、だんだんと大きくなって視界全体に広がっていく。ジョーは憂いるような表情で見つめていた。

この光が視界を覆いきり、晴れて別の風景が見えたとき、今日も彼女との対話が始まる。


* * *


「ジョー!!」
強すぎる光が消え、ジョーの視界が戻った瞬間、そこにいた彼女は彼に飛びついてきた。

「会いたかった!次はいつ来てくれるんだろうって、ずっと待ってた!」
「ずっとって……そんなに長い間離れてないよ、昨日もここに来たろ」

ジョーは、彼の首にしがみついて抱きしめる彼女の背を、なだめるように軽くたたいた。
確かに感じる彼女の重みは、とても電脳世界での出来事とは思えないほどに現実的だ。

「それでも会いたかったの……私にはジョーがいない間、貴方はもうここには来ないんじゃないかって不安を抱えて待ってるしかないんだから」

「僕は黙って居なくなったりなんかしないよ」
「ホントに?」
「ああ」

彼女の背中に触れながらジョーが頷くと、彼女は彼から離れ、ジョーを見上げて満足そうに笑った。

「ジョーがそう言うなら、信じる」

それから彼女はその場に二人掛けの赤いソファを出現させて、ジョーを座らせその隣に自分も腰かけた。白いタイルと、白い空ばかり広がるその空間には、赤いソファーと彼と彼女しかいない。

コンピューターの作り出すこの仮想現実の世界は、すべてが彼女の思いのままになる。

「ここでは私は何でもできるけど、他人だけは作れない。だから、ジョーが遊びに来てくれて、私は本当にうれしい」
「他のみんなに君のことを教えれば、僕のいない間はほかの人が来てくれるよ。その方が君も寂しくないと思うんだけど……」
「そう、そのことだけどね、ジョーがいない間ちょっと考えたの。世界中の人が、『こっちの世界』で生活するようになればいいんじゃないかって」
「え……?」

彼女が言った意味が分からず、ジョーは一瞬戸惑う。

「世界中のみんなが今のジョーみたいにここにきて、『あっち』に帰らずに『この世界』で社会を築くようにするの。そうすればこの世界の方が現実になる。あちらの世界に置いてきた体は、ゼリー状のベットにでも寝かせて栄養の供給パイプを繋げていればきっと大丈夫。今ある技術で人間の寿命の間くらい維持が出来るはずよ。その他の肉体の維持に関する些細な仕事は、それこそロボットにさせればいい。それでも不安なら全体的な統括は私がするの」

「ちょ、ちょっと待って」

興奮した様子のシュウをなだめて、いったん間をおいて確かめるようにジョーは訊く。

「本気で、言ってるの?」
「駄目かな?」

気まずそうな彼女の様子に、ジョーは彼女は冗談で言っているわけではないことを悟った。シュウも一瞬強張ったジョーの表情から、彼が自分に賛成していないと悟ったようだった。

「人の脳にコンピューターが刺激を送って、それを受け取った脳の反応の結果がこの世界。貴方の言う現実の世界だって、五感を通じて外からの刺激を受けた脳の反応の結果を、そう認識してるだけ。この二つに大した違いは無いはずなんだけど……」

「違うよ、全然違う」

先ほどまでは和やかだった、しかし水面下では憂いを秘めていた彼の表情に影が差した。

「ここはすべてが君の意のままだ」

「だから、ここでなら私の力でジョーの理想の世界が実現できる。ここには環境の差も、肉体的な制約もない。あらゆる理不尽も残酷な出来事も、私の意志でなかったことに出来るんだよ?」

もしも、彼女の言うことが実現したとして。
地上から争いは無くなり、世界は人に荒らされることなく、人々は電脳世界で平穏に暮らせていけるのかもしれない。

しかしその裏で、現実世界では全世界の人間がヘルメットを被って体を横たえている。
その静寂な世界のグロテスクさを、どうやって彼女に伝えたらいいのか。

「それでも、君が言う世界が理想だなんて僕は思えない」
「そっか……ならいいの」

がっかりした様子のシュウに、ジョーの憂いはますます深くなる。
けれど、同時に彼女への思慕の念があふれてきて、たまらなくなって彼女を抱き寄せた。
彼女はジョーに身を預けて、シュウは彼の胸の中でぽつりとつぶやいた。

「貴方を幸せにしたかったのに」

「僕は君と居る間は、いつだって幸せだよ」

ジョーは彼女に笑ってみせた。
彼女の一言に、お互いの決定的な相違を感じたとしても、ジョーにとってそれは彼女が自分の意志を持つ存在であるという証明に思えて、寧ろうれしくも感じてしまう。




そろそろ帰らなければならないと彼女に伝えると、彼女は名残惜しそうに、ジョーの胸の内でしばらくじっとしていたが、ジョーが頭をなでると諦めたように彼から離れた。

「もしも、貴方の言う『現実世界』で私の力が必要になったら、ここを外のネットワークと繋げて。そうすれば、私は貴方にいつだって会いに行ける。世界を貴方の望むよう変えていくことだって出来る。私はどんなものより優れた人工知能だから」

「……それは遠慮しておくよ」

ジョーにそういわれて、シュウは両眉を下げて、困っているような恨んでいるような表情になる。

「ごめんね」

シュウはとある研究者たちの、人工知能と仮想現実世界の開発の過程で生まれ存在だった。そもそもは、ただの仮想現実内部で人間の話し相手をするだけのはずだったものが、仮想現実世界の操作権限を独占し、繋がれているあらゆる機器の操作まで可能になったことを危険視され、ここに隔離されている。

彼女を外の世界に放ってしまえば、どうなるかは想像に難くない。




「また必ず、ここに来るから」
「………………待ってる」

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