08


随分と昔の話。

シュウが目が覚めたのは手術台の上だった。
最初に見たのは天井のまぶしいライトと、彼女を見下ろす男の顔。耳にかかる長さの髪の色は薄く、メガネをかけている。

その白衣の男はいくつかシュウに質問したが、彼女はそれにほとんど答えられない。続けて男は、自分たちが彼女の体に施したこと、自分たちが何者であるかの説明を始めた。

そして長い解説の最後に言った。

「お前の略名称は実験体E-α。元の名前はシュウ。俺たちはこれからお前を『E・アルファ』と呼ぶ。いいな」


* * *


夜の繁華街で道行く人々を眺めながら、ハインリヒの捜索方法を考えていると、シュウはふと思い至る。
目の前を通るこの人たちは、当然ながら物騒な機械類など混じっていない体であり、戦闘用サイボーグの存在などありえないと思っている。自分に起こった紛れもない事実が、ここにいるほぼすべての人にとってはファンタジーに等しい出来事でしかない。

(なんか、それって寂しい)

なぜ『それ』が寂しいのかという理由はシュウには説明できなかったが、例のドイツ人を探そうと決めたときから、その寂しさは「ハインリヒさんに会えば消えるはずだ」という確信があった。

(問題はどうやって探すかだよ……)

この通りに立っているだけで、かなりの人数が視界に入ってくる。数える気にもならないほどの人通りの多さに、改めてこの中から彼を探すとなると、何か有効な策を考えなければ見つけられる気がしない。とはいっても、彼女にはその方法が思いつかない。
名前と、身体的特徴とうっすらとした身辺状況だけで人が探せるのか。
もたもたしていると、ここからはるか遠いドイツに帰ってしまうかもしれない。
足元がフラフラと頼りなく、落ち着かない感じがとても不安で、シュウは繁華街の通りの壁に寄り掛かる。

(誰か、この町に詳しい人……もしくはたくさんの人につながりを持つ人間を捕まえられれば……)


そんな時、とある男がシュウに声をかけた。
* * *

深夜、交通量の少ない海辺の防波堤に面した通りに、一台の車が止まっている。
シュウはその車の助手席で奮闘していた。
「おもッ……!」
自分に覆いかぶさるようにして気を失っている男を、その重さに苦労しながらも運転席へと追いやる。丁寧に扱う余裕が無く、乱雑な扱いを受けた男の体はおかしな体制で運転席のシートへとおさまった。

あの繁華街で夕食に誘われたときから、シュウはその男を何とかハインリヒを探すことへ利用しようと考えていた。
今思うとあまりに無計画であり、誘いに乗った理由はハインリヒを探すため、という理由のほかに、単に寂しかったからかもしれない。そう思うシュウは、この男を電気ショックで気絶させたことに対して、若干の罪悪感を感じていた。
こんな状況になるということは、薄々予測できていたし、そこを利用しようとして直前で躊躇し、無理だと判断した挙句に相手の延髄への電気ショックというのはひどかったのではないのかと。

(いや、後悔しても仕方ない。今はとりあえずこの場から逃げよう。そしてもっと無理のない方法を探そう……焦りすぎちゃだめだ)

シュウは助手席のドアロックを解除し、車の外に降り立つ。ショートブーツがアスファルトを踏みしめる感触と、車のドアをバタンと閉める音で、車から降りる、という動作に不意に懐かしさを感じた。

(そういえば、博士と別れた日は博士の車の助手席に乗ったっけ。車で、しかも博士と二人きりで移動だなんて今までなかったから、なにかおかしいなって思ってたんだよね……)

シュウは、研究室ではほぼ眠らされて過ごした。性能テストとして戦闘を行ったことはなく、たまに起こされ簡単な整備と機能実験を行うだけだった。そこからシュウは自分は実験段階で可能性が見いだされず、放置されてしまった失敗作なのだろうと、なんとなく察していた。別にそれを悲しいと思ったことはないし、余計に研究者たちの興味を引いて実験と改造を繰り返されるよりかはましだと、むしろ肯定的に捉えていた。

そして彼女が起きている間、常にそこには『博士』がいた。寝ている彼女を起こすのも、彼女の整備も実験も主に彼が行った。シュウはいつしかその男だけを指して『博士』と呼ぶようになり、その呼び名に僅かに親しみがこもっていたことも、シュウは自覚していた。彼女にとって、『博士』はなんとなくほかの研究者とは違うように思えたのだ。

あんな手紙と封筒をよこして自分をここに置いて行ったということは、その感覚は正しかったことになる。
「博士、大丈夫かな……」

思わず虚空に向かって呟いた一言に、あわてて自分で否定する。
(気にしたって仕方ないじゃないか……きっと、なんとか上手くいってる)
夜遅くにウロウロすると無駄にセンチメンタルになってだめだ、と自分を客観的に見たような言葉でシュウは気分の切り替えを図り、現在拠点にしているホテルへ帰ろうと、自分のサイボーグとしての機能を使い、現在位置の確認を始めた。


(この機能で、ハインリヒさんの位置も分かればいいのに)




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