09


日付が変わった深夜の町を、ハインリヒは一人歩いていた。
ぽつりぽつりと間隔を開けて街灯が立つ夜道は、人気が無く、彼自身の靴音を除けばほかに聞こえる音もない。風のない夜だった。

一人で夜道を歩きながら、ハインリヒの胸の内は緊張感に包まれていた。

明確な理由まではわからないが、今の自分の状況は普通ではない。深夜に目が覚め眠れないから、暇つぶしに散歩に出かけた、というだけの単純な状況ではなかった。
真夜中に目が覚めたのは、先に挙げたもの同じだ。けれど、そこから先は異常であった。彼は特にどうしようと考える間もなく、夢遊病の患者のように、気が付けばギルモア邸を離れ、意識がはっきりまましないまま、ここまで歩いてきたのだ。

自分の以外のなにかが、自分に働きかけている。
そんな感覚だった。今でも、思考はかすかに霧がかったような状態で、目の前の夜の風景にも現実味を感じない。

「どうしちまったんだ俺は……」
ふと呟いた独り言は、夜道の暗闇に溶けていく。もしかしたらこれも夢ではないかと錯覚するほどに、思考がはっきりとしない。

心当たりはある。
あの研究所で受けた傷か、そこにあった謎の『装置』だ。
ほんの一週間前、彼らが捜索を続けていた宿敵たちの残党の本拠地を発見し、そこに乗り込み研究施設を破壊した。当然、そこにいた研究員たちと戦闘になったが、その時に彼らが持ち出した兵器の中に、奇妙なものがあった。
それは箱型のなにかの装置で、持ち出した研究者たちが使おうとしたときに、それ自体が爆発してしまったので、結局それがなんだったのか詳しくはわからない。ただ、その装置が自爆する前に、何かしらの電波を発生させていて自分だけがそれに反応して一瞬意識が遠のき、負傷してしまった。その時の『故障部位』や傷は、すべて博士に修理してもらったが、もしかしたらまだどこか悪いのかもしれない。
もしくは、破壊した研究所にあったあの『何か』の影響か。

どっちにしても厄介だ。早くギルモア邸に帰って、この不具合をなんとかしてもらわなければ――

「ハインリヒさん!?」

時間帯に対して遠慮のない声量で、驚きを隠せないといったような女の声がした。名前を呼ばれたハインリヒは振り返る。

建物の間の小道から姿を見せた声の主が、ハインリヒの元までかけてくる。
突然の接近にハインリヒは警戒したが、近づいて駆け寄ってくる女の顔を確認すると、その警戒をすこしだけ解いた。


「お久しぶりです、ハインリヒさん!」
街灯の薄明かりで照らされる、深夜の屋外には不釣り合いなほどの満面の笑み。二週間前にも会った顔だが、その嬉しくてたまらないというような様子の彼女に、ハインリヒは戸惑う。
「あー……シュウだったか?」
「はい!よかった、忘れられてなくて」
はじめて彼女と会った時は、動きの少ない表情と若干覇気に欠ける声のせいで彼女には気怠げな印象があったが、今の彼女は飼い主の元へ嬉々として駆け寄る子犬のようだった。


「久しぶりだな。何してるんだこんな夜中に」
「えっと……わたし、ハインリヒさんのこと探してたんです。聞いてほしいことがあって」

俺を?と聞き返した彼は、こんな時間帯に彼女がうろついている原因が自分であるということに驚く。

まさか俺を探すために毎日こんなことをしていたのか?

なぜ、という疑問も浮かんだが、彼は今は急いでいるので出来れば後にしてもらいたい、というのがハインリヒの正直な気持であった。しかし、それをはっきり言うほど無下に扱うつもりもなかった。

「その聞いてほしいこととやらは、話すと長くなるか?」
「えっと、単刀直入に言えば一言で済むんですが、言った後はちょっと面倒かも……」
「まさか俺が好きだってんじゃないだろうな?」
「え?……いや……違いますよッ」

はっきりと言ってくれる。そういう反応の方がハインリヒは安心できた。
図星とも取れる反応を返されることをを、ハインリヒは内心ひどく恐れていた。

「悪いが、出来ればまた今度にしてくれないか?時間も遅いし、今日はお互いにもう帰った方がいいだろう」
「え!?いや、それは駄目ですッ今聞いてください!」

来た道を戻ろうとしたハインリヒは、シュウの声に引き留められた。これを逃すともう後がないとでもいうように彼女の声は切羽詰っている。「そういえば互いの連絡先も知らないのに、また今度もないだろう」と気付いたハインリヒが「じゃあ、俺に用があったら……」と言う前にシュウが彼を引き留めた勢いのまま、口走った。

「私もサイボーグなんです。ブラックゴーストの」

社交辞令の薄い笑みを浮かべていたハインリヒの頬が硬直する。
口は口角が下がって、眉間に微かにしわが寄り、彼女が現れてから無縁だった緊張感がまた彼に戻る。
明らかに雰囲気の変わったハインリヒに、シュウは恐る恐る声を掛けた。

「……びっくり、しました?」



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