ロマンの産物


特に行くあてもやることもなく、暇だから町をふらふらと散歩していた時だった。
(なんだ?この音……)
普通の人間より優秀なジェットの耳に、奇妙な音が聞こえた。
がん、がん、がん、と硬質な物同士を乱暴に打ち付けるような音が、連続して響いている。
なんとなく気になったので、ジェットはその音のする場所へと向かってみることにした。


そこはジェットが音を拾った場所からすぐ近くの、立体交差になっている道路の下にある駐輪場だった。その奥から、例の音が聞こえてくる。
若干薄暗いそこを覗いてみると女が一人いた。
タンクトップ姿で、片手には拳より大きな石を持ち、それを自転車のチェーンロック目掛けて振り下ろしていた。年齢は十代後半か成人かという程。乱れてぼさぼさのショートカットの茶髪を振り乱し、必死に石を叩きつけていた。ジェットは一歩ずつその女に近づいているのだが、それにも全く気がつかない。

「おい」
すぐ後ろまできて呼びかけた瞬間、彼女は飛び上がって振り向いた。その表情にはとてつもない恐怖が見えたが、声をかけた主が自分の予想した人物で無いとわかると、情けないほどに気の抜けた顔をした。
「あんた誰?」
その女の左頬には、大きな青あざがあった。
「鍵をなくしたっていう風じゃないよな」
女の質問を無視したジェットの問いに、女は慌てて石を持った手を背後に隠す。
「あ、いや、これはね、違うの!正当防衛……じゃないけど、私にも仕方ない理由があるって言うか、寧ろわたしは被害者みたいな……」
「なに言ってんだお前」
必死に弁解しているが、焦りすぎて言葉がめちゃくちゃだ。ジェット自身、彼女を警察に突き出す気は無く、ただ興味本位で行動していただけなので、「とりあえず落ち着け」と言おうとしたときだった。
「見つけたぞこのバカ女!」
駐輪場の入り口から、ヒステリックな男の怒声が響いた。
「ひッ」
今度こそ、女の顔が本物の恐怖に引きつる。入り口のほうを見ると、女と同じように髪を振り乱した、キレた表情の若い男がこちらへ向かってくる。
その姿を確認するや否や、女はあわてて石を捨て、その男から逃れようと目の前のジェットを突き飛ばして走り出した。
「うわ!」
まったく予想外の不意打ちに、思わず二、三歩後ろによろめく。同時に「待て!」と男が叫び、ジェットの目の前を通り過ぎる。
逃げた女は、数メートル先であえなく男に捕まった。
「離してよ!もうアンタのトコには帰んないわよ!」
「黙ってこい!」
女が抵抗するので、若い男は女の髪を掴み、無理やり引きずろうとした。女が短い悲鳴を上げる。
「おい!ちょっと待てよ!」
目の前のバイオレンスな状況に、流石にジェットが止めに入る。二人に駆け寄り、女の茶髪を引っ張る男の腕を掴んだ。
「ああん?」
眉間に皺を寄せた男が、ジェットを睨みつける。
「なにがあったか知らねえが、そこまですることないだろ」
「お前は関係ねえ!引っ込んでろ!」
引っ込んでろと言われたら、引っ込む気にはなれない。
そもそも喧嘩っ早いジェットは、この男の発言にもう目の前の事態から身を引く気をなくしてしまった。
それに加えて、頭に血が上った男が、空いた左手でジェットの顔めがけて殴りかかってきた。ジェットはその拳を難なく片手で受け止める。受け止めた手に少し力を入れて相手の拳を強く握ると、その握力に耐えかねて、男がジェットの手を振り払った。同時に女の髪からも手を離し、ジェットから距離をとる。
解放された女は、少しよろめいたあと、ジェットの背後に隠れた。
「むやみに女殴るのはみっともないぜ」
「俺の女だ。どうしようと俺の勝手だろ!」
先ほどのジェットの力に怖気づいたのか、多少声に勢いが無くなっていた。
「もうアンタの女なんかじゃないわよ!」
ジェットの背後で、女が彼の服の裾を掴んで叫んだ。
「あ、あたし、コイツの女になるんだから!」
「はあ?」
驚いて女を振り返ると、女の左頬の痛々しい青あざに目が止まる。
(お願い!今だけ合わせてー!)
(なんたって俺が……)
(他に男が出来たんなら、アイツも諦めるかもしれないでしょ!)
(でもよ……)
(お願い!)
ジェットの服の裾を引っ張りながら、女が小声で懇願する。
ジェットは唸りつつ考えてみた。この女をこの状況でほうっておくことはもう出来ない。何とかするために目の前の男を殴り倒すことは出来るが、それをすると恐らく同居人がうるさい。隠してもバレるだろうし、バレた時に面倒なことになる。それを考えると、この女の作戦に乗ったほうが面倒ごとは少なそうではある。
(しかたねぇ。)
ジェットは覚悟を決めた。
「ああ……それも悪くねえな」
いいながら女の肩を抱き寄せる。
「よし、決めたぜ。こいつは俺が引き取る。だから、もうコイツを追いかけんな」
となりで女が、うんうんと頷いている。
「な、なにいきなりわけわかんねえこといってんだ!お前ら今会ったばっかだろ!」
もっともなことを突かれて、言葉に詰まる。
「い、今会ったばっかりでも、あたしを殴るアンタよりこの人のほうがずっと素敵だわ!」
負けじと女が言い返す。
「ああん!?てめえの意見は聞いてねェよ!!」
眉間にしわを寄せた男に言われ、青あざの女はジェットを見上げ、それにつられて男もジェットに視線を向ける。二人の注目を受けて、何か言わなければ……とジェットは必死に言葉を探した。
「に……逃げるためにチャリを盗もうとするこのクソ度胸が気にいった」
我ながら苦しいこと言っている自覚はあった。続けて、女がジェットの腕の中で、また小声で呼びかける。
(あんた名前は?)
(ジェット)
「ほら、ジェットもこう言ってるのよ!」
女が少し誇らしげに言いながらさらにジェットに身を寄せる。こいつちょっと調子に乗ってるな、とジェットは思った。早くこの状況に収集を付けたい一心で、とどめの一言を男に投げかける。
「で、どうすんだ。まだこいつを追いかけるってなら、俺と喧嘩でもするか?」

「つ、付き合ってられっか!」
男は吐き捨てるように捨て台詞を叫んで、その場を去って言った。
「ばーか」
駐輪場から、男の姿が見えなくなったとき、ジェットの隣りで女が呟いた。飽きれているようで、少し寂しそうな、さまざま感情をないまぜにしたような表情だった。
最初の怯えきった様子や、少し調子に乗ったような短絡的な様子からは意外なほど、複雑な感情を抱えた女の顔を見て、こいつもいろいろあったんだな、とジェットすこしこの女に同情した。慰めの言葉でもかけたほうが良いのだろうか?と彼にしては珍しく隣の女の心情を気遣ってみたりした。
その女が急にぱっと明るい表情をして、ジェットのほうを向き直る。
「ありがと!あんたのお陰で助かったわ!ってあれ、もしかして外国人?」
変わり身の早い女の様子を見て、その必要はなかったな、とジェットは思い直す。
「今気付いたのかよ。」
「だってさっきはそれどころじゃなかったし。へー、どうりで背も鼻も高いと思った!あ、名前もジェットだし!」
表情がくるくると変わる。
さっきまであんなに男から逃げることに必死だったくせに、のん気なものだ。
この様子じゃ、もう何の心配もなさそうだ。
「じゃあな。もうあんな男にひっかかるなよ」
緊張状態から解放されたからなのか、一人妙にはしゃいでいる女を置いて、まあ、暇つぶしにはなったかな、と思いながらジェットはその場を去ろうとした。
「えッちょ、ちょっと待ってよ」
女があわててジェットの前に回りこんで、彼を止める。
「なんだよ」
「えっと……すごく言いにくいんだけど……あたし、アイツんとこに住んでたし、バイトもちょっと前にクビになっちゃったから、行くとこないんだよね。」
まさか、とは思った。
「だから、ほんの少しだけでいいから、アンタんとこ置いてくれない?」
「――ふざけんな!」
思わず大声を出したジェットに、女も負けない大きさの声で叫ぶ。
「お願いよ!外国人だから、実家暮らしとかじゃないでしょ!?」
「同居人がいるんだよ!」
「何人?」
「9人……」
「なら私一人増えたところであんまり変わんないじゃない!物置とかでもいいからー」
「駄目だ!」
「お願い!」
駐輪場から出ようとするジェットの前に立ちはだかり、彼を逃がすまいと女が必死に通せんぼする。
「寝る場所だけでいいの!生活費とか……すぐには無理だけど、必ず入れるから!」
「駄目だッ!」
「お願い!さっき『俺が引き取る』っていったじゃない!」
「あれはあいつを追い払うために仕方なく言ったことじゃねえか!」
「ジェット〜!」
押し問答を繰り返すうちに、ついに女は両手でジェットの手を掴んだ。
「おい、ちょっと」
「お願いジェット!私ほんとうに行くところがないの!ここに置いてかれたら、私ホームレスになっちゃう!」
もう女は半分泣いている状態だった。黒い目に浮かんだ涙が、駐輪場の薄暗いライトの光できらきらと光っている。

「そんなに長い間いないし、家事とか……そういうの、ジェットの代わりになんでもするから……!」
女は俯いて、青あざのある頬を涙が伝うのが見えた。
ぼさぼさのショートカットを見下ろしながら、ジェットは深いため息を付いた。
「お前名前は?」
「シュウ……」
震える声で女が答えた。
「よし、シュウ。同居人への説明はお前がしろよ。」
「え?」
「まあ、最初に首突っ込んだのは俺のほうだからな。あと、俺が良くても他のやつが反対するかもしれないし、あんま期待すんなよ」
泣き顔だったシュウの顔が、みるみる明るくなっていく。
「ジェットありがとう!家事当番とか、掃除とか、ジェットの代わりになんでもしてあげるー!」
「約束だからな。絶対にやれよ」
「まかせて!あー、よかった!ジェット大好き!」
掴んでいた両手を離して、正面からシュウが抱きついてきた。ジェットの頬の位置で、乱れた茶髪がふわふわと揺れている。

本当に態度がくるくる変わる女だ。
俺は騙されたんじゃないだろうか?

嬉しそうなシュウとは対照的に、ジェットは帰宅後のことを考えると気が重くて仕方がなかった。とんでもなく面倒なことになってしまった。

もう、どうにでもなれ。




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